歴史とは何か (岩波新書)

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レビュー : 169
  • Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004130017

作品紹介・あらすじ

歴史とは現在と過去との対話である。現在に生きる私たちは、過去を主体的にとらえることなしに未来への展望をたてることはできない。複雑な諸要素がからみ合って動いていく現代では、過去を見る新しい眼が切実に求められている。歴史的事実とは、法則とは、個人の役割は、など歴史における主要な問題について明快に論じる。

感想・レビュー・書評

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  • 初めて手に取ったのは、大学生時代(1990年代)での最初の概論でのテキストにて、
    確か、1961年のカー氏の、ケンブリッジ大学での講演録を基調にしていて、

    日本での初版が1962年ですから、訳語としての言い回しはやや古めで、
    正直とっつきにくい部分もありますが、内容としてはよくまとまっているかと。

     - 歴史家の機能は、(中略)現在を理解する鍵として過去を征服し理解すること

    その上で、、

     - 歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、
      現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話

    との点は、私にとって非常に肚落ちのする内容で、今でも(2020年代)、
    各種の物事に対しての考え方とか、立ち位置への基礎になっていると思います。

    自分なりに解釈すると、歴史とは、一つの「事実」と、その「事実」に対する解析や、
    議論の積み重ねの結果としての、様々な「真実」の集合体、であって、

    その事実とは人の行為の積み重ねで、真実とはその行為への、
    「真の動機(原因)」に直結するもので、多様性が前提となる、くらいでしょうか。

    そういった意味では、とある寄稿のなかで塩野七生さんが述べられていた、、

     - 歴史とは学ぶだけの対象ではない。知識を得るだけならば、歴史をあつかった書物を読めば済みます。
      そうではなくて歴史には、現代社会で直面する諸問題に判断を下す指針があるのです。

    なんてことも思い出しながら、、「知識」を集約しただけでは生きていく上ではさして役に立たない、
    「生きた学問」として活用していくためには、今現在への「社会的有用性」の模索も必要、なんて風にも。

    そしてこれは何も「歴史学」に限った話ではなく、
    科学するを前提とする学問すべてに求められていくのかな、とも思います。

    そう思うと「歴史的な事実(事象)を今の価値観で裁断する」のには懐疑的で、

     - 今日、カール大帝やナポレオンの罪を糾弾したら、
      誰かがどんな利益を受けるというのでしょうか

    との感覚も非常に納得できます、、法治でいう「法の不遡及」とも通じるかと、、
    日本であれば織田信長による比叡山焼き討ちとかが、一例になりますかね。
    (個人的には、信長時代の価値観でいえば、焼き討ちも妥当、と思っています)。

    なんてことを、ここ最近のANTIFA(アンティファ)なる無政府主義のテロ集団が、
    銅像破壊、言論統制などで過去の歴史を“無かったこと”にしようとしてるな、と見ながら、

    これは「人の営みとしての歴史に対する冒とくであり、挑戦である」と、怒りを禁じえません。

    たびたびに、歴史学とは私にとっての基礎学問だなと、
    そんなことを思い出させてくれる一冊です。

  • 歴史学の名著。

    内容は表題のとおり「歴史とは何か?」に対する問いである。
    19世紀にマルクスは「世界は合理的な自然法則によって支配されている」という立場から歴史を語ったが、本書ではそのような立場はとらない。
    歴史が神学化する事の危険性を次の言葉で批判「歴史的事実の意味を探るにあたり、歴史上の問題に対してトランプのジョーカーを差し出すように宗教で決着をつける」。
    又、歴史が文学化する例としては、意図も意味もないストーリーや伝説の話に歴史が堕落させてしまう「歴史学者の姿勢」そのものを批判している。
    本書は「歴史とはなにか?」という率直な問いに対して、様々な学説を交えながらその究極の問いに対する答えを極めた一冊といえる。

