権利のための闘争 (岩波文庫)

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制作 : Rudolf Von Jhering  村上 淳一 
  • 岩波書店 (1982年10月16日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (150ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003401316

作品紹介

自己の権利が蹂躙されるならば、その権利の目的物が侵されるだけではなく己れの人格までも脅かされるのである。権利のために闘うことは自身のみならず国家・社会に対する義務であり、ひいては法の生成・発展に貢献するのだ。イェーリング(1818‐92)のこうした主張は、時代と国情の相違をこえて今もわれわれの心を打つ。

権利のための闘争 (岩波文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 権利のために闘うことは義務である。なぜか?
    権利の侵害は、その権利が促進する目的が阻害されたということだけでなく権利を有する個々人の人格をも脅かされた、ということまで含意する。つまり、権利のための闘争は自分自身に対する倫理的義務である。同時に権利を守ることは法を遵守することであり、法が守られることによって権利も保護される。そしてそれは国の秩序を守ることにも繋がる。だから権利者は国に対する義務としても権利を守らないといけない。

    あらゆる時代をくぐり抜けても色褪せない、権利のための闘争とその思想は、グローバル化とナショナリズムと経済不平等が広がる現代世界においても、なお読む価値のある一冊である。

  • アドレナリン出まくり血圧上がりまくりの戦闘的法律論。

    論旨は極めて明快。権利侵害に対して抵抗することは、権利者自身の義務であると同時に、国家共同体に対する義務でもある。なぜか。法は実際に運用されてこそ意味があるのであって、権利者が権利侵害に対して立ち上がらなければ法の形骸化は避けられない。したがって、権利のための闘争は、自分の権利を守ることによって法一般をも防衛し、さらにそのことによって国家秩序も守られるのだとする(そもそもドイツ語のRechtは権利を意味すると同時に法という意味も含んでおり、権利のための闘争は同時に法のための闘争でもあるというイェーリングの主張もここに由来している)。

    ただ、イェーリングは権利侵害に対する自力救済や過剰防衛をも正当化しているが(p.132以下)、この辺は勇み足だろう。こうなると、権利と権力と実力の区別が分からなくなってしまうし、結局は「強い者が勝つ」世の中になってしまいかねない。

    各人が私的利害に基づいて自己の権利のために闘争することが結果的に共同体の利益にも資するとする議論は、その内包する問題点も含めて、どこかアダム・スミス的なレッセフェールと相似的である。

  • 私はこの本を読み始めて数ページで辟易しました。それはなぜか。えらく感情の起伏が激しい人だと感じたこと、まるで双極性の精神疾患ではないかと思うようなそんな論じ方にうんざりしたから。読み手側に冷静な精神状態を強制するかのごとく攻撃的かつ挑戦的な文言がわたくしの琴線にふれまくりで・・字面を追うことに不愉快になる。
     ということで数日おいて再度読み直し(笑)書いてあることは至極まともなことなんですよね。国家とは国民のあつまりである、その国民一人一人が自身の権利を強く主張することから国家形成ができると。なぜに国民は自身の権利を主張できないのか、なぜ闘ってまでその権利の主張をしないのか。国家をつくりあげてる国民のそれは義務になるのではないかと。
     この本の主張が多くの国で翻訳され、さまざまな時代を通り抜けてきてもなお、読まれている意味がわかります。

  • わくわからん、なんかのオススメで購入し、暫く積読だったのを読了

  • イェーリングは最初に論文の結論を述べ、それを展開して、各論に繋げる。よって、最初の二頁を読んで暗唱すれば、自ずと著者の言わんとすることは通じるかと思われる。もちろん、著者はそんな読み方を期待しているどころか、止めろと言うだろう。中国の古典ならいざ知らず、私の展開しているのは現実に即した法理論なのだから、と。

    しかしながら、私の短い書評では、その最初の部分を少し紹介して、而して、感想を述べるところまでが、私の役割だと思う。


    曰く。
    権利=法の目標は平和であり、そのための手段は闘争である。権利=法が不法による侵害を予想してこれに対抗しなければならない限りー世界が滅びるまでその必要はなくならないのだがー権利=法にとって闘争が不要になることはない。権利=法の生命は闘争である。諸国民の闘争、国家権力の闘争、諸身分の闘争、諸個人の闘争である。
    世界中のすべての権利=法は闘い取られたものである。重要な法命題はすべて、まずこれに逆らうものから闘い取られねばならなかった。またあらゆる権利=法は、一国民のそれも個人のそれも、いつでもそれを貫く用意があることを前提にしている。権利=法は、単なる思想ではなく、生き生きとした力なのである。だからこそ、片手に権利=法を量るための秤を持つ正義の女神は、もう一方の手で権利=法を貫くための剣を握っているのだ。秤を伴わない剣は裸の実力を、剣を伴わない秤は権利=法の無力を意味する。二つの要素は表裏一体をなすべきものであり、正義の女神が剣をとる力と、秤を操る技とのバランスがとれている場合にのみ、完全な権利=法状態が実現されることになる。(29p)

    筆の多くは権利=法(レヒト)を運用するにあたり生ずる紛争の原理について述べているが、その前に大きな意味での「権利=法をつくるための闘争」についても、この原則が適用されるらしい。半分は当たり前のことを言っているようでもあるが、半分はかなり新鮮な指摘のようにも思える。またそうでなければならない。権利=法の運用とは、それだけ厳密でなければならないのだから。

    権利=法が出来る時、諸国民は国家権力に多くは負けて来た。自由民権運動然り。最近では、秘密保護法、安保法制、共謀罪然り。しかし長い目で見れば、権利=法は、憲法の謳っている方向に「勝利」して来たのである。日本の国家権力は昭和22年世界の諸国民に負けて、国家権力の望まない権利=法を持った。よって、長い目で見ればいま日本にはその「反動」が来ているのかもしれない。やがてそれはアウフヘーベンされるだろう。なぜならば「秤を伴わない剣は裸の実力を」持たざるを得なくなるからである。但し、反動が来るまでに70年もかかったのだから、それを止揚するには、諸国民の闘争次第なのである。
    2017年10月読了

  • 熱い、、、熱いぞ、、、!!!!たぎる!!!

  • 著名な本ですが、きちんと読んでませんでした。権利のために戦うことで、法の生成・発展に寄与すると熱く語るもの。

  • すでに常識の一部になっているせいか、読んで驚くような事はなかった。ただ、倫理的生存という観点は参考にできそう。いずれにしても、読んで損はない1冊。

  • 自ら虫けらになるものは、後から踏みつけられても文句は言えない

  • 闘争において汝のRechtを見い出せ__(これ、超カッコいい。。)……とかいいつつ、「健全な権利感覚」がイェリングの独断によって恣意的に設定されているのは何なのか。Rechtの内実が何であるのかについての考察が甘すぎると思う。

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