イスラームからヨーロッパをみる――社会の深層で何が起きているのか (岩波新書 (新赤版 1839))

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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004318392

作品紹介・あらすじ

ヨーロッパとイスラームの共生は、なぜうまくいかないのか? シリア戦争と難民、トルコの存在、「イスラーム国」の背景。そしてムスリム女性が被るベールへの規制、多文化主義の否定など、過去二〇年間に起きたことを、著者四〇年のフィールドワークをもとに、イスラームの視座から読み解く。

感想・レビュー・書評

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  • 「イスラームからヨーロッパをみる」内藤正典著、岩波新書、2020.07.17
    270p ¥990 C0236 (2023.12.05読了)(2023.11.30借入)
    副題「社会の深層で何が起きているのか」
    ◆EUとトルコ
    1952年、NATO加盟
    1959年、欧州経済共同体との間で加盟交渉開始
    1963年、「準加盟国」調停に調印
    1996年、EUの関税同盟に参加
    1999年、正式加盟交渉の候補国になる
    2002年、コペンハーゲン基準に適合したと認められれば正式加盟交渉に入ることが合意された。
    「コペンハーゲン基準」とは、民主主義、法の支配、マイノリティの人権の保障、市場経済への対応など
    2004年、加盟交渉開始決定(キプロス共和国EU加盟)
    (北と南のキプロスが、統合されることがEU加盟の条件とされていたけど、統合が実現されないまま、EU加盟が承認されている)
    2005年、加盟交渉開始
    2006年、加盟交渉中断(トルコのキプロス共和国未承認がネックに)
    (加盟交渉開始時には、キプロス共和国承認は、加盟条件には入っていなかった。フランスはトルコの加盟を嫌ったらしい。)

    【目次】
    はじめに
    序章 ヨーロッパのムスリム世界
    1章 女性の被り物論争
    1 ムスリム女性の被り物をめぐって
    2 政教分離と被り物
    3 ヨーロッパ各国での状況
    2章 シリア戦争と難民
    1 難民危機
    2 難民問題の原点
    3 国際社会と難民
    3章 トルコという存在
    1 難民を受け入れた国、トルコ
    2 トルコのEU加盟交渉は、なぜ途絶したのか
    3 トルコの政治状況から読み解く
    4章 イスラーム世界の混迷
    1 「イスラーム国」とは何だったのか?
    2 アメリカによる戦争
    3 ヨーロッパと「イスラーム国」
    5章 なぜ共生できないのか
    1 ヨーロッパ諸国の政治的な変動
    2 ドイツ―さまざまな立場からのイスラームへの対応
    3 イスラームとヨーロッパ
    おわりに 共生破綻への半世紀
    あとがき
    関連年表

    ●イスラームの考え方(176頁)
    イスラームには、人種や民族によって人を区分する考え方がない。したがって、同じ民族から国家をつくるという民族国家の考え方はない。信徒の共同体(ウンマ)が国家をなし、そのなかのムスリムが国民ということになる。その頂点に立つのがカリフ(預言者の代理人)である。
    ●民族国家と移民国家(237頁)
    ヨーロッパ諸国は、アメリカ、カナダ、オーストラリアのように、もともと移民からできている国ではない。したがって、原国民以外の人間が定住することに強い違和感を示しやすい。その問題を避けるには、たとえばフランスのように、人種や民族や宗教を問わず、フランス共和国の理念に共鳴し、原則を遵守し、個人として共和国に参加するという論理を使うか、オランダのように最初から文化の多様性を保証する以外に国民として統合する方法はない。しかし、もともと血統にもとづく国民概念を採用してきたドイツの場合、ドイツ人の「血」が流れているかどうかとキリスト教の伝統にこだわるのである。
    ●ムスリムの信仰実践(252頁)
    ムスリムは一日五回の礼拝を守り、ラマダン月には断食し、貧しい人には喜捨をして、メッカへの大巡礼をするのかというなら、する人もいるし、しない人もいる。
    ●「ジハード」(252頁)
    「ジハードというのは何も信仰の敵と戦って抹殺することではない、みずからの信仰を正すために善行を積むこともジハードだ」
    敵を殲滅に行くタイプのジハードに凝り固まっている信徒もいれば、日々の生活で、弱い立場の人を守るために戦っている人もいる。

