エミール〈下〉 (岩波文庫青 622-3 )

  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (419ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003362235

作品紹介・あらすじ

自然と社会との対立や、自然の優位についてルソーがその処女論文「学問芸術論」以来一貫して主張してきた考えを教育論において全面的に展開した著作。エミールなる人間の教育方法とともに、その妻たるべき少女ソフィーの教育をも加えて、小説形式で述べた教育思想史上不朽の古典。巻末にルソーがスケッチ風に自画像を描いた「マルゼルブへの手紙」を収録。

感想・レビュー・書評

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  • 「私たちは、いわば二回生まれる。
    一回目は存在するために、二回目は生きるために」

    意味深長な言葉だと思いながら、18世紀フランスの思想家・哲学者ジャン=ジャック・ルソー(1712年~1778年)の『エミール』上巻に引き続き、備忘を兼ねたレビュー。

    『エミール』は、第1編はエミールが0歳~1歳、第2編は1歳~12歳ころ、第3編は12歳ころ~15歳、第4編は15歳~20歳、第5編は20歳以降~青年期最後までを描いている。
    筆者の緻密な省察と、息の長い人間観察のためだろうか、エミールとともに成長しているような、あるいはエミールが、自分の分身やアバターのような気になってくるから可笑しい。彼のお相手となるソフィーという少女キャラが登場すると、おきゃんな彼女のメンターにもなる家庭教師は、ますます楽しそうだ。

    もっとも、ルソーの女性観はかなり古くて保守的なので、現代のジェンダー的視点からみれば、正直なところ重苦しい、ときにはカチンとくる。とはいえ古今東西の小説をながめていれば、そのような時代背景や価値観があることは至極当然のことで、へんな話、確かにルソーの言うとおりなんだよね~と苦笑いしている部分もある。別の自分を発見して興味深い。つくづく読書は遅すぎるということはないもので、まさに読んだが吉日だ。ひどく狭量で血気盛んな学生のころにこれを読んでいたら、まちがいなく本を放り投げ、二度とルソーには近づかなかっただろう。少々風変わりな才人ルソーを失わずにすんでよかった。

    はて? ルソーが目指した人間(形成)とは何なのか? 素朴で健全な自然人が集い、多様な価値を認め、自己の個性を自由に開花させ、人と過度に比べたり争うことなく和やかに生きること、現代社会にも求められる理想だろう。
    が、無人島ならいざ知らず、多くの人間が勝手気ままに生きていてはとても社会は成り立たない、他者とも衝突が起こる。一定のルールを決め、それを履行し、そのルールの下で生きることを受け入れなくてはならない。では誰がそのルールを決め、どうやって履行するのか? さらにルールに縛られ、他者や公共のために生きることになれば、自由は抑圧され、滅私奉公のような苦しみ、ひいては個人の幸福は瓦解する……それこそ国家や国民の安心安全という、うさんくさい常套句で、プライバシーや自由を封殺する、いき過ぎた個人監視、香港や武漢の人々の言論封殺の法規制などは、ひどく露骨でわかりやすい。しかし程度の差こそあれ、こうしたことは、どこの国でも美辞麗句の砂糖にまぶされながら日常的におこなわれている。なので甘言には飛びつかず、ときには公憤を抱き、冷静に異議を唱えてあきらめない、ということが必要だろう。とはいえ、いきおい全体主義がはびこる中で、香港の人々はこれからどうなるのかひどく心配だ……。

    こうした自然人と社会人の悩ましい相克を調整しながら、共存させていくための人間の形成と社会の構築を目指した書が『エミール』であり、ルソーのいう、二回目を生きる「実践編」ということになりそうだ。

    もちろん啓蒙思想家のルソーゆえ、説教臭いことに敏感な人には合わないかもしれない。しかし古典はそれがもつ独特の穏やかな叡智を心の襞(ひだ)に浸み込ませるもので、人を強制するものではない。ましてや即断評価するような類の書でもない。なにより、人類愛をとなえる人間嫌いのルソー、その不可思議な人となりが透けて見えるのがオモシロい。

