不安の概念 (岩波文庫)

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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (299ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003363522

感想・レビュー・書評

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  • 本棚から発掘されたので再読。相変わらず信心深いキルケゴールは、不安=原罪の結果と見なしており、最終的には不安を取り除くためには信仰しようね、と言ってるみたいでちょっと微妙。

    「死に至る病」読んでるときも思ったのだけど、これだけ頭が良くて難しいことをいっぱい考えて理路整然とそれを文章にできる人がどうして「唯一絶対の神」の存在に疑問を抱かず、キリスト教は正しいと信じて疑わないのかが不思議。まさかアダムを実在の人物とは思ってないだろうけど、罪はアダムから人類に入ったって言い切られると、まず「アダムという概念」の説明からしてくれって思っちゃう。

    まあそんな個人的な宗教への反発はさておき。

    第一章 不安が原罪の前提であり、同時それは原罪をその根源の方向に遡って解明するものである、ということ
    第二章 原罪の結果としての不安
    第三章 罪の意識を欠いているということがそれ自身罪なのであるが、そういう罪の結果としての不安
    第四章 罪の不安、乃至は、個体における罪の結果としての不安
    第五章 救済の手段として、信仰と結びついている不安

    この見出しだけでなんとなく書いてあることの全体像は把握できるかと思う。さらにいうなら、解説で翻訳者が引用しているキルケゴールの日記のなかの一文「不安とは、怖れているものに心惹かれているということである、それは反感的な共感なのである」この一行だけで内容総括できてる気がするので、まるまる1冊頑張って読むことはない気もする(こら)

    キルケゴールの言いたかったこととは逸れるのですが、個人的にとても「これは!」と思わされたのは、「無垢は無知である」にまつわる、禁令と誘惑と罰則に関するくだり。そもそも旧約の失楽園のエピソードにおける一連の流れ…知恵の実を食べる→知恵がつく=無知でなくなる=無垢でなくなる、ゆえに「無垢は無知」であったわけですが、ではその木の実を食べてはいけない、という「禁止」がなければ、蛇の「誘惑」もなく、その「罰」としての原罪もなかったのではないかと。

    ということは「この木の実を食べては駄目だよ」という神の言葉は、いわば熱湯風呂を前にしたダチョウ倶楽部の「押すなよ」と同義で、そんな前フリ=誘惑せずとも、そんな木の実は最初から取り除けておけば良かったのに、と思ってしまう。私なら神は最初から罰することが目的で罪を用意していたとしか思わない。

    あれもダメこれもダメ、罪だからね、罰っするからね、というのはキリスト教が持ち込んだ概念で、つまり不安の概念も罪の概念もキリスト教の持ち込み企画。「やらせ」じゃんか全部(怒)と信仰心のない私などは関係ない部分で憤ってしまいます。

  • 挫折…。「死に至る病」を3度読んで少し分かった気になったので本書にも手を出したのだが…。こちらの方が初期の著作だし難易度は低いだろうと高を括っていたが、とんでもない。唐突な断定が多く抽象的概念の連続する文章は、「死に至る病」より難解だった。自分には理解できない本があることを知り謙虚にさせらせたことを収穫と思うことにしよう。原罪の起源という本書のテーマ自体は大変興味があるので、いつか理解できるようになりたいが、また挑戦する気になるかどうか…。

  • 信仰深いキリスト教信者の方の書いた滅茶苦茶キリスト教に回帰する話で「お前お前お前〜」になるので、キリスト教の事前知識がないと読んでいて楽しくないです。

  • 60年代ジャズ喫茶のお供、マル・ウォルドロンを聴きながら。
    明るい/暗い、という性格論はまだ生きてるんだろうか?

    猛暑の太陽の下の不安。

  • 訳者の斎藤信治先生には、大学一年の時に教わった。あの名講義がなければ、今の私はずいぶん哲学観が異なっていただろう。キェルケゴールに関心を持つことは少なくともなかった。

  • がんばれ。

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