政治と複数性――民主的な公共性にむけて (岩波現代文庫 学術 426)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (402ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006004262

作品紹介・あらすじ

「余計者」を無視し、黙殺し、遠ざけようとする脱-実在化の暴力に抗し、それぞれの位置から語られる言葉に敬意を払い、一人ひとりの政治的存在者としての現われを相互に保障しあう。アーレントやハーバーマスの議論を踏まえ、排他的な同質性の政治を批判的に問い直す、内向きに閉じない社会統合の可能性を切り開く書。

感想・レビュー・書評

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  • 手垢にまみれた古臭いカテゴリーを敢えて使うなら本書は「リベラル」である。現代社会が直面する困難な現実への最も真摯なリベラルの応答である。リベラルがリベラル足り得るために、中道に歩み寄るのでなく、文字通りラディカルでなければならない。それが本書のメッセージだ。

    いかなる普遍にも還元できない共約不能な価値の共存がリベラルの条件だが、生身の個人がそれを追求する為に不可欠な資源へのアクセスとなると、マジョリティとマイノリティの間に決定的な非対称がある。この点への感受性を欠く時、どんな多元主義も自由主義も、実質的にはマジョリティが奉じる普遍の強要、さもなくばマイノリティの排除を帰結してしまう。だから古典的リベラリズムのように多元的な価値の許容にとどまらず、その追求を可能にするインフラ整備が必要なのだ。社会権やナショナルミニマムの本質はそこにある。それは万人の権利であって、弱者へのサポートではない。

    そこまではよい。ではそのインフラは誰が整備するのか。勿論みんなである。みんなとは誰なのか。みんなが誰かを定義するのが政治の本質だと言ったのはカール・シュミットだが、著者はそれを峻拒する。そこにリベラルの死角がある。アソシエーションであれ共同体であれ、みんなを定義しない政治は政治ではなく道徳である。無論その定義は流動的であってよい。友/敵の境界は開かれてあるべきだ。だが開くためにもまずは閉じなければ話は始まらない。インフラを支えるには構成員の動機の調達が必要だが、それには最低限の共通価値へのコミットが不可欠であり、どこかで線を引かざるを得ない。

    移民政策を考えればよい。みんなの定義を拒絶する著者の立場からは無制限な移民の流入を容認せざるを得ない。だがそのことで最も打撃を受けるのは既存の低賃金労働者であり、それが多くの移民先進国で分断を生んでいるのが現実だ。この事態が加速すれば共約不能な価値追求の為のインフラの担い手の動機調達は益々困難になる。

    慧眼な著者がこのジレンマを見ていない筈はない。著者の志向する政治の複数性が人間存在そのものの複数性に根差すものであるという指摘など、本書には多くの貴重な示唆が含まれてもいる。だが政治とは実現可能性に制約された営為である。理念は大切だが、理念を実効あらしむるには、意識の高い教養ある市民ではなく、平均的な人々の理念への動機をいかに調達するかという視点を忘れてはならない。

  • 東2法経図・6F開架:B1/8-1/426/K

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著者プロフィール

早稲田大学教授。1958年生れ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程単位取得退学。専門はアーレント、規範的政治理論。早稲田大学政治経済学術院長。著書に『公共性』『自由』『政治と複数性――民主的な公共性にむけて』(以上、岩波書店)、『不平等を考える――政治理論入門』(ちくま新書)、共著に『公共哲学』(放送大学教育振興会)など。

「2023年 『公共哲学入門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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