異文化理解 (岩波新書 新赤版 740)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004307402

作品紹介・あらすじ

IT化、グローバリゼーションが進み、日常的に接触・交流が増大した「異文化」を私たちは理解しているだろうか。異文化間の衝突はなお激しく、ステレオタイプの危険性や文化の画一化がもたらす影響も無視できない。文化人類学者としての体験や知見を平易に展開しながら、混成化する文化を見据え、真の相互理解の手掛かりを探る。

感想・レビュー・書評

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  • 私の周りには仕事柄、沢山の外国人がおり、最近はコロナ禍も明け海外からの旅行客が原宿や秋葉原にひしめいてる。顔だけ見ていると日本人だと思っていても、近付いて連れ立った人との会話を聴いた時に中国人や韓国人と気付く事も多々ある。偶々今日は表参道辺りを歩いていたのだが、少し前から歩いてきた女性2人の会話が如何にも英語か何かに聞こえたので、てっきり海外の人かと思ったら、すれ違いざまに聞こえた会話は確かに日本語だった。私が歳をとったせいだからそう思うのか、日本語にしてはかなり発音も聞こえてくるトーンも崩れて、耳慣れない音に聞こえてしまった。日本語の崩壊が怖い。
    本書を読む以前から、日本と異なる文化への理解はある程度ある方だと自分では思っていた。若い頃からアジアを始めアメリカやヨーロッパ、中国など沢山の国を訪れ異なる言葉にも風景にも文化にも宗教に慣れてきていた気がするが、やはりどこか理解に苦しむ行動や行為にぶつかり、時にはあからさまに嫌な顔をしてしまった事もあった。それは今でも変わらない。
    文化とはそもそも何か。これまで私の捉え方は、表面に現れる行動、特に宗教的な側面が強く出る祈りや食生活によく現れている部分ばかりを見ていた。当然言葉も違うから、意思の疎通が十分できていたかは判らない部分が多いが、食事をする際には作法から料理のチョイスまで気を遣った事は記憶に残る。仕事の付き合いになってくると、頻繁に感じるのは考え方の違いだ。指示する側になると当然相手が理解できる内容に落とし込まなければ、納得感ない仕事となり成果に如実に現れてしまう。だから極力相手の文化や国柄、考え方を汲んでおこうと努力するが、結局先ほどの言葉の壁もあって有耶無耶のうちに進めてしまう。
    考え方の違いも文化的なものが大きく影響すると思うが、文化はどの様に形成されるのか。この疑問に答えるヒントの一つに本書はなり得ると感じる。特にグローバリゼーションという言葉と共に異文化交流が進められ、インターネットをはじめとした通信技術が加速度的に進む今日に至っては、ニュース映像よりも早く動画サイトで異国文化を入手できてしまう。そこに海外からの人流も加わって、映像や書籍の様な間接的交流に直接交流までもが加わり、さまざまな自分と異なる存在を感じる事が容易になった。いや、特に情報を取りに行こうと意識せずに勝手に感覚に触れてくる様になった。
    本書はそうした状態から、改めて自国の文化に戻る流れについても触れるが、アメリカのトランプに代表される様な極端なナショナリズムの流れや、ロシアによるウクライナ侵攻を早くも予言する様な文面も多く出てくるので、2024年になった今からすると2000年前後に描かれた本書は異文化理解を掲げながらも、筆者が完全な理解が難しいことを当初より示唆していた様にも感じる。サミュエル・ハンチントンの文明の衝突が描いた未来に賛同するしないに関わらず、結局は似た様な状況に陥っていく現在。

    本書を読んで文化は水彩絵の具の色の様なものだと感じた。異なる緑、赤、青がそれが明確な違いだと解りつつも、画用紙に垂らした絵の具が縁で混じり合い紫やオレンジ、黄色など別の色にグラデーションしていく。青の隣には紫があり似た様な色合いを見せるが画用紙の反対側にはまだ塗られていない白や別の色が存在する。画用紙の上に水でも垂らそうものなら近くに塗った色同士が混ざり合い新しい色合いを描きだしていく。日本が中国から漢字や儒教を取り入れた様に、仏教が元を辿ればインドにあった様に、まるで絵の具の色の様に他の色を変えていく姿を思い浮かべる。高度に情報が行き交い流通し始めた現在、そして将来の世界が、全ての色が混ざった状態、何もない黒に塗りつぶされた様な画用紙にならない事を祈りたい。

  • 第18代文化庁長官青木保氏が、文化庁に就任される前に書かれた本。筆者の経歴、本のタイトルからして、まさに「異文化理解」の王道の教科書といったところだろうか。

    ”いい意味”で思ったのとは違う内容だった。文章は平易で、実にわかりやすい。異文化理解の概念をただ説明するのではなく、筆者の異文化体験(タイでの僧修行)など、エッセイのような内容も含まれており、楽しんで読むことができる。しかしその一方で、筆者が最初に「文化は重い」と、定義されたところに、ある種のショックを受けた。異文化を理解するということの深さ、難しさについて考えさせられた。グローバル化社会といわれ、誰もが簡単に他国を理解できると思いこまされていることに警鐘を鳴らす良書だと思う。

  • なんとなく理解、何回も読む必要ある。
    文化と言語が繋がった1つの文化である。

  • みんな違って みんないい
    ではなく
    みんな違って 大変だ
    (平田オリザさん)
    を 強く実感させてもらえる一冊

    誰しもあるところだけれど
    自分がいるところ、場所、やり方
    がついつい当たり前だと思ってしまう
    ところが、ちょっと考えればわかることだけれど
    そんなことって めったにありませんよね