    「ある者は明日になればと思い、ある者はひと月たてばと思い、またある者は、今から十年たてば、と思っている。だれひとり今日を生きようとしない」

    テクノロジーが進み、すべてが目まぐるしく流れ去り、次々に新しいニュースや話題や娯楽が世界中に瞬時に配信提供される。そんな流れを加速させるための技術革新、商品開発、購買意欲と消費をそそる社会。そこへ突如として現れ、あっという間に世界中に蔓延した感染症。わずか数か月で世界は衝撃と混乱を極め、多くの人が命を落とし、恐怖が蔓延して人々は鬱々とし、閉塞や孤立感が漂う悩ましい事態に陥った。
    はたしてルソーの言う、生きる、とはどういうことなのか、自然人が社会人として共存していくための社会や政治や医療や健全な自然環境とはどういうものなのか、視座の高い彼の本を現代に当てはめてみながら、どうにもつたない思いを巡らせてみた(2020.6.20)。

  • 「エミール(下)」ルソー著・今野一雄訳、岩波文庫、1964.07.16
    324p ¥300 (2021.03.05読了)(2021.02.21借入)(1973.08.20/14刷)
    ジャン・ジャック・ルソーの子育て論、最終巻です。何とか最後までたどり着きました。
    エミールが青年期に入ってきましたので、エミールの伴侶となる女性に眼を転じて、女性の子育て論が始まります。時代を反映した論になっています。男性も女性も社会に出て働き続ける現代にはこの本とは別の子育て論が必要そうです。
    結婚年齢については、女性が10代で結婚するのは、体が未成熟のため妊娠による負担が大きくなるので、20代に入ってからのほうが良いと言っています。(206頁)
    身分違いの結婚についてもあれこれと述べています。
    エミールが22歳、ソフィーが18歳で相思相愛の状態になったけれど、結婚はあと二年は待ったほうがいいということで、エミールは旅に出されます。
    旅について、あれこれと論じています。
    「十人のフランス人をくらべてみたものはフランス人というものを知っていることになるが、同様に、十カ国の国民を見たものは人間というものを知っていることになる。」(214頁)
    その後、社会契約について論じています。『社会契約論』で論じたところです。

    【目次】
    第五編
    (ソフィー ――女性について)  5頁
    (旅について)  211頁
    原注
    訳注
    付録 マルゼルブへの手紙

    ◇今後読む本(予定)
    『教育論』ラッセル
    『宗教は必要か』ラッセル
    『一般意志2.0』東浩紀
    ☆関連図書(既読)
    「エミール(上)」ルソー著・今野一雄訳、岩波文庫、1962.05.16
    「エミール(中)」ルソー著・今野一雄訳、岩波文庫、1963.07.16
    「社会契約論」ルソー著・桑原武夫訳、岩波文庫、1954.12.25
    「孤独な散歩者の夢想」ルソー著・今野一雄訳、ワイド版岩波文庫、1991.01.24
    「ルソー」桑原武夫編、岩波新書、1962.12.20
    「ルソー『エミール』」西研著、NHK出版、2016.06.01
    「読書の学校・ルソー『社会契約論』」苫野一徳著、NHK出版、2020.12.30
    (2021年3月7日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    自然と社会との対立や、自然の優位についてルソーがその処女論文「学問芸術論」以来一貫して主張してきた考えを教育論において全面的に展開した著作。エミールなる人間の教育方法とともに、その妻たるべき少女ソフィーの教育をも加えて、小説形式で述べた教育思想史上不朽の古典。巻末にルソーがスケッチ風に自画像を描いた「マルゼルブへの手紙」を収録。

  • 【電子ブックへのリンク先】
    https://kinoden.kinokuniya.co.jp/hokudai/bookdetail/p/KP00048402

    ※学外から利用する場合は、以下のアドレスからご覧ください。
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  • 2004/09/11読了

  • 一人の人間を育て上げる仕事(子育て)がこの世で一番難しい仕事だと思うことを思い知らされる。子供を持つ親あるいはこれから子供を持つ人が読むべき本。

  • エミール〈下〉 (岩波文庫青 622-3 )

  • 2018年10月1日、図書館の不要図書で入手。

  • 全三巻のうち最終巻です。
    主人公の結婚まで書かれていますが、ちょっと問題あり。

  • カテゴリ:図書館企画展示
    2013年度第2回図書館企画展示
    「大学生に読んでほしい本」 第2弾!

