- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006021924
作品紹介・あらすじ
新史料・津田三蔵書簡を読み解きながら、津田の内面を描きつつ、大津事件(一八九一年)の謎に迫る異色作。津田三蔵巡査がロシア皇太子を襲撃した動機とは何か。著者は一人の青年の西南戦争での体験を重視し、同時にその煩悶を見つめながら、明治期社会の深淵の中で事件をとらえなおす。幾多の文学作品で描かれた大津事件像とは異質の視点から、事件を描き、明治期社会の闇とともに現代の闇にも迫る。
感想・レビュー・書評
-
ひとはただ真直にさへするならば折れず曲らず失せることなし
畠山勇子
今週は2冊の本を読み比べてみたい。1891年(明治24年)に起きた「大津事件」をめぐる、藤枝静男の短編小説と、富岡多恵子の記録文学ふうの著書である。
訪日したロシア皇太子が滋賀県大津を通過中、沿道警備にあたった巡査津田三蔵が突然切りつけ、負傷させたのが大津事件である。当然、外交上の大事件だった。
藤枝の小説では、「烈女」と呼ばれた畠山勇子の記述が多い。20代半ばの女中であったが、少女期から「勤皇」意識があり、国政に関心を抱いていた。新聞報道で事件を知り、国家の危機を感じた勇子は、ロシアや明治政府に「遺書」として嘆願書を書き、剃刀で自死を遂げたのである。掲出歌は、弟あての遺書に書かれた歌だった。
他方、富岡多恵子の「湖の南 大津事件異聞」(岩波現代文庫、2011年)では、勇子の話題は登場しない。代わりに津田三蔵の尋問調書から肉声を取り上げ、「藩士」意識を抱えた男性に焦点を絞ったのだ。
明治維新前の江戸に生まれた津田は、西南戦争に従軍し、負傷した人物であった。左手に後遺症が残り、名誉の勲章を受けたものの、精神的混乱や同僚への暴行などで、巡査職を転々としていたのだった。
動員された大津の御幸【みゆき】山には、高さ6メートルもの「西南戦争記念碑」があった。それを見た津田が「色々胸ニ浮ビ (西南戦争の)死者ニ対シテモ感慨」が起こり、襲撃に及んだのだ、と富岡は語る。
新時代・明治になじめぬまま、津田はまもなく釧路集治監で病死した。享年36。
(2015年4月5日掲載)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
とても、とてもおもしろかった。富岡多恵子だからこそ書けたのかもしれない。大津事件を史実で追いながら、私小説のように身辺のできごとをからませていく。
人間模様が描かれているからこそ、津田の人間性にも近づけたのかもしれない。