    ☆関連図書(既読)
    「ヨーロッパとイスラーム」内藤正典著、岩波新書、2004.08.20
    「トルコ 建国100年の自画像」内藤正典著、岩波新書、2023.08.18
    「イスラームの日常世界」片倉もとこ著、岩波新書、1991.01.21
    「グローバル化とイスラム」八木久美子著、世界思想社、2011.09.30
    「イスラム国の正体」国枝昌樹著、朝日新書、2015.01.30
    「ルポ 難民追跡――バルカンルートを行く」坂口裕彦著、岩波新書、2016.10.21
    「シリア情勢――終わらない人道危機」青山弘之著、岩波新書、2017.03.23
    「コーラン(上)」マホメット談・井筒俊彦訳、岩波文庫、1957.11.25
    「コーラン(中)」マホメット談・井筒俊彦訳、岩波文庫、1958.02.25
    「コーラン(下)」マホメット談・井筒俊彦訳、岩波文庫、1958.06.25
    「コーランを知っていますか」阿刀田高著、新潮文庫、2006.01.01
    「ドイツリスク」三好範英著、光文社新書、2015.09.20
    「世界最強の女帝メルケルの謎」佐藤伸行著、文春新書、2016.02.20
    「フランスの異邦人」林瑞枝著、中公新書、1984.01.25
    (「BOOK」データベースより)amazon
    ヨーロッパとイスラームの共生は、なぜうまくいかないのか?シリア戦争と難民、トルコの存在、「イスラーム国」の背景。そしてムスリム女性が被るベールへの規制、多文化主義の否定など、過去二〇年間に起きたことを、著者四〇年のフィールドワークをもとに、イスラームの視座から読み解く。

  • 先日「イスラエル」という本を読み、ユダヤ教とヨーロッパの関係について理解を深めたので、次はこちらでイスラームとの関係について知ろうと思った。

    まずイスラーム、イスラム教の教えについて、私もご多分に漏れず過激なイメージがあったので、そこが訂正された。弱者を救済する、心に平穏をもたらす。宗教はみなそうゆうものだと思っていたけど、作者曰く、その他の宗教よりもその作用が大きいように書かれていると理解した。
    ジハードで銃を持ちテロを起こす人たちはイスラーム世界の中でもごく一部。

    また、ヨーロッパ社会各国の異文化、異民族への考え方も新たな知識となった。フランスのライシテ、ドイツの血統主義など、ヨーロッパと一口に言っても、それぞれの主義主張は違うし、イスラームへの対応も異なる。日本人は排外主義=極右と捉えがちだけど、リベラル層も排外主義に傾いている。
    しかしながら、いずれの国も排外的な政策に傾倒していることは間違いない。
    そしてそうしたヨーロッパやアメリカ、その他社会の排外的な政策や、イスラームは危険という決め付け、欧米的ポリコレなどの思想などなどが世俗的だったムスリムさえもイスラームに再覚醒させたのではという筆者の指摘は納得だった。

    このところ、イスラエル、ロシアプーチン大統領に関する本を読んでいて、共通するところは、欧米諸国が自分たちの考え方を正として、相手のことを理解しようともせず、押し付けていることが火種となっている、ということだと思う。

    流行りの言葉でメタ認知の重要性をより感じる本(たち)だった。

  • イスラーム圏に少しでも身を置いたことがあるものとして、友人にも多くのムスリムがいる一人の日本人として、もっと早く読んでおくべきだった本。

    一部の国では「宗教を批判することも、神を冒瀆することも、表現の自由のうちに含まれる」は想定外で「自由」のレベルが我々の想像を絶していることを理解した。

    いくら文字で「自由」と記載しても理解が違うんだな…そりゃぁ、お互いを分かり合うことは難しいし、共存も難しい。ただ、お互いを「尊重」することはできると思うのは日本人だからなのだろうか。いや、そうであって欲しくはない。