    本学教員から本学学生の皆さんに「ぜひ学生時代に読んでほしい!」という図書の推薦に係る展示です。

    仲居宏二教授(歴史社会学科/国際交流)からのおすすめ図書を展示しました。
            
    開催期間:2013年6月18日(火) ~2013年9月30日(月)【終了しました】
    開催場所:図書館第1ゲート入口すぐ、雑誌閲覧室前の展示スペース

    『万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる。』という有名な書き出しで始まるルソーのエミール、教育哲学書、児童教育書などとして読まれていますが、学生時代にはむしろ世界や自然を考えるガイダンスのように読みました。
     書棚からすっかりセピア色に変色した文庫本を取り出しました。鉛筆で線を引きながら読んだ形跡があり懐かしく思い出しました。
     僕の学生時代は政治的にも、経済的にも社会が大きく変化している時、何か指針となるものを欲し、確固とした考え方を持ちたいと思っていた時に出会った本です。まるで小説を読むように夢中でページをめくったことを記憶しています。
     “自然に帰れ”などのフレーズは今でも使われています。200年前に書かれたものですが、逆説的な言い方の奥の意味を考える良いテキストでした。
     さまざまなヒントが沢山含まれています。自信を持って推薦いたします。
     第一巻だけでも読んでみてください。

  • 請求記号:A/371.1/R76/3
    選書コメント:
    「素直なこども」とは大人に都合よい子のことでしょうか。
    先生を目指す方には是非読んでいただきたいです。
    (東松山図書課 整理担当)

  • 親の手を離れて配偶者の手の中へ、というラストはホラーっぽくもある。

  • 『エミール』第5編および『マルゼルブへの手紙』を収録している。エミールの教育の締めくくりとして、エミールのみに似つかわしい女性とはいかなる人物であるべきか、という女性論が開陳される。その女性ソフィーと出会ったあとも、「市民の義務」を学ばなければならないと称して、『社会契約論』の思想を規準に諸国を遊覧し、どの国に居住すれば自由を維持することができるかを検討する。最終的には、この地上において自由を維持することのできる国家は存在せず、積極的に国家活動に関わることはないが「執政官」として必要とされた場合にのみ義務を果たせばよい、という『社会契約論』で提示される「市民」像とは真逆の、自然法に従う「人間」像が提示されて終わる。

  • <閲覧スタッフより>
    著者ルソーが最も重要としたのは“自然のままに育てる”こと。ある教師が「エミール」という平凡な人物を、自然という偉大な存在の指示のもと誕生から結婚まで導いてゆく様子を小説形式で描いたもの。
    -------------------------------------------
    所在番号:文庫||135.4||ルシ
    資料番号:10101376
    -------------------------------------------

  • エミール、上、中、下と改めて纏めたが、
    「下」が、賛同という意味ではなく、
     ルソーの個性がとても色濃く出ているので、特に楽しめた。

    本から
    ・プラトンは「国家篇」の中で、女にも男と同じ訓練をさせている。

    ・肉体はいわば魂に先だって生まれるのだから、最初の教養は
     肉体についての教養でなければいけない。この順序は男女に
     共通である。しかし、その教養の目的は違う。一方においては
     その目的は体力を発達させることであり、他方におていは魅力を
     育てることである。もっともこの二つの力はそれぞれの性に
     排他的にあるわけではなく、ただ順位が逆になっている。
     女性は何をするにしても優美に見えるように十分の力を必要と
     する。男性は何をするにしてもやすやすと出来るように十分の
     器用さを必要とする。

    ・服従は女性にとって自然の状態。

    ・女性の基本的な、そして最も大切な美点は、やさしくするという
     ことだ。男性という不完全な存在、しばしば多くの不徳をもち、
     いつも欠点だらけの存在に服従するように生まれついている
     女性は、正しくないことにさえ我慢をし、夫が悪い時でも不平を
     言わずに堪え忍ぶことご早くから学ばなければならない。

