善と悪: 倫理学への招待 (岩波新書 新赤版 1039)

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  • / ISBN・EAN: 9784004310396

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  • えーん難しいよう……最後まで読めなかった

    ・善悪、いい悪いの判断は「人々のニーズを満たして快を与えるか否か」に帰着する
    ・道徳判断は判断の論拠や前提の吟味によって、判断が訂正されうると言う意味で、法的判断に似ている
    ・自分は特別なのでたとえ相手を痛めつけようが許されるし、それがお互い様ということは自分に適用はし兼ねる、という主張。人は他者との関わりの中でしか生きられないということから、これは人間のすることではない。

  • 【書誌情報+内容紹介】
    書名:善と悪――倫理学への招待
    著者:大庭 健[おおば・たけし] (1946-2018) 倫理学、分析哲学。
    通し番号:新赤版 1039
    ジャンル:哲学・思想
    刊行日:2006/10/20
    ISBN:9784004310396
    Cコード:0212
    体裁:新書・並製・カバー・234頁
    在庫:品切れ

    「善」「悪」を判断する根拠とは何か? 大問題に最新の分析哲学の手法で挑み,倫理学の基本を解き明かす.

     道徳的にみて「善い」「悪い」という判断には,客観的な基準はあるのか? 「赤い」「青い」などの知覚的判断や,「酸性」「アルカリ性」などの科学的判断とはどう違うか.その基準となる「道徳原理」とは? 気鋭の倫理学者がソクラテス以来の大問題を,最新の分析哲学の手法を用いて根本から論じ,倫理学の基本を解き明かす.
    https://www.iwanami.co.jp/book/b268858.html


    【目次】
    まえがき [i-v]
    目次 [vii-xi]


    第一章 道徳判断とは 001
    § 生きていくことと、選択すること 002
      どれかを選び、それ以外を捨てる
      選ぶときの基準
      「いい・わるい」という語法
    § 「いい・わるい」の多義性 005
      心地よくさせる
      「快・不快」という語の再定義
    § 道徳的な「善意」 007
      「気分がいい」という表明の論拠?
      「いい時計だ」という判断の論拠
      道徳的に「善い・悪い」と判断する論拠……
    § 道徳判断の特徴 012
     1 道徳判断は、感情の表明に似ている 012
      感情の表明と判断
      感情を表明する文の真偽
      そう感じた理由
     2 道徳判断は、知覚判断に似ている 015
      反応依存的な性質
      道徳判断と知覚判断の違い
     3 道徳判断は、法的判断に似ている 017
      原則をもとにした推論
      自然法から実定法へ
      道徳の文化的相対性
     4 道徳判断は、結局は無根拠……? 0
    21
      神の死
      善悪の彼岸……
      すべては私の選択しだい……?


    第二章 「善し悪しは、その人しだい」とは? 025
    § 「お互いに」という相互性を超えて……? 026
      善悪の彼岸での、生の充実
      自己特権化
    § 自分が主語のときは、「痛い」の意味は特別……? 029
      「痛い」という言葉の意味
      主語が違えば、意味も異なる……?
      感覚・知覚の秘私性
    § 知覚経験の秘私性 033
      見え方は、人によって違う……
      スペクトル転換は何を帰結する?
      スペクトル転換もお互いさま
      自分についてだけ適用できる言語?
    § 私は、善悪の区別の外にいる特別な存在だ……? 037
      痛みを与えるのを控える理由
      私という特別の存在……
      世界を見ている私は、世界の中には見えてはこない
      世界の全事実の完全な記録
      私が特定人物であることには何の根拠もない
      相互性の次元の外へ
      遠足日誌
    § 特定の視点からの世界描写 045
      私のいう「ここ」は、あなたにとって「そこ」
      同じ事実の異なる描写
      「Nくんは、君だ」という相互的な対応づけ
    § 対応づけるという実践 050
      二つの描写の対応づけ
      二つの言語にまたがる同一性
      対応づけという実践の事実
      世界を描くための足場
      何の足場にも立っていない……
      相互性の圏外への存在論的亡命
      存在論的亡命という無理筋
    § 人間として生きる 057
     1 理由(わけ)が分かる・共に生きていける 057
      行為・態度の理由
      理由の理解可能性
      評価と、行為・態度の理由
      理由の有無と善悪
     2 対他存在としての私 061
      それは、私/あなただ
      対他存在
      相手は応じてくれている
      経験の自己-中心性
      かけがえのない存在の承認への欲求
    § 存在の相互承認 066
      対他存在の肯定
      相互性の顧慮による抑制
      善し悪しの区別の共有