  • 現代イスラム地域研究が専門の著者が、イスラム側から眺めた現代の相克。西欧の視点、キリスト教の側からイスラムを分析したものを読むことが多かったから、バランスをとる意味でも有益な本だった。特に地理的にも歴史的にも東西の文化が交わるトルコに関する記述は学びが多かった。
    「多文化主義」という言葉も、この本を読みながら定義しなおすことができた。フランスの世俗主義、ライシテ、公的領域における非宗教性と、すべての宗教を平等に扱う制度の異同。非宗教性が国家原則になっているということは、多文化主義が根付く素地がない、という解釈。コミュニティごとに分かれて国家に参画するという考え方と、人種でも民族でもなく、個人として共和国の一員となるなら受け入れる、というスタンスの違い。オランダの歴史を読みながらこの部分がよく理解できた。

  • 990

    内藤 正典(ないとう まさのり、1956年9月29日 - )
    日本の社会学者・地理学者。専門は国際移動論、現代イスラーム地域研究。同志社大学大学院グローバルスタディーズ研究科教授、一橋大学名誉教授。博士(社会学)(一橋大学)。日本中東学会会員。専門はトルコの国際関係、特に西ヨーロッパにおけるムスリム移民の研究、9・11以降はイスラムと西欧世界との関係、現代トルコの政治と社会。80年代まではシリアを中心としたアラブ地域での研究を行ってきたが、政治的な事情でヨーロッパ在住ムスリム移民研究を始める。9・11以降は西欧とイスラームの衝突を抑止するための研究を、近年はイスラーム法学者の中田考とともに日本を含めた非イスラーム社会のゼノフォビア、イスラーモフォビアに関する著作も発表している。東京都生まれ。1975年 東京教育大附属駒場高校卒業、東京大学教養学部理科Ⅱ類入学1979年 東京大学教養学部科学史・科学哲学分科卒業。東京大学大学院理学系研究科地理学専門課程進学1981年 同修士課程修了、理学修士。同博士課程進学、ダマスカス大学留学1982年 東京大学大学院理学系研究科地理学専門課程(博士)中退1997年 博士(社会学)(一橋大学、学位請求論文『アッラーのヨーロッパ、移民とイスラム復興』)研究歴1982年 東京大学教養学部助手(文部教官採用)1986年 一橋大学社会学部講師(文部教官、配置換)1989年 同助教授昇格1990-92年、トルコ共和国アンカラ大学政治学部客員研究員。1997年 一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻教授昇格2010年 一橋大学退職、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。2020年 一橋大学名誉教授。

    コソボでは、ムスリムの比率が九二%、アルバニアは八二%、ボスニア・ヘルツェ ゴビナ四二%、マケドニア三四%(マケドニアについてはトルコのNGO、1日日人道支 援財団、二〇一四年による)、モンテネグロ一九%、というように、ムスリムの比率が 高い国が並んでいる(図序―2参照)。これらバルカン半島の国々にムスリムが多いのは、オスマン帝国領であった時代に、ムスリムに改宗してそのまま住み続けた市民が多いからである。

    二〇一三年にボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボを訪れたときの旧市街の印象は、トルコの歴史ある地方都市そのものだった。コーヒー店には縁台があって、そこでトルココーヒーを啜り、談笑する。銅の打ち出しで鍋やコーヒーポットをつくる職人たちのいる小道は、トルコのサフランボルあたりの旧市街を散策している気分にさせてくれた。

    ボスニアは一五世紀にオスマン帝国の一つの州となり、サラエボはその主要な都市となった。一九〇八年にオーストリア・ハンガリー帝国に編入されるまで五〇〇年もオスマン帝国の一部であったのだから、トルコの街にみえるのも当然である。しかし独立後の三〇年で、新たなムスリム社会が形成されつつある。オスマン帝国が支配た時代から住んでいるムスリムだけではない。今のボスニアには、シリア難民だけでなく、イラク、イラン、パキスタン、アフガニスタン、さらには北アフリカ出身者ま で、多くの人たちが、EU加盟国のクロアチアに近いビハチや首都のサラエボに集 まっている。二〇一八年だけで、新たに約五万人がボスニアに来たと言われている 。

