日本の近代とは何であったか――問題史的考察 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
3.72
  • (18)
  • (29)
  • (32)
  • (3)
  • (1)
本棚登録 : 403
レビュー : 45
  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004316503

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 日本政治外交史の泰斗による日本の近代論考。政党政治、資本主義、植民地に加えて天皇制についても述べられています。
    日本に憲法を導入しようと渡欧した伊藤博文に対し、プロイセンの公法学者グナイストは、社会の結びつきを強める機能を宗教に認め、「日本は仏教を以て国教と為すべし」と勧告します。
    対して伊藤は、既存の日本の宗教にヨーロッパにおけるキリスト教の機能を見出だすことはできず、「我が国にあって機軸とすべきは独り皇室あるのみ」との断を下します。「神」の不在が天皇の神格化をもたらしました。
    この伊藤の判断が、戦前においては天皇の神聖不可侵性に、戦後には日本国民の象徴へとつながっていきました。

    筆者は宮内庁参与として、象徴天皇を誠実に務められた平成天皇を間近で見てこられました。
    平成から令和へと時代は移っても、平和を願い国民の象徴を模索され続けた陛下の思いは大切に守っていかなければならないと再認識させてもらえた著作でした。

  • 途中で挫折しそうになったら、是非「あとがき」を読んで欲しい!

    筆者の目指す「青年期の学問」を経た「老年期の学問」について述べられており、その学問の大成として一般的なテーマについて〝総論〟を書き上げようと試みることが書かれている。

    また、かつて筆者が病を患った際に夏目漱石に触れたこと。
    大患期の漱石がウィリアム・ジェームズの『多元的宇宙』やレスター・ウォード『力学的社会学』を読み通し、批評までしていることに驚き、筆者自身も今回のテーマに繋がるバジョットの『自然学と政治学』を読んでみよう、と考える。
    こういう偶然の連なりってあると思うし、一冊の本を世に出す姿勢として、感動させられた。

    「序章 日本がモデルとしたヨーロッパ近代とは何であったか」
    「第一章 なぜ日本に政党政治が成立したのか」
    「第二章 なぜ日本に資本主義が形成されたのか」
    「第三章 日本はなぜ、いかにして植民地帝国となったのか」
    「第四章 日本の近代にとって天皇制とは何であったか」
    「終章 近代の歩みから考える日本の将来」

    バジョットの鍵概念「議論による統治」を下地に、自由なコミュニケーションの拡大としての「貿易」と、異質な文化とのコミュニケーションとしての「植民地」の二つの概念を抽出する。

    近代に踏み出した日本は、スタート地点から既に取り返せない程の差が付けられていた。
    そうして、社会的「機能」に重点を置き、国民をその「機能」を全う出来る労働者へと教育する。

    また、アジア唯一の植民地保有国となり、今日までその禍根は残るわけだが、西洋の遠く離れた植民地とは違い、日本のそれにはアジアという「地域主義」に目を向けられたものであった。
    それは冷戦時代には都合良く利用されるわけだが、今日のイスラム世界を見ていると、「国家主義」に席巻する力があるのではないかと考えさせられる。

    更に、西欧諸国におけるキリスト教を日本にはない「宗教システム」と見て、神の代理存在として「天皇」を象っていく。
    こうした「機能」だけを西欧に擬えても、そこに至るまでの時間や過程、つまり成熟?という部分を飛ばしてしまってもいる。
    明治維新で、日本が国として世界に存在意義を問うていかざるを得なくなったこと。
    この時代に生きる人達の、その切実さは胸に迫るものがある。しかし、歴史の流れが一つ断ち切られたように感じるものは何なのか。そこに、根本的な弱さが含まれているように感じてしまう。

    終章の問題提起も、面白い。

    「戦後日本は国民主権を前提とする『強兵』なき『富国』路線を追求することによって、新しい日本近代を形成したのです。……(中略)ところが『強兵』なき『富国』路線の自明性に根本的な疑問を投げかけたのが二〇一一年三月一一日に起きた東日本大震災と原発事故でした。」

  • 19世紀後半のイギリス人ジャーナリスト、ウォルター=バジョットの近代概念である「議論による統治」「貿易」「植民地化」といったキーワードに照らしながら「日本の近代とは何であったか」を考察した著作。