    二十世紀に入り歴史学は、現在の眼を通して現在の問題に照らすことによって、過去を見るところに成り立つという視点を得るようになった。
    そこで歴史家には、記録する事よりも、歴史的事実をどう評価するかということが重要になる。

    「すべての歴史は現代史である」クローチェ(イタリア 哲学者)

    「歴史上の事実というものは、歴史家がこれを創造するまでは、どの歴史家にとっても存在するものではない」
    カールペッカー(アメリカ 歴史家)

    「歴史哲学は相互関係における両者を扱うもので、すべての歴史は思想の歴史である」
    コリンウッド(イギリス 哲学者)

    これらは歴史の重心が過去にあるか?それとも歴史の重心は現在にあるか?という見解に対する答えである。
    歴史家は現在の一部であり、歴史的事実は過去に属しているために、過去と現在の相互関係というのがクローズアップされたのである。

    これらを踏まえて、本の著者であるE.H.カーの「歴史とはなにか?」に対する答えが紹介される。

    その、あまりにも有名なその一節はこうだ。

    「歴史とは歴史家と事実との相互作用の不断の家庭であり、
    現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である」


    また、本書では歴史学を科学的なアプローチで追求する方法も紹介されている。
    「歴史的事実というのは、それ自体が特殊性を帯びた事実である。この特殊な事実に対して歴史家は一般性を見いだすことによって科学となりうる」と。この手法によって歴史的事実から解釈をうみ出すのは他の科学的手法と何らかわらないと説いている。

    この考え方は、自己意識の発展を説いたデカルトの言葉になぞられる。
    「人間というものを、ただ考える事が出来るだけではなく、自分自身の考えについて考える事ができる存在として、観察の動きをしている自分を観察し得る存在」

    歴史が神学・文学にならないためにも、歴史と自己に対する二重の客観性が求められるのが歴史学といえる。
    そして、歴史が過去と未来との間に一貫した関係を打ち樹てる時にのみ、歴史は意味と客観性とをもつことにり、過去の諸事件と次第に現れて来る未来の諸目的との間の対話へと発展させることができるという。

    私たちがどこから来たのかという信仰は、わたしたちがどこへ行くのかという信仰と離れがたく結ばれており、これこそが歴史に問い続ける我々の究極的目的なのではないだろうか?
    本書でE.H.カーは、「未来に向かって進歩するという能力に自信を失った社会は、やがて過去におけるみずからの進歩にも無関心になってしまう」と歴史を学ぶ意義を逆説的に説く事で、歴史という遺産が未来へどう活かされるかを端的な言葉で表わしている。

    最後に、本書で印象深かったクローチェの言葉を引用しておく。
    「非難する時に我々が忘れてしまうのは、我々の法廷は現在活動している危険な人々のために設けられた法廷であるのに、被告たちは既に当時の法廷で審されて、二度も有罪とか無罪とかの判決をうけることはできないという大きな違いである。〜中略〜歴史の物語するという口実で裁判官のように一方に向かっては罪を問い、他方に向かっては無罪を言い渡して騒ぎ廻り、これこそ歴史の使命であると考えているひとたちは、一般に歴史的感覚のないものと認められている。」

    本旨とは関係ないのだが、大衆の非合理性を理解し利用して目的を達成する場合の方法として、オスカーワイルドが名づけた「知性より下のところを狙う」は非常に興味深かったです。

  • 極端に傾かない、穏当な、中庸な結論を紡ぎ続ける。これが教養であり、健全な懐疑主義であろう。

    とりわけ偉人と歴史の関係、科学なかんずく物理学と歴史学のアナロジー、善悪の判断についても歴史的という議論は興味深い。

  • 本書で述べられた内容をカー自身に当てはめるなら、やはり二度の大戦という悲劇の経験こそが彼の主張を形成していったのだろう。つまり、歴史とは絶えざる進歩と理性の向上だろ思われていた20世紀以前の認識から、時代を経てもなお人間は過ちを続けるのだという反省と認識への転換が求められたのが彼の生きた時代であったのだ。「言葉を使うこと自体が彼に中立的であるということを禁じているのです」とは歴史学に関わらず重く響く言葉である。例え世界が絶えざる恣意的な解釈の集合体であっても、せめてそれを自覚することはできるのだから。