    最近では、東ヨーロッパのポーランド、チェコ、ハンガリー、そしてスロバキアと いう四つの国(ヴィシェグラード四カ国)が、ヨーロッパ全体のなかでも極端なイスラーム嫌悪を掲げる政治家の舞台となりつつある。これら四つの国にムスリムは少なく、彼らが現実のムスリムと接したうえでの嫌悪感ではなく、想像上のムスリム像からひどく嫌悪しているのである。先に挙げたピュー・リサーチセンターの国別ムスリム人口の推計によると、東ヨーロッパ諸国のムスリム人口の比率は、ポーランドで〇・一%、チェコで〇・二%、ハンガリーで〇・四%、スロバキア で〇・一%となっている。ムスリムが非常に少ない地域で、ヨーロッパで最も激しいイスラモフォビアが起きていることは注目すべき現象である。

    最初に、フランスの公的な場でのムスリム女性の被り物が問題となったのは一九八九年だった。ムスリムの女子生徒がスカーフを着用して公立中学に登校しようとして、校長がこれを禁じたため論争となったのである。

    非イスラーム社会なら、そこで階級闘争の考え方が生まれ、社会主義が力をもっていくことになるのだが、イスラーム社会は、なかなかそうならなかった。ロシア革命以来、社会主義には宗教を敵視する傾向が強く、無神論者が多い。しかしイスラーム圏では、ムスリムの行動が世俗的になる、つまり信仰実践に不熱心になることはあっても、積極的に神を否定する無神論者は増えなかった。

    イスラーム社会では、西欧や日本とは違って、貧困層に位置づけられることになった人びとは、男性も女性も、イスラームの教えにさらに忠実に生きたいという方向に傾斜していった。傾斜したといっても、それは経済的に上昇することが困難であっだがための諦念からそうなったとみることもできる。西欧化したエリートは物質的な豊かさを得た。貧困層は物質的豊かさには無縁であったが、

    イスラームは人の心に効をもたらす。イスラームというと被り物論争も含めて、規範性ばかりが西欧では注目されるが、心理的、社会的にみれば、人にやすらぎを与えることが教えの根本にあ る。

    そのときに、攻撃のターゲットとされたのが、最も目につくムスリム女性の被り物 だった。その結果、ムスリムの女性は二重の問題に直面することになった。最初の問 題は、ただでさえ家父長的性格の強いムスリム社会のなかで、外に出る、つまり教育 を受けたり、職に就いたりすることはむずかしかったことである。そして、イスラー ムに則った服を着ることで親や夫を何とか納得させて外に出ると、今度は、外界から の敵意にさらされたことである。

    そして、2014年から2018年にかけて、イスラーム過激派によると思われるテロ事件が多発したため、被り物が公共空間での秩序に反するものであり、治安上の脅威とする見方が、急速に強まった。個人を特定できないために、もし、男性が被っていたらどうするのか?被り物のために監視カメラをすり抜けてしまったらどうするのか?というのである。現実に、そのような事件が多発したわけではないが、可能性としてはやはり否定できない以上、フルフェイス型の被り物はセキュリティを理由に規制されていくことになった。

    だが、今にして思えば拙速だった。ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー の四カ国は、温度差こそあるものの、巨ひに制約を課されることを嫌い始めている。

    だがムスリムの家系に育った若者は、どこかでイスラーム的なもの、ムスリム的な 生き方に触れている。どんなに世俗化した家族であっても、親戚のなかには礼拝を欠 かさない者もいるし、親がラマダン月の断食をしなくても、誰か断食を守る人もいる のがふつうである。何もしなくても、ムスリムにとって大切な断食明けの祭りや犠牲祭に親戚を訪ね、着飾って晴れがましい思いをした人ならいくらでもいる。