    ・男も女も自分の性にふさわしい調子をもち続けなければならない。
     やさしすぎる夫は妻をなまいきな女にすることがある。

    ・男性は話をするには知識を必要とし、女性は趣味を必要と
     する。一方は役に立つことを、他方は楽しませることを主な
     目的とすべきだ。双方の話は真実性ということの他には
     共通の形をもつべきではない。

    ・それぞれが相手の衝動に従っている。それぞれが服従しながら
     両者とも主人なのだ。

    ・実例を示さなければ子供に対しては絶対なにごとも成功しない。

    ・あらゆる罠の中で一番危険なのは、理性も避けることの出来ない
     ただ一つの罠は、官能のしかける罠だ。

    ・あらゆることで中庸を望むがいい。美しさということさえ、その
     例外ではない。感じがよくて、人好きのする姿、恋を感じさせは
     しないが、好意をもたせる姿、そういう姿の人を選ぶべきだ。

    ・人生は短い、と人々は言っているが、私の見るところでは、
     人々は人生を短くしようと努力しているのだ。人生を利用
     することを知らないで、彼らは時がたちまち過ぎ去ることを
     嘆いているが、私の見るところでは、時は彼らの意に反して、
     まりにもゆっくり過ぎていくのだ。めざす目的のことばかり
     考えている彼らは、自分達とその目的とをへだてている間隔を
     恨めしく思っているある者は明日になればと思い、ある者は
     ひと月たてばと思い、またある者は、今から10年たてば、と
     思っている。だれひとり今日を生きようとはしない。だれひとり
     現在に満足しないで、みんな現在の過ぎ去るのがひどく
     遅いと感じている。時はあまりにも速く流れていくと嘆く時、
     彼らはうそをついているのだ。彼らは時の流れを早める力を
     喜んでもらいたいのだ。彼らの一生を無駄にすることに喜んで
     彼らの財産を使いたいのだ。

    ・人生の無常を考え、特に現在を未来の犠牲にする間違った
     思慮を避けることにしよう。それはしばしば現在あるものを
     将来もありえないもののために犠牲にすることになる。
     全ての時期において、人間を幸福にしてやろうではないか。

    ・男性よ、君の伴侶を愛するのだ。きみの労苦をいたわるために
     きみの苦しみをやわらげるために、神はきみに伴侶を与えて
     いるのだ。これが女なのだ。

    ・人間はその願望のために無数のものに執着しているが、
     人間そのものはなにものにも、自分の生命にさえも、固く
     結びついているわけではない。人間は一層多くの愛着をもてば、
     一層多くの苦しみを招く。全ては地上を過ぎ去るだけだ。
     私達が愛しているもの全て、おそかれはやかれ、私達から
     遠ざかっていく。ところが私達は、全ては永遠に続くことになる
     かのようにそれを執着している。

    ・有徳な人とはどういう人か。それは自分の愛情を克服出来る
     人だ。そうすればその人は自分の理性に、良心に従うことに
     なるからだ。その人は自分の義務を果たし、正しい秩序のうちに 
     とどまって、なにものも彼をそこから逸脱させることは出来ない。

    ・人間であれ。きみの心をきみに与えられた条件の限界に
     閉じ込めるのだ。その限界を研究し、知るがいい。それが
     どんなに狭くても、そこに閉じこもっている限り、人は不幸には
     ならない。その限界を越えようとする時、初めて不幸になる。
     無分別な欲望を起こして不可能なことを可能なことと考える
     時に不幸になるのだ。自分の人間の状態を忘れて空想的な
     状態を作り上げる時、不幸になるのだ。

    ・傲慢な心から生まれる錯覚は私達の最も大きな悪の源だ。
     一方、人間のみじめさを深く考えることは賢明な人にいつも
     つつましい態度を取らせる。

    ・幸福に、賢明に生きようとするなら、きみの心を失われることの
     ない美しさにだけ結びつけるがいい。きみに与えらえている
     条件をきみの欲望の限界とし、きみの義務をきみの好みに
     先行させるのだ。必然の掟を道徳的なことにまで広げ、きみの
     手から奪われるようなものを失うことを学ぶがいい。