    第三章 道徳判断の客観性 071
    § 事実判断の客観性 072
      客観性と間主観性
      道徳判断の客観性……
      道徳判断は、たんに間主観的……?
    § 反省的均衡の追求としての学 075
      知覚判断と理論的判断
      観察と理論の反省的均衡
      反省的均衡の模索としての倫理学
    § 観察の説明 079
      科学における理論と考察
      観察がなされたということの説明
      悪いという性質の実在性?
      道徳的な特性の因果作用
      道徳的な特性の特徴
    § 投影主義 086
      ヒュームによる診断
      科学的実在論
      道徳的感受性
      道徳判断は真偽を問いうる
    § 道徳の説明と、道徳への態度 091
      投影と、対象による制約
      「神は投影の所産」
      存在しない神に祈る……?
      説明と実践の独立性
      食い違いと間違い
      対象の側からの制約


    第四章 行為・人柄の評価と実践 099
    § 反応依存的な特性の還元可能性 101
      反応依存的性質の還元
      物性への寄生
      還元できないが、たんなる表出ではない
    § 実践に参加している視点 104
      ゲームに特有の言語
      実践に内在的な言語
    § 投影と性質の循環 106
      情趣的性質の描写
      投影主義による循環の説明
      反応の適切さ
    § 「たがいのために作られている」 109
      心理状態と対象との相互依存
      鑑識眼の成熟
    § 希薄な評価語と濃密な評価語 112
      記述的な意味の濃淡
      濃密な評価語の役割
      濃密な評価語の用いられ方
      心構えと性質の相関
      価値判断の真偽
    § 性質とパターン 118
      パターンと【もの】
      パターンの実在性
      パターンの複雑性の違い
      パターン認識の理論負荷性
      濃密な評価語の使われ方
      濃密な評価語の普遍性
    § パターン認知のコンテキスト 125
      行為・態度のパターンの認知
      濃密な評価語で表されるパターン
      評価語の適否を定めるコンテキスト
    § 気づかいという関心 128
      濃密な評価語のコンテキスト
      気づかいという関心
      気づかいの汎文化性
      濃密な評価語な使われ方の多様性


    第五章 美徳と悪徳――呻きの沈殿と、共感 135
    § 個人的徳目とシステム 136
      美徳/悪徳の失効……?
      システムによる徳目の代行……?
      各システムに固有のコード
      個人的信頼とシステムへの信頼
      システムと心の世界
      システムと心の痛手
      聞き取られることのない呟き
    § 想像上の立場交換 145
      私には見えないが、相手には見えている
      相手に映っている自分を想像する
      想像上の立場交換と共感
      共感してもらえなかった呻きの沈殿
    § 共同主観的な沈殿と「第二の自然」 150
      生きられている道徳
      共感と理由
      共同主観的な沈殿
      「新たな創造」


    第六章 諸々の徳性と善悪 157
    § 徳性の判断の食い違い 158
      徳性の認知の食い違い
      同じ文化のなかでの食い違い
      徳性の認知の実践的重要性
      徳性の認知と行為する理由
      徳性の認知と、行為の理由の間のひび
      徳性のバッティング
    § 善と悪の区別 166
      徳性から善悪の問へ
      諸徳性に通底する善性?
      災いと悪
      悪とは善の欠如ではない
      悪の輪郭
      人間にとって本質的なもの
    § 痛めつけられる苦悩 173
      このまま・いていい、という承認
      人間の存在の毀損
      いわれなき苦悩
      悪いと思ったことを慎む
    § 「善意」と諸々の徳性 177
      善・悪という概念の抽象性
      善悪の実在性
      善悪の識別
      観察と理論の擦り合わせ


    第七章 道徳原理 181
    § 推論と原理 182
      判断と原理
      科学の法則と道徳原理
    § 普遍化可能性 184
      原理としての一般性
      普遍化可能性
    § 不偏性 187
      特殊な前提に依存していない
      不偏の観察者
      道徳原理
      いわれなき苦悩
    § 最大多数の最小苦悩 191
      苦悩を減らすが、善いとは言い難い行為
      量・程度の限定にとどめる
    § 所得格差の道徳的是非――ケース・スタディ(1) 193

    § いのちの選別の道徳的是非――ケース・スタディ(2) 196
      中絶を正当化する論拠
      全体的帰結と苦悩の深刻さ
      生きているべきではない、とされる辛さ
      障害の深刻さの流動性
      線引きは、どんどん滑りうる
      社会全体にとっての帰結
      いのちの所有?