    そのころ、オランダでは寛容の終焉を象徴する一連の事件が起きた。二〇〇四年 に、映画監督のテオ・ファン・ゴッホがモロッコ系移民の青年に暗殺された。原因は イスラームを侮辱したとされる"Submission"(服従)いう映画だった。裸体の上に薄 布をまとったムスリムの女性が男性からの暴力を訴えるこの作品は、西欧世界では高 い評価を受けたが、ムスリム社会からは激しい反発を受けた。ストーリーは、ありう るものだったが、裸身を見せながら礼拝するシーンなどの表現はムスリムにはありえ ないものだった。

    二〇一七年の総選挙でリベラル政党のルッテ首相が異性との握手を拒むムスリムに はオランダに居場所がないと主張したことも、イスラームを反リベラルと決めつけて ムスリムの排斥を助長するものであった。もちろん、より激しく反移民を主張するポ ピュリストのウィルダースのPVVから票を取り戻すための発言だったが、結果とし て、リベラル政党であるいDが、排外主義のポピュリズムに接近し、手を貸すこと になった。

    統合プログラムをスタートさせて五年経った二〇一〇年に、メルケル首相がドイツ の多文化的状況は失敗だったと発言したのである。だがドイツには、異なる文化集団 を並存させるという発想はなく、「異文化をもったままドイツに居てもいいが、居場 所はないと思うよ」と言い続けていたのである。この点は多くの移民が指摘している が、何十年もドイツに暮らしていても「ところでいつ母国に帰るの?」と聞かれると いう。メルケル首相は、一方で、イスラームはドイツ社会の一部だと認めつつ、他方 ではムスリム移民がいつまで経ってもドイツに「統合」されなかったことを失敗と呼 んだのだが、当然のことながら、それはドイツ社会と移民社会の相互作用の結果で あった。


    だがその先には、男性と女性は何をするにも平等であるべきだから、学校では男女 いっしょに水泳の授業も受け、女性だけがスカーフのような被り物を着けるのは女性 差別であり、一〇代の後半になったら子どもは親から自立すべきだというような規範 そごきた を受け入れることが求められた。ここでイスラームの規範と齟齬を来したのである。 イスラームでは、第二次性徴を経た「大人」の男女は互いの秘すべきところを他人の 前にさらしてはならない。親子の関係はヨーロッパ社会よりもはるかに密接である し、家族から離れることによって人間が自立するものだという観念もない。こういう 宗教的な価値に踏み込むような「郷に入っては郷に従え」を文化的な同化政策と受け 取ったのである。

    だがその先には、男性と女性は何をするにも平等であるべきだから、学校では男女 いっしょに水泳の授業も受け、女性だけがスカーフのような被り物を着けるのは女性 差別であり、一〇代の後半になったら子どもは親から自立すべきだというような規範 を受け入れることが求められた。ここでイスラームの規範と齟齬を来したのである。 イスラームでは、第二次性徴を経た「大人」の男女は互いの秘すべきところを他人の 前にさらしてはならない。親子の関係はヨーロッパ社会よりもはるかに密接である し、家族から離れることによって人間が自立するものだという観念もない。こういう 宗教的な価値に踏み込むような「郷に入っては郷に従え」を文化的な同化政策と受け 取ったのである。 しかし、ここに深刻な断絶があることにムスリム移民も気づいていなかった。ドイ ツ側が言っていたのは、ここに滞在するならルールに従えということであって、ルー ルに従ったらドイツ人として、ドイツ社会を構成する対等なメンバーとして承認する という意味ではなかったのである。強固な血統主義にもとづく国民観念をもつドイツ に、そもそも、民族も文化も異なるトルコ人やアラブ人を同胞として受け入れる素地 はなかった。つまりドイツには、相手を同化させる意図は最初からなかったのであ る。しかし、規範だけを相手に押しつけても、移民の側は、いつまで経っても自分た ちを「仲間」として受け入れないではないかと反発してしまう。結局、この断絶が、 ドイツ社会に排外主義・反イスラームを生み、ムスリムの側にみずからをドイツ社会 から隔離する傾向を生むことになった。

