- Amazon.co.jp ・本 (283ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003366431
感想・レビュー・書評
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古代ローマ帝政期のギリシャ人作家で『英雄伝』でも知られるプルタルコスの随想集。エッセーの起源とも云われている『倫理論集(モラリア)』より。プラトンが描いたような"饗宴"の席で談じられた自由で知的なお喋りの記録。
「鶏が先か卵が先か」という誰もが知る哲学談義、生命の発生ひいては宇宙の起源にまで遡及し得る形而上学的談義が、遠く2000年前の宴席で既に交わされていたという事実に、驚かされるしまた愉快な気持ちにさせられる。また、「宴会での料理は予め各自の分を別々に盛り分けておくべきかor最初は大皿に盛っておき後ほど各自が取り分けるべきか」という議論から、アリストテレス『ニコマコス倫理学』でも取り上げられている配分的正義/矯正的正義の話が飛び出てくるあたりも、楽しかった。「恋は人を詩人にする」という常套句がエウリピデスに起源をもつことも、本書によって知ることができた。
しかし、現代の読者からすると、交されている議論の殆どが奇妙に感じられ、説得的でない(そして実際に誤っているものも多い)。それはなぜかと考えてみるに、厳密な概念規定をすることなく類推(analogy)で議論を進めているという点に帰せられるのではないか。これは、プラトンの対話篇をはじめ古代ギリシャ・ローマの哲学書にしばしば見られる特徴である。この時代にあっては、世界の物語的神話的理解から概念的哲学的理解への移行が、未だ十分でないということか。感性的に捉えられる具体的日常を超越した、厳格な理性によって構成される厳密な抽象的概念の意義について、未だ意識されていない。本書を通して、現代的な科学的推論とは何か・それが可能となるための条件は何か、という科学史的・科学哲学的な問いを考えさせられた。それは形式的論理と実証的科学との結合か。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「宴会の幹事はどういう人物であるべきか」とか「なぜ秋には空腹を感じやすいか」とか「ユダヤ人は豚を崇めているから食べないのか、嫌いだから食べないのか」とか、そういうことを、これについては俺の友達の誰それが言ってたんだけどさ〜、みたいな感じて話強いてそれが延々続いて、おかしい〜、ギリシャ人って変なの〜と面白がって読んでいたら、ふと、いやいやこれはどんなテーマにでも根拠を示しつつディベートして楽しんでいるのかこの人たちは、と気づいて驚く。しょーもない(失礼)テーマをいかに議論していくのか、に注目して読んていくとハマるわ。目から鱗。
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プルタルコスが友人たちと宴席で語り合ったことの記録、だそうです。後書きでも書かれていますが、確かにこんな難しいことを宴席で話すだろうか、と疑問に思いますが、研究者なんかこれに似たようなことしてそうですね。酔っ払いながらも仕事の話をしている、とか。そういう状況に似ているかもしれません。
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哲学者などが食卓で行った歓談(ex.「鶏とたまごはどちらが先か?」「幹事に向いているのはどういう人間か」など)を話した、まさに「歓談集」。
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¥105