  • 大学時代、国際政治学の授業で配られた「おすすめ書籍」のレジュメを発見し、その1番上に書いてあったので購入。

    本書が説いている「歴史と対話する」姿勢は、膨大な情報を浴びている現代人にも不可欠なものだ。
    目新しい主張ではないが、これまで漠然と頭にあったものが言語化されるような感覚になった。

    初版が1962年の古典のため難解な和訳があるが、そもそも連続講演を編集したものなので比較的読みやすいし、登場する著名人についてもカッコ書きで簡単な説明もあるのが優しい。

  • ビジネス本の読書会にて

    「 歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。」

    深い言葉だ。歴史的事実一つをとっても「現在の歴史家」というフィルタを通してみるしかなく、歴史家の数だけ事実が存在し得る。

    実はこの本、昭和30年台に父が購入したもので所々に鉛筆の線が引いてあり、冒頭紹介した語句にも引いてあった。さらに言えば、この本は大学で哲学を学んでいる息子が祖父のところにいったときにもらってきたものだが、存在を知らず、今回の読書会に行こうとしていたときに息子から存在を知らされたもの。親子3代に渡って同じ本を読むことになり感慨深い。

  • 歴史とは恣意的なものであるという考え方は心底納得できるし、万物に主観が介在しているという理解にも繋がったし本当に良いことしか書いていないな。良くわからない御託並べてる暇があったら客観性を帯びた主観から学ぶしかねぇ。人生において影響を与えられた本の一つ。

  • 歴史哲学の名著らしいのだけど、自分には畑違い感もあり、正直敷居が高くて厳しかったか、短い本なのにの読み終わるまで数日かかった。何にせよ、示唆に富むフレーズもところどころあり、ふむふむといった感じ。しかし、このレベルのものを読み込むための、その土台となる教養的部分が不足しているのを気付かされる…。

  • 歴史本を読む前とりあえずという形で手に取った。学習者の心持ちとしては歴史書に書いてあることが覚えるべき事実であるのだが、歴史家としては有り余る事実の中からどのように取捨選択していくか、この過程そのものに価値と事実が入り交じっているという内容が本書にあった。名著といわれる本も当時の世相・価値観から逃れられないというわけだ。進歩している歴史という観点からでは常に新しい歴史は過去の観念をも含みグレードアップしている前提になる。こうなると最新の歴史書を読むべきか、とも思うが評価が確定されるのにも年数がかかるし名著を書く人物はそうそういないものだ。本書もかなり古いが未だに現役である。

    因果関係における重要性の部分では交通事故を例にして紹介している。これは私のような懐疑論者にとっては納得のいくものであった。歴史を教訓すれば何を原因とすべきかの価値判断は明白になる。
    日常的例にそって歴史とは教訓であり、教訓とは一般化であり、言語化する時点で既に一般化している、という記号論の話しまで飛ぶ。そして、そこまで個別の特殊的ものを特殊的と捉えることを要求されては話が進まないというのも頷ける。
    このように観念論的なものを一般的な例に例えて実践では役に立たないと論破するのはなかなか気持ちいい。

    訳以外はなかなか面白い本。訳についてはネット上に原文と照らし合わせた再訳があるのでそれを参考にすれば補える。

  • 拾い読み
    「先ず歴史家(地位、動機、国家的社会背景、未来観(p209))を研究せよ」
    「原因の多様化(一つの事件について幾つかの原因を挙げる)と単純化(究極原因を見るべきか、あらゆる原因の中の原因と見るべきか)とを通して仕事を進めねばならぬ(p133)」

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