    ・死は悪人の生の終わりだが、正しい人の生の始まりだ。

    ・自由になるためにはなにもすることはないのだ、と私には
     思われる。自由であることをやめようとしなければ、それで
     十分なのだ。あなたは必然に従うように教えることによって
     私を自由にしてくれた。必然がいつやってきてもいい。私は
     なんの拘束も感じないで、それにひっぱられていく。そして
     私は必然と戦おうとは思っていないから、自分をひきとめ
     ようとしてなにかにしがみつくようなことはしない。

    ・人間には一生の間、助言と指導が必要だ。


     

  • 恋と生活、エミールの結婚までの道のり。この間が一番面白く読めた。でも、ルソーの考え方に違和感もあります。

  • 学部時代に読んでいただきたい教養書を数件登録する。
    僕のバイアスがかからないように、レビューは登録しない。

  •  この巻まで進むともう教育論と言うよりは人生論と言った感じに見えてくる。教育と言ってもエミールはもう恋愛を超えて結婚しようかと言ったところまで来ている。しかしながらここまで来ても、やはりエミールは「エミールの子供」に対する教育の指針を教育されることを必要とする。教育と考えると疑問を抱くけれど、人は常に勉強をしなければならないと言う方向から考えれば何となく分かるだろうか。
     この巻の前半から中頃にかけて、ソフィーという女性を通して女性論・恋愛論・結婚論が展開されていたが、現代の視点からだからだろうか、非常に疑問に思われるものが多かった。実際に女性がこの本のこの辺りの記述を読んでどう思うのだろうかという疑問も抱いた。

  • 生涯に一度は読んでおきたい・・・と、読後にこそ思った。
    三巻は教育論というより、人生論のような。
    部分的には楽しめて、部分的にはくどく感じた。
    それでも、ツン読の多いことも理解できる。

  • 内容(「BOOK」データベースより)

    自然と社会との対立や、自然の優位についてルソーがその処女論文「学問芸術論」以来一貫して主張してきた考えを教育論において全面的に展開した著作。エミールなる人間の教育方法とともに、その妻たるべき少女ソフィーの教育をも加えて、小説形式で述べた教育思想史上不朽の古典。巻末にルソーがスケッチ風に自画像を描いた「マルゼルブへの手紙」を収録。

    目次
    第五編

  • ほぼ3年?越しになった『エミール』下巻(第5編+付録「マルゼルブ」への手紙)。

    上巻は、エミールの主題であり、最も有名な部分である自然教育について。幼児期から少年期のエミールへの接し方が事細かに示されていた。
    理想状態でしかないとは思いますが、結構感動したような。

    中は、社交界の風俗(特に男女間の乱れ)への批判ばかりで、
    正直、面白くなかった記憶があります。

    中の最後はパリを出て嫁捜しに旅立つところで終っていたはずですが、
    下巻は、実際に嫁(ソフィーね。)を見つけに行くには、どのように旅すべきかという心得から始まり、
    「理想の女性像」であるソフィーが、どのような家で、いかな性格に育て上げられているべきかが延々延べられるのが前半。

    そしてエミールとソフィーの出会いの部分だけ読むと、ハーレクインも真っ青な。。
    小説調で、恋愛に関しても理想を述べられるので。

    ルソーの女性観×恋愛観が詰め込まれている感じ。

    ****
    余談ですが、エミールはソフィーとの恋愛中、農家でおやつ時の歓待を受けるのですが、
    「エミールは御婦人方の好きなほうにまわって、ソフィーのさじがすくった皿のクリームをそっととろうとたえずねらっている。」231P 
    という一節があるんですね。

    (まだ読んでないけど)『告白』のなかで、ルソーはド・ヴァラン夫人との恋を振り返った一節で、
    「ある日テーブルについていたときのこと、あのひとが食べ物を一切れ口に運んだとたんに、私は、髪の毛がついていますよと叫んだ。
    あのひとがそのひと口をお皿に戻すと、私はそれをつかんで、飲み込んでしまった。」
    とういうところがあるんです。
    (ちなみに、上の文章は孫引き。ジョナサン・カラーの『文学理論』で、
    カラーは、これをデリダの「補遺の論理」の説明に引用します。
    現前する夫人だけでは満足できなくて、代用品(記号)が必要になるっていう。