    以上の視点を踏まえて本書は

    ・日本がモデルとしたヨーロッパ近代とは何であったか
    ・なぜ日本に政党政治が成立したのか
    ・なぜ日本に資本主義が形成されたのか
    ・日本はなぜ、いかにして植民地帝国となったのか
    ・日本の近代にとって天皇制とは何であったか
    ・近代の歩みから考える日本の将来

    の各章から構成されている。

    近代日本の歴史的意義について「もし日本の近代に何らかの歴史的独創性を認めるとすれば、少なくとも東アジアにおいては、それが前例のないヨーロッパ化の実験であった」と述べられている部分は興味深かった。近代の日本には将来到達すべき目標はあっても到達するための過程や方法は不明だった。「ヨーロッパそのものは反復不可能な一回的な歴史的実態です。日本はそれをそのまま再形成することはできません。日本は自らをヨーロッパ化する実験に先立って、それを可能にするようなヨーロッパのイメージを持たなければなりませんでした」という箇所からは科学的な歴史観とでもいうような印象を受けた。

    ただ、自身の不勉強からくるものもあるだろうが、個人的には思っていたのと違う内容の展開のせいもあってハードルの高さを感じた。

  • 新書大賞2018年の第3位。
    第1位は先日読んだ『バッタを倒しにアフリカへ』で第2位は河合雅司さん『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』、この二つは僅差で、第3位以下に圧倒的に差をつけたそうです。

    しかしこの『日本の近代とは何であったか』は、
    有識者票だけのランキングにしたら、なんと第1位なんですって!
    有識者には『中央公論』に登場・寄稿する政治学者・経済学者が多く、その方たちが圧倒的に三谷さんの『日本の近代』を推していたそうです。

    内容は「政党政治を生み出し、資本主義を構築し、植民地帝国を出現させ、天皇制を精神的枠組みとした日本の近代。バジョットが提示したヨーロッパの「近代」概念に照らしながら、これら四つの成り立ちについて解き明かしていく」というもの。

    内容の素晴らしさもさることながら、著者がこの本の執筆を受けたのが出版の14年前で、10年前に大病を患い、12時間に及ぶ大手術と二か月の病院生活を経験、回復期に漱石の『思ひだすことなど』を読み、その姿を自身に照らし合わせ、バジョットを読み直し、無事にこの本を完成させたのです。

    三谷太一郎さんは現在81歳。
    そのあとがきを読んで、「有識者の皆さんは三谷さんの生き方にも共感しているのでは?」と思いました。
    私も、自分の身近の人を思い、物思いにふけっているところです。

  • 著者の三谷太一郎氏は、日本政治外交史を専門とし、東大法学部学部長も務めた政治学者・歴史学者。
    本書は、明治維新後の日本の近代化を、政党政治、資本主義、植民地化、天皇制という4つの切り口から考察したものである。尚、「近代」の概念については、19世紀後半の英ジャーナリスト・W.バジョットを引用し、「「慣習の支配」する「前近代」から、貿易と植民地化を変革要因として、「議論による統治」の確立したのが「近代」」としている。
    4つの切り口の主な分析は以下である。
    ◆政党政治・・・明治憲法下での体制原理ともいえる日本の立憲主義は「権力分立制」と「議会制」を基礎にしているが、幕藩体制の中に既に、「合議制」、「権力分散メカニズム」、「相互的監視機能」として、立憲主義を受け入れる条件が準備されていた。更に、明治憲法の特質であった分権主義的な体制を統合するためには、非制度的な主体の役割が求められたが、それは、藩閥と政党が自らの限界を認識した結果相互接近することにより、政党が幕府的存在化し、複数政党制が出現することになった。しかし、大正の終わりに本格作動した政党政治は、1930年代初頭には「立憲デモクラシー」から「立憲的独裁」に変質していった。
    ◆資本主義・・・明治維新後の日本は、外資導入に不利な不平等条約下にあったため、「自立的資本主義」に向かわざるを得なかった。それを可能にしたのは、①政府主導の殖産興業政策、②国家資本の源泉としての租税制度、③資本主義を担う労働力の育成、④対外平和の確保の4つであり、その「自立的資本主義」は、「消極的外債政策」、「保護主義的産業政策」、「対外的妥協政策」という特徴があった。日清戦争後~日露戦争時は、不平等条約の改正、金本位制の確立等を背景に、「国際的資本主義」に移行しつつ、外債依存度が増大したが、その後の世界恐慌、満州事変等により、各国で国家資本・経済ナショナリズムの台頭が起こり、国際的資本主義は崩壊した。
    ◆植民地化・・・日清戦争後、欧米の「自由貿易帝国主義(非公式植民地帝国)」に対し、まだ最恵国条款が得られなかった日本は「公式植民地帝国」を目指さざるを得なかった。満州事変後には、「帝国主義」に代わるイデオロギーとして「地域主義」が台頭してきたが、それは、「民族主義」の対立概念として、東亜新秩序を基礎付け、日本の対外膨張を追認・正当化する役割も担った。
    ◆天皇制・・・日本では、ヨーロッパ近代化の軸となる「キリスト教」に代わるものとして、「天皇制」が位置付けられた。「天皇制」は、聖俗が分離したヨーロッパと異なって、それらが一体化したものであった。天皇の「神聖不可侵性」は、明治憲法では明確化することはできず、「教育勅語」で明示する策をとった。太平洋戦争後は、教育勅語が廃止されるとともに新憲法が施行され、天皇制の役割は変化した。
    そして、これからの日本が進むべき道として、「重要なのは各国・各地域のデモクラシーの実質的な担い手です。また、デモクラシーにとっての平和の必要を知る「能動的な人民」の国境を越えた多様な国際共同体の組織化です。すなわち国家間の協力のもとに、市民社会間の協力を促進する努力が必要なのです」と結んでいる。
    日本の近代化を振り返るとともに、現在世界で進む「立憲的独裁」に対して、「立憲デモクラシー」を取り戻す必要性について考えさせる良書である。
    (2017年5月了)