  • 個人的には殆ど知識や実体験の無いイスラムに関する一冊。宗教にもさほどの興味・関心は無かったのだが、昨今の世界中で起きている、異なる価値観の間の「分断」や「衝突」を見るにつけ、これからの世界はやはり宗教や民族、イデオロギーの対立を読み解いていかなくてはならないのか、と危惧する中、手に取って読んでみた。
    一読しただけでは深く分かったとは思えないが、そもそも歴史的に「陸続き」の中で複数の民族、文化、イデオロギーを包含して発展して来たヨーロッパの国々が、イスラム(教、信徒、文化等)とどのように接し、共存・共生を図って来たのかについて一通りおさらいさせてもらえた気はする。
    いや~、しかし、深い。
    自分自身にとって、イスラム信徒が有するものに匹敵する「自分の軸となる価値観」とは何なのか?自分自身はイスラムをどう捉えるのか?イスラム信徒とは友達になれるのか?等々、考えさせられる宿題ばかりが残った。アタマがイタイ。

  • ふむ

  • ヨーロッパに難民が増えてきた背景、その多くがムスリムであったこと。人権を尊重する、信仰の自由を認める、という立場からヨーロッパで移民、難民はそれなりに受け入れられてきたのだが、911テロ事件のあとヨーロッパ各国でムスリムに対する見方、態度が変わっていく。神が絶対的であるムスリムにとって、国家の長や人間が定めた法よりも神の言葉の方が重い。イスラームは基本的に世俗主義とは相いれないものがあるのだ。それでもイスラームは他人に信仰や生活の仕方を押し付けたりはしないのだが、ヨーロッパ側はイスラームの価値観は女性に対して抑圧的であるなどとしてイスラーム側にヨーロッパ的な価値観に従うように迫っていく…。
    ヨーロッパといっても、フランス、ドイツ、オランダ、イギリスなど、それぞれに特徴があり、多文化主義を受け入れるのか、自国の価値観への同化を求めていくのかなど様々だ。ただ、どの国もムスリムを排除するような動きになってきている…
    なるほど、と思うところがたくさんあった。
    ただ、「クルアーンと予言者ムハンマドの現行に典拠がある規範については、時代の変化に合わせて変えることができない」のがイスラームの根本的特徴の一つということだが、個人的にはどうなんだろう、とは思う。柔軟に対処することが大事、というのもイスラームの特徴ではないのだろうか。
    でも、「自分たちの優位と正当性を深く信じているヨーロッパ社会」がイスラームの価値について知ろうとしてほしい、と私も思う。

  • アフガニスタンの情勢を、表層ではなくその本質から理解したいと思い、イスラーム理解の取り掛かりとして読んだ。「世俗主義」も、尊厳や平等と同じく、哲学的な意味だけでなくイスラームの理解も含めて、改めて勉強し直さなくてはならないと感じた。

    日本人は、物の見方が妙に欧米の考え方に引きづられてしまっている。その呪いを解いて対等な人間集団同士の関係が構築できるか。まさに知恵が問われていると思う

  • ムスリムと西欧世界(ヨーロッパ中心の)の状況がよくわかる本。
    人間世界は難しい。文明の衝突、宗教的固定概念などという言葉が双方にあるのだろうと考えさせられる。もはや地球外に人類が植民するしか方法はなさそうな気もする。とはいえ今日探査機の火星着陸がニュースになっている段階であり、まだ人類は月以外の他天体に到達していないのでこれは即効薬にはならない。当分は何とかいろいろなだめすかしてやっていくほかはないのだろう。う~ん…

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著者プロフィール

1956年東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学文科卒業。社会学博士。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。一橋大学教授を経て、同支社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。著書に『イスラームから世界を見る』(ちくまプリマー新書)『となりのイスラム』(ミシマ社)『外国人労働者・移民・難民ってだれのこと?』(集英社)ほか多数。

「2022年 『トルコから世界を見る』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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