江戸時代とはなにか: 日本史上の近世と近代 (岩波現代文庫 学術 158)

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  • Amazon.co.jp ・本 (282ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006001582

作品紹介・あらすじ

民主主義を支えるのは、自発的な社会的責任の意識であろう。江戸時代の人々は、それを「役」と表現し、現代の役人や役員の語につながる。民主主義が近代の一つの特色であるとすれば、日本の近代は江戸時代に始まっていたのではないか。この新しい視点から、日本の近世と近代を多角的に考察する。

感想・レビュー・書評

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  • 江戸時代についての本、といっても「江戸はエコ社会だった」とか「江戸しぐさは現代にも通じるマナー」といった(あやしげな)「文化論もの」とは一線を画す。
    そもそもこの書名にして江戸時代そのものを扱っている章はほとんどなく、室町期から戦国を経ての江戸時代(「近世」)の「成立」や、明治維新への「移行」がむしろ主題とさえ言える。

    その論考は、公への奉仕としての「役」(役人の語源)、時代劇にも出てくる「ご公儀」という概念の成立から、葬式仏教化を招いたとされる「本寺・末寺制度」の再評価、果ては五箇条のご誓文における「万機公論ニ決スヘシ」の一文と大正期の天皇機関説にまで及ぶ。

    一貫しているのは権力による統制と従属を強いられた民衆といった通説的理解を安易に許さない態度であり、その目から鱗ぶりは中世史における網野善彦氏の著作に通じる。決して研究者向けジャーナル論文でもなく、かといって文献の渉猟による厳密さの追求も怠りない。感動的な面白さ。

  • BM1a

  • [ 内容 ]
    民主主義を支えるのは、自発的な社会的責任の意識であろう。
    江戸時代の人々は、それを「役」と表現し、現代の役人や役員の語につながる。
    民主主義が近代の一つの特色であるとすれば、日本の近代は江戸時代に始まっていたのではないか。
    この新しい視点から、日本の近世と近代を多角的に考察する。

    [ 目次 ]
    序説 日本史の時代区分
    1 社会組織の基本原理(江戸時代の社会と政治思想の特質;江戸時代の天皇―その社会的基盤は何か;戦国大名と幕藩体制;徳川家康の文教政策と国家構想)
    2 宗教と文化(日本における国民的宗教の成立;思想にみる江戸時代の個と集団;元禄文化と社会―職業文化人の登場)
    3 近代への展望(明治維新と武士―「公論」の理念による維新像再構成の試み;日本史上における近代天皇制―天皇機関説の歴史的背景)

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 江戸時代とは何か?

    江戸時代は忽然と日本の歴史に登場したわけではない。

    筆者は、日本人が古来より、如何なる価値観を大切に社会の中で暮らしてきたのかを、従来の通説に疑問を抱きながら自説を展開している。

    中国の影響、近代西洋社会の影響を受けながらも、日本社会が歴史的に育んできた慣習・法の存在がある。

    日本人は残してきた文献を詳細に読み解き、一定の仮説を立てていくプロセスは一読に値するものである。

  • 展示期間終了後の配架場所は、1階 学士力支援図書コーナー 請求記号:210.5//B48

  • 日本における近世とはどんな時代か、武士とはどのような存在か、近代天皇制とはどのような歴史的産物か。そういった大きな問題を、中世(ときには古代)から近代にわたる長いスパンで考える思想的営為の産物といえる一書。長い目で歴史を見る、という姿勢は見習いたいものである。

    ただ明治憲法下における天皇の「無答責」論が、明治憲法下において創出されたものではなく、「「無答責」の命令権者などは、共同体の内部に存在し得ない」(p243)ということを理由に明治憲法下の天皇の政治的責任を認めようとするのは、ちょっと近代天皇制形成の歴史的展開過程を等閑に付しているのではないのかなあ…という気も。「無答責」でなければならないのに天皇主権を形式的に成り立たせなければならないというアポリアが近代日本の起動力となっていた、という問いが日本近代史研究では立てられているような気がするのだけど。

  • はっきり言って、これは凄い本です。
    江戸時代中級レベルの人向けですが、目から鱗がぽろぽろ落ちます。
    特に最後の近代の天皇制は、天皇機関説の物凄く斬新な新説が展開されており、何故機関説事件が昭和十年でなくてはならなかったのか、今まで説明できなかったこの問題に鋭くメスを入れています。

  • 尾藤氏は、この著書において、江戸社会を「「役」の体系」とする概念を提唱している。本来労役や税という意味であった「役」は、自ら進んで担う機能や役割といった、より積極的な意味を帯びるようになっていく。それぞれの「役」は、村の指導者であれ家臣団の一員であれ、その者に義務を負わせると同時に、徳川体制内に明確に規定された安定的位置を与え、この構造が社会全体をうまく機能させる助けとなる(「役」は、主君にではなく、すべて国家に対する奉仕ないし義務という性格を帯びていた)。そして、職業に応じた役を負担するのは個別の「家」であり、その意味で、家こそが近世社会の基本的な社会構成単位となっていった、とみるのである。※ところでこの著作は、尾藤正英の「変貌」とも言える側面が存在していおり、宮城公子氏がそのことに論究している(『幕末期の思想と習俗』2004)。もともと『日本封建思想研究』(青木書店、1961)において、丸山真男『日本政治思想史研究』(東京大学出版、1952)に対して、「封建思想の復権」を試みていてた。拠点とした朱子学は「自然法的思想」の一形態であって、その中に個人の自律性・主体性を支える契機を持っているものとした。しかし本書ではその朱子学の「自然法的思想」に託した個人の自律性を無力として訣別し「国家共同体論」(江戸時代の寺請制の下の仏教を中心とした祖霊崇拝と地域社会の氏神信仰との習合形態と定義する)に「変貌」し独自な江戸時代論を展開している。

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著者プロフィール

1923年、大阪市生まれ。1949年、東京大学文学部国史学科卒業。東京大学助手、名古屋大学講師、名古屋大学助教授、東京大学助教授、教授を歴任。1984年、定年退職により東京大学名誉教授。以降も千葉大学教授、川村学園女子大学教授を歴任する。文学博士(名古屋大学、1962年)。日本学士院会員。専攻は日本近世史。
○著書
『日本封建思想史研究―幕藩体制の原理と朱子学的思惟』青木書店、1961年。
『幕藩体制の政治的原理と朱子学との関係に関する研究』(博士論文)1962年。
『大世界史16 閉ざされた日本』文藝春秋、1968年。
『江戸時代とはなにか』岩波書店、1963年。
『安藤昌益』(校注/『日本思想体系45 安藤昌益・佐藤信淵』)中央公論社、1974年。
『荻生徂徠』(責任編集/『日本思想体系16』)中央公論社、1974年。
『日本の歴史19 元禄時代』小学館、1975年。
『日本文化の歴史』岩波書店、2000年。

「2013年 『荻生徂徠「政談」』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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