  • 近代とは?果たして日本は近代を受容できたのか?「三四郎」を読んで取りつかれた疑問に思考の枠組みを与えてくれました。不平等条約は、その後の日本に大きなくびきを与えます。西洋の近代という大きな津波を前に溺れるか浮かぶか、一瞬一瞬ごとに選択を迫られるような時代に立ち向かった先人の気概が伝わります。初めて知ることも多く非常に刺激的な読書でした。

  • 日本政治外交史の碩学である著者が、日本近代についての「総論」を目指して執筆した本。ウォルター・バジェットが提示した「議論による統治」を重視した「近代」概念を参照しつつ、「なぜ日本に政党政治が成立したのか」「なぜ日本に資本主義が形成されたのか」「日本はなぜ、いかにして植民地帝国となったのか」「日本の近代にとって天皇制とは何であったか」という4つの問いについて歴史的考察を行いながら、現在の日本が置かれている歴史的位置の確認を含めた日本近代についての総合的考察を試みている。
    骨太の日本近代史論であり、日本近代史の本質をつかむことができる一冊である。明治憲法下の権力分流体制とそれゆえの統合主体としての政党、自立的資本主義の発展の一つの条件としての明治前半期の戦争の回避、日本の近代を貫く機能主義的思考様式、西洋諸国における国家の基軸としてのキリスト教の機能的等価物としての天皇制といった本書の指摘は、日本近代史を理解する上で、目から鱗だった。
    ただ、終章で触れられている今後の日本の展望については、国際共同体に基盤を置いたグローバルな規模での近代化路線の再構築という内容に異論はないものの、歴史的考察からはいささか飛躍した論であるように感じた。

  • 途中で返却

  • 歴史

  • 近代国家形成に向けて日本がどう歩んできたのか、「政党政治の成立」「資本主義の形成」「植民地帝国の経緯」「天皇制とは」という4つの観点から学術的に説く。前近代において他国からの侵略、宗教の諍いが限られていた日本では、事情の異なる西欧の近代化を倣うにあたって試行錯誤が続く。植民地領有の理由については、西欧では経済的利益を求めたのに対し、日本では軍事的安全保障を求めたものであることが明確に示される。著者を極左と責める向きがあるが、現在の西欧での移民、難民の問題はもちろん、日本での近隣諸国との関係で精算しきれない問題は、それぞれが植民地帝国であったゆえの負の遺産であることを受けとめたい。そしてそれを教訓とし、未来というより常に今この時のありようを考えていかなければと思う。

全45件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

三谷 太一郎
三谷太一郎:東京大学名誉教授/日本学士院会員

「2016年 『戦後民主主義をどう生きるか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

日本の近代とは何であったか――問題史的考察 (岩波新書)のその他の作品

三谷太一郎の作品

日本の近代とは何であったか――問題史的考察 (岩波新書)を本棚に登録しているひと

ツイートする