「お墓」の誕生: 死者祭祀の民俗誌 (岩波新書 新赤版 1054)
- 岩波書店 (2006年11月21日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (210ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004310549
作品紹介・あらすじ
「お墓」とは何だろう。伝統的な祖先への敬愛の表現か。家制度の因襲か。各地のお盆、葬儀、埋葬、墓参りなどの、死者にまつわる儀礼や祭祀を丹念に観察していくなかで、石塔の「○○家之墓」もまた別の相貌を見せてくる。嬰児の死の扱い方や、戦死者の処遇をも視野に入れながら、民俗学から見た死者祭祀のありようを探る。
感想・レビュー・書評
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(01)
柳田周辺の両墓制(単墓制、無墓制)の批判を中心に展開されている。その代替となる分類としてX型、Y型、Z型(*02)が提起されているが、妥当性についてはあまり頷けない。両墓と単墓を著者は同質であるとしているが、例え、同じ遺体を埋葬し石塔(*03)を建立する型と括っても、埋葬地と建立地の長短の差は決して小さくはないと考えられるし、その両地点に生ずる微妙な差異が霊魂の行方やそこに詣る人々の方向を示すようにも思われる。
また、カロウトは墓あばきに類し、埋葬とは異なるという主張もそれほど自明ではないし、遺体に霊魂が附着し遊離しないとする根拠を見出すのも苦しいように思う。
(02)
それでも類型の単純化から漏れる胞衣や嬰児や間引きの被害者、子ども、戦死者などのお墓に触れているのはフェアであるし、お盆の儀礼、葬礼、土葬について実際に採取された民俗の記録については、公正で確かな視点が認められ価値がある。
(03)
いわゆるお墓の石塔だけの分析にとどまっているのは、この死者祭祀のテーマに対しては視野が狭い。古墳の石葺、賽の河原と呼ばれ人為的な石置や石積がなされた場所、賽の神や石仏といった石造物や自然石の崇拝、また盆行事でいえば花火の意味などまで言及されれば、おそらく別の考察がなされたようにも思う。
また、メッパジキやオーカミハジキの貴重な採取があったにもかかわらず、柵上に建てられた木製の塔婆との類比にまで筆が及んでいないことに不足を感じる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
屋敷墓のあるお宅のお仕事をやることになったので、ちょっとお墓について知りたくなりました。
両墓制、単墓制という言葉から初。
土饅頭、カロウト…知らない言葉ばかり(汗
近そうで、知らない世界。
母方の実家のお墓は、足の踏み場にも困るような感じで、密集していて…
小石で丸く範囲を示した場所に、ごく簡単に土饅頭があり、卒塔婆が建てられているようなところでした。
場所を覚えていないと絶対にたどり着けない。。
もう整理されて、場所を移動したのですが、その跡地は多分、宅地になっていると思われ…
死んだ後の身体と、元生者の魂(のようなもの)が分離する、という死生観があったから、火葬という埋葬方法も受け入れやすい土壌があったんじゃないかな。
死んだ人の魂(のようなもの)はこの世とあの世をわりと簡単に移動できて、
お盆になると帰ってきて、またあの世に戻っていく。
その前に物見遊佐に行ったりする…そんな地域もあるらしい。
なんていうか、死んでるのにとても人間的。
時間にも気持ちにも余裕ができたら、お墓の世界、ちょっと勉強してみたいです。
以上。 -
葬送における一般常識や固定概念を一つずつひも解いて、画一化された葬法が、実はそれだけでなく本当は多様な方法に富んでいることを示した一冊。
たとえば、お盆は8月13-15日に先祖祭祀のための期間だと言われているが、時期が8月上旬の所もあれば、7月中旬の所もある。供養の対象は先祖だけではなく、無縁仏や餓鬼仏も対象となっている。
