著者の弟子にあたる方と縁ができたので読んでみることに。
「ないものねだり」をやめて「あるものさがし」をしよう、問題解決ではなく価値創造に目を向けよう、がエッセンスと理解した。
なぜ課題解決じゃないか?本書には書かれていないが私の理解としては、1.問題解決思考は人的・資本的リソースを持つものに許される考えでありたいていの地域にはそのリソースがない、2.問題解決思考は誰でもできるものではなく訓練が必要、3.地域の人を置いてけぼりにした課題解決に持続可能性はなく、地域の人たちで育てたアクションこそが重要(自治意識・当事者意識)、かと思う。
リアルでよいと思ったのは、地域のゴミを拾うことが以前は恥ずかしかった、という地域の人の声。都市部以外の地域では地域のことをよく知っており地域を大切にしている、というのは幻想だったりするのだろう。各地を旅している中で感じた自分の実感とも合う(意外と皆自分の地域に興味がない)。
上記を受けて、だからこそ「あるものさがし」が必要になる。「うちの地域にはなにもない」から始まると思考が止まる、または外から資金やアイデアをもってくるという他人任せの思考になる。だからあるものから始めて、できることから始める(それが地域の第一の課題の解決になるかは別の話)。
逆に地元学を使わない失敗例の典型としては、地域を豊かにしようの掛け声とともに生まれるトップダウンの投資だろう。うちの街にもブランド牛を、うちの里も箱根のように、大型施設を入れたら人が呼べるぞ、といったものだ。地域に根差したストーリーも魅力もないので地域間の競争の中で埋没する。
本書はあまり論理的ではない、むしろ情緒的ですらある。理論的ではなくよく言っても実践的フレームワークとケーススタディの本である。貨幣経済と都市と工業への強烈な不信がちりばめられており少々思想的に極端だと思われる向きもあろう。しかしこの地元学は学びが多い。なぜなら多くの地域が地元学を使わずに失敗しているはずなのだから。
地元学を実践するのには優れたファシリテーターでないとできないと感じる。地域の人たちが「やってみよう」と思うまでには幾多の大きな障壁があることだろう。
個人のレベルでさえ、自分の地域への卑下、他地域から来た活動への不信感、不満不平しか出てこない、思考停止や他力本願が思いつくし、これに複数人がからめば地域のしがらみ、生活をよく知るはずの女性が公の場でしゃべってくれない、などなど障壁はいくらでも思いつく。これらを乗り越えなければならないのだ。
地元学における役割:
- 地域の人は当事者として地域を調べる
- 外の人は引き出す、聞き出す、質問する
あるものさがしの心得:
- 現場に出る
- 外の人と一緒に行く
- NO!先入観
- 対等な立場で
- やっていることを聞く(意見ではない、具体的な事実を)
- 話しやすい場所を作る
- 地域の人は超一流の生活者としてRespectせよ
あるものさがし切り口:
動線をつなぐ、地図上で異なるものを重ねてみる、新しい時代のものをはぎ取る
有用植物の例;
- どこにある→地図上のつながり
- 何に使う→季節・気候・歴史
- 何と呼ぶ→歴史(由来)
祭りの例;
- いつ
- 何のため
古い道;
- いつからいつまで
- 何に使われた
- どこにある(寺社や遺構とのつながり)
Output:
第1段階;絵地図や一代記
第2段階以降;ものづくり、地域づくり、生活づくり