    ついこの間も
    アメリカから初めて日本に来た友達が
    日本の路上に乱立する自動販売機の数に
    ものすごく驚いていました
    そんな身近な例もさることながら
    その国の文化とはまさにその国に身を置いて
    初めて見えてくることがほとんど
    私たちは周囲を海に取り囲まれ
    陸地続きの異国が隣にはない
    この日本という特別な国に暮らしていることを
    改めて実感させてもらえた一冊です

  • 備忘録的にメモ。
    それまで西対東のイデオロギー対決が何より優先され、その他の疑問や不満は抑えつけられていた状態だった。この「タガ」が外れたことが、昨今世界各地で頻発する紛争や内戦のきっかけである。ヒトやモノの移動が容易になり、情報の流通も飛躍的に増大している一方で、固有の文化・宗教・民族による対立が先鋭化の傾向がある

    日本は第二次大戦後、西側の一員として資本主義、自由主義で運営されてきたが、一方で、最も成功した社会主義国家と評価されることもある。言葉や宗教、生活習慣など、異文化を取り入れ同化させる許容性がある一方、共同体の閉鎖性、境界外のものへの警戒心が小さくない。

    「王の身体説」王(日本では天皇)の生命と社会活動で最も重要な時間(時代)が一体化している。王が無くなると国力が弱まると信じられており、実際に経済活動が自粛停滞するなどの現象が見られる。

    日本では宗教活動でよく見られるような「境界の時間」の考え方が薄れている。お祈りの時間、ラマダン、日曜礼拝など。毎日の中でゆっくりお茶を飲む習慣やランチ〜シエスタなどの境界の時間もない。緊張した状態が継続することや区切りが無いことで意識変化の機会を失うなどの弊害が。成人の日(儀式)が形骸化していることなどに良く現れている。これに代わって新人研修などがこの役割を担っているが、これで良いのか。

  • 高校生?大学生?くらいのときに買ってずっと読んでなかった、新書って慣れてないと読みづらいしめちゃくちゃ眠くなる…ので時間かかった…泣
    筆者がタイの僧侶になった話と、あとがきの味の素の話が面白かった。こういう形でもっと身近に異文化理解が進められるきっかけがあれば楽しそうだなー。数人の話だけ聞いてそれが文化だ!と思い込んでしまうこともそれはそれで怖いけど
    正しい異文化理解とは一体なんなのだろう…

  • 関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
    https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB00118265

  •   異文化を学ぶ意義について考えさせてくれる。異文化の接触は、自分たちがこれまで常識だと思っていたことを解きほぐしてくれる。具体的には各国の祝祭、儀礼に触れることで、近代的価値観(時間や空間など)を一時的に無効化させてくれるのは興味深い。現代人がいかに近代的価値観に支配されているのかを確認できるのは良い機会であろう。
     また文化には、言語的コミュニケーション、非言語的コミュニケーションの二つが存在する。このうち後者は、容易に翻訳できるものではなく、そのうえ、馴染みのない者がすぐに理解できない。すなわち、ちょっとした学びで、異文化を理解したと思い込んでならない。むしろ、じっくりと時間をかけて、徐々に理解できるものだと心がける必要がある。
     さらに、最終章で21世紀における文化の力について言及している。これまで各国は軍事力、経済力による制圧、すなわち「ハード・パワー」による競争があった。ところが今世紀においては、各国が固有に持つ文化を魅了する、すなわち「ソフト・パワー」の重要性を著者は説いている。そういう意味で、日本特有の文化を保持し、それを多くの国々に良い方向へ作用するように働きかけるのは、他国と関わるうえで重視すべき要素なのである。

  • 異文化理解とは何か自分の中で定義ができるきっかけとなる本だった。
    異文化理解とは、自分の殻から出て、その国に染まること。そして自分の国をみて理解すること。

    それぞれの国には必ず急所のような部分があり、そこを押さえることでスムーズな理解ができる。(タイ→仏教など)

    • にじさん
      異文化理解の本質を知ることができた。異文化理解とは自分の国の殻を破ってその国に飛び込むこと。その中でそこから自分の国を見つめ自分の国の理解を...
      異文化理解の本質を知ることができた。異文化理解とは自分の国の殻を破ってその国に飛び込むこと。その中でそこから自分の国を見つめ自分の国の理解を深めること。その国の急所となるポイントを掴むことでその国の本質が見えてくる。
      2022/11/13

  • 青木保 「異文化理解」 文化人類学の立場から 異文化理解の必要性を説いた本。知による世界平和は人類史的な視点しかないと思う

    著者は 異文化理解を通して、ハンチントン の文明衝突論(異なる文明間の衝突は避けられない)を超えようとしている

    この本のテーマ
    *イデオロギーでなく文化という切り口で世界を理解する
    *私たちは自文化と異文化の狭間で生きざる得ない
    *異なるものを取り入れることにより、自分たちの生活が豊かになる


    異文化理解の方法として、異文化と自文化の境界(場所的境界、時間的境界)の認識を重視している。特に ディアスポラの人々(どの文化にも属さず、文化の境界に生きる人々)の視点が印象に残った





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著者プロフィール

1938年東京都生まれ。文化人類学者。東京大学大学院修了、大阪大学で博士号取得。東南アジアをはじめ各地でフィールドワークに従事。元文化庁長官、大阪大学名誉教授、前国立新美術館館長。主な著書に、『儀礼の象徴性』(1985年、岩波書店、サントリー学芸賞)、『「日本文化論」の変容』((1999年、中央公論新社、吉野作造賞)などがある。

「2023年 『佐藤太清 水の心象』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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