    終わりに いい人生と、よく生きること 207


    文献案内 [213-214]
    あとがき(二〇〇六年八月一五日 大庭健) [215-220]

  • ペラパラ読み

    倫理学は向いていないのかもしれない。

  •  何が「善」で何が「悪」かという人間の永遠のテーマを扱った本。

     時代や地域によって「善悪」、「正邪」の線引きが異なることは言うまでもないが、その線がどのような判断に基づいて引かれたかということに考えが及ぶ人はあまりいない。胎児の中絶を、善とは言えないまでもやむを得ないと判断する人もいれば、中絶=人殺し=悪と捉える人もいる。

     そもそも、「善悪」、「正邪」は「丁寧」、「無礼」といった濃厚な評価語と異なり、稀薄な評価語(時代や地域によって線引きがまちまち)である。それでも通底する部分を探せば、「悪」とは、「人を痛めつける言動」、「価値ある者の剥奪」、「欲求の充足の妨害」、「基本的権利(人権)の蹂躙」という点に落ち着きます。そして、「善」はそういった「悪を認識・自覚すること」。その判断基準がまちまちだからこそ厄介なのではあるが。

     著者は第7章で善悪の輪郭を、

    1.「善・悪」をめぐる私たちの道徳判断の岩盤は、「誠実・不実」「親切・冷酷」といった特性の認知にある、
    2.そうした徳性は、”間柄によって支えられもすれば痛めつけられもする人間のありようへの気づかい”によって見分けられるコンテキストで、浮かび上がってくる行為パターンである、
    3.したがって、そうした徳性は、物性には還元できないが、私たちが正しくあるいは誤って認知する実存的な性質である、
    4.「善・悪」は「誠実・不実」「親切・冷酷」といった諸徳性とならぶ、もう一つの徳性ではなく、むしろ諸徳性をも総括する、したがってより抽象的なパターン概念である、
    5.したがって、善悪の見極めには、普遍化可能性・不偏性をみたす道徳原理が必要となる、

    としている。善悪の判断には特定の思想や文化、イデオロギーに依拠せず、どこでも、だれもが納得できるような基準が必要ということになる。何だか平凡な感じるが。

     「普遍化可能性・不偏性をみたす道徳原理」をどのように作り出すか、というところに言及してほしかったと考える私には少々物足りない。

     絶対的な善悪の基準はないが、我々がどこに善悪の判断基準を置いているのか省察することを怠るのは賢明ではない。それを探るためにはある程度有益な本だった。

  • [ 内容 ]
    道徳的にみて「善い」「悪い」という判断には、客観的な根拠はあるのか。
    「赤い」「青い」などの知覚的判断や、「酸性」「アルカリ性」などの科学的判断とはどう違うのか。
    その基準となる「道徳原理」は、どのようにありうるか。
    ソクラテス以来の大問題を、最新の分析哲学の手法を用いて根底から論じ、倫理学の基本を解き明かす。

    [ 目次 ]
    第1章 道徳判断とは
    第2章 「善し悪しは、その人しだい」とは?
    第3章 道徳判断の客観性
    第4章 行為・人柄の評価と実践
    第5章 美徳と悪徳―呻きの沈殿と、共感
    第6章 諸々の徳性と善悪
    第7章 道徳原理
    終わりに いい人生と、よく生きること

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 倫理学演習で使った本。

    人は「善い」「悪い」をどうやって決めるのか?
    「よく生きる」にはどうすればいいのか?

    入門書だし、読みやすい。

  • 前半は結構面白く読めたが、
    後半はまあまあだった。

    この本のテーマを一言で言うと、
    「道徳の規範性はどこからくるのか」である。

    道徳判断は相対的であり、反応依存的であると同時に、
    対象の側から何かしらの制約も受けている。
    この相反する2つの要素を備えた道徳の特性を、
    投影主義や科学との類比、パターン認知などを通して、
    著者は紐解いていく。

    そもそも投影主義とは、
    「当人の主観的な心理状態が、
    あたかも対象の特性を認知したかのように、
    対象に投影される」(p.107)という立場を取る。

    だが、
    どのような心理状態が投影されたのか、
    という点を説明するには、
    投影の結果とされる特性の概念を引き合いに出す必要が生じ、
    循環が起きてしまう。
    そこで、この循環を解決するために出てきたのが、
    「パターン認知」と呼ばれるものである。

    私が物足りないと感じたのは、
    規範の問題をパターンの実在性によって
    ごまかしている点である。
    つまりパターンを、
    投影主義のような「個人の心的過程」ではなく、
    「共同主観的な過程」に位置づけることで、
    規範性もしくは道徳の客観性を確保しようとしているのだ。
    ここの議論は、
    前半部分での議論の流れを考えると、
    あまり納得いかなかった。

  • 善と悪の判断って単純なもんじゃない。

著者プロフィール

1946年 埼玉県浦和市生まれ
[現職]専修大学文学部教授
[著書]『権力とはどんな力か』勁草書房,1991。『自分であるとはどんなことか』勁草書房,1997。『所有という神話―市場経済の倫理学』岩波書店,2004。『責任って何?』講談社,2005。『善と悪』岩波書店,2006。他多数

「2008年 『職業と仕事…働くって何?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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