    なんのこっちゃ。。。

    *********
    あまり巧くまとまらない。
    ただ、ルソーの(理想の)女性観に、説得力を感じてしまう・・・

    全面的な肯定は、当然のことながらできません。
    女性に男性と同等の教育は必要ないとか、自然の観察(自然科学みたいな)に女性は本性として向かないとか。(私は好かなかったけどw)
    (あ、あと文学談義する女はダメだ、みたいなのもあったわww)

    特にルソーは、エミールに対し自然教育を施すことを望んだ際と同様、
    男性/女性本来の「自然」に適した教育を探求する。
    だからこそ、「女性本来は・・・」みたいな書き方に、カチンとくるところもあるのだけれど。

    女性全般に対し、彼の言うところの女性の本性、自然が当てはまるとは思わない。
    でも、自分自身の性格(アイデンティティというの?)に当てはまると感じた部分について、
    それへの教育論、その上での男性(つまりエミール)との接し方を述べられると、
    すごく説得されてしまうところがある。

    つまり真摯なんですね。

    *************************************************************************************
    自分の国に負い目を感じない有徳な人間がどこにいるだろう。
    それがどんな国だろうと、人間にとってなによりも大切なもの、その公道の道徳性と美徳にたいする愛を、かれはその国からうけているのだ。
    どこかの森の奥に生れていたとしたら、かれはもっと幸福に、もっと自由に暮らしていられたかもしれない。
    しかし、なにものとも戦う必要を感じずに自分の傾向に従っていられるかれは、よき者であってもなんの功績ももたないことになったろう。
    有徳な人間にはなれなかったろう。
    ところがいまかれは、自分の情念を克服して、有徳な人間になれるのだ。
    秩序の見せ掛けでもかれにその秩序を認識っせ、好ませることになる。
    公共の福祉は、ほかのすべての者にとっては口実として役立つだけだが、かれにとっては現実の動機になる。

    かれは自分と戦い、自分を征服し、自分の利益を共同の利益のために犠牲にすることを学ぶ。かれは法律からなんの利益も得ていないというのは正しくない。
    法律は、悪い人間にあいだにあってさえ正しい人としてふるまう勇気をかれにあたえている。
    法律はかれを自由にしてはくれなかったというのは正しくない。
    法律はかれに自分を支配することを教えたのだ。(334)
    *************************************************************************************

    ただ欠陥があるとすれば。
    この教育はあまりにも清く正しすぎて。そしてルソー自身が孤独を好みすぎて。
    いまの時代にあっては、どこにも行き着かない気がするのです。

    ***********************************************************************************
    とにかく、わたしの力でできるかぎり、自分のために働きながら、わたしは、自分の能力に応じて、社会のためにできることをすべてしてきました。
    わたしは、社会のためにわずかなことしかしなかったにしても、もっとわずかなものしか社会にもとめませんでしたから、わたしがおかれた状態にあって、社会にたいする責任を十分にはたしていると強い自邸増すので・・・」(406『マルゼルブへの手紙』)
    ***********************************************************************************

    満ち足りている時代は、つまり、彼の理屈の上では、孤独であることの楽しみを許される時代にあるわけですから。

  • 手元にあり

  • 良き教育のあり方っていうのは時代によって違うってのはわかってるんだけれども、結局は嫉妬なのでしょうか。

  • ¥105

  • 自然と社会との対立や、自然の優位についてルソーがその処女論文「学問芸術論」以来一貫して主張してきた考えを教育論において全面的に展開した著作。エミールなる人間の教育方法とともに、その妻たるべき少女ソフィーの教育をも加えて、小説形式で述べた教育思想史上不朽の古典。巻末にルソーがスケッチ風に自画像を描いた「マルゼルブへの手紙」を収録。

  • まだだよ!

  • 自然の中で伸び伸びと健全に育ったエミールと、ソフィーとの美しい物語。

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