お墓も、現代的なお墓の概念は「石塔を建てて」「その地中にカロートを作り」「その中に家族や先祖代々の遺骨を埋葬する」というものだが、必ずしもそれだけではない。元来日本は火葬よりも土葬が主流だったし、埋葬した上に石塔を設けないケースもたくさんあったし、埋葬は家族や先祖単位ではなく、個人単位で埋葬していた。といった具体的な事例。
現代的な墓制の概念は、江戸時代の寺請制度によるもので、寺院と檀家のいわば強制的なつながりを可視化するために発生したという論。そんなたかだか200年から300年程度の風習を永続的で普遍的なものとしてこだわることに違和感がある、というのが著者のスタンスである。
近畿地方には「両墓制」という埋葬の仕方がある。遺体を埋葬した「埋め墓」と、石塔を建立した「詣り墓」と、二つのお墓をお参りするのである。埋め墓は村はずれにあり、埋葬後2から3年もすればお参りしなくなる。あとは寺院境内や家の近くの石塔に手を合わすのである。そこには死者は眠ってはいない。
遺体埋葬は民俗事象で、石塔建立は仏教の影響にあるという。土葬は、近代的火葬場の出現によって火葬が主流となったために消滅していき、石塔だけが社会の中に浸透していった。
考察は、お盆、埋葬、石塔、葬儀、水子、戦没者という広がりを持っていて、現代的葬法の皮を剥いでいくという意味では、有為な一冊です。
ただ、単純に文章に面白みがない。私はたとえ学術書でも娯楽的センスって必要だと思っている。まあそれは贅沢をいいすぎか。
あと、著者なりの現代におけるあるべき葬法の提案みたいのがあればなおよかったと思う。 -
とても興味深く、面白かった。
時代劇に出てくる土まんじゅうと自分が行くお墓の間にある違いなんぞ、考えたこともなかったので、面白かった。
単墓制や両墓制という言葉すら知らなかったので、とても勉強になった。 -
お盆の儀礼から何が見えるか
「迎え火」「送り火」の一般常識と現実と認識のズレ
盆棚は先祖を祀るのか
葬送儀礼と墓
葬送儀礼における霊魂
埋葬と石塔建立のあいだ
「お墓」の誕生
画一化していく墓
「両墓制」から「カロウト式石塔」へ
共同幻想としての「お墓」
夭折者の墓と「お墓」
子供の墓
戦死者と「お墓」
靖国神社の問題と誤解
先祖代々墓と戦死者の「お墓」の異同 -
お墓とそれに纏わる民俗風習(葬儀やお盆)について、多くフィールドワーク成果を示しながら、現代の墓の形式に至った系譜を追及している。「○○家先祖代々之墓」と印されたどっしりした石塔に、火葬した遺骨を納めるのが、我々がイメージするお墓の典型だが、この形式が主流になったのは意外に新しく、江戸も後半というし、内部に納骨できる空間を持ったのは、さらに時代を下る事になる。ただし、ここまでの系譜は複雑で、埋葬するのが遺体か遺骨か?石塔があるかないか?埋めるのは墓碑の下か他所か?...等々様々なパターンがあり、しかも、地域や時代で多様性に溢れるのが想像に難くない。なかなか決定的な説は確立しないのではなかろうか。お墓の話からは余談だが、現代においても多くの日本人が死者の弔いを仏教式で行うのは、幕藩体制下のキリシタン禁圧と寺檀制度に、その理由を帰する事ができる事を勉強できた。
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「お墓」とは何か、
現在我々がそれと認識している「お墓」は
どのように成立したのか――が述べられています。
怖かったのは第四章、夭折者の埋葬の話。 -
フィールドワークが関東以西・以南ばっかりなのがちょいと残念。
関東以北も地方を回る(特にお盆)となかなか興味深いよー。 -
キリシタン禁圧と寺檀制度とのかかわり 圭室(たまむろ)文雄著「葬式と檀家」
著者は「お墓参りは遺体や遺骨に対してではなく、石製の物体に対して行われている」と主張 ?
戦死者多重祭祀と靖国神社の関係については、著者の日本宗教へ無理解がうかがわれる。