- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006022983
感想・レビュー・書評
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昔訪れた場所に再訪した時、こんな感じだったろうか?という思いになることはないでしょうか?自分の中でものすごく強い印象を抱いていて楽しみにしていた場合など、あれ?と落差の激しさに戸惑うことがあります。一方で思いがけず、自分の記憶にある景色が人の力で大きく変えられていた場合、つまり大規模な開発が行われて、記憶にある美しい山が赤茶けた肌を晒し、味のあった山道がアスファルトに変わっていたり、そうした場合、再訪したこと自体を後悔することもあるかもしれません。一方で視点を変えればそこに、その地に暮らす人々からすれば、自らの現在の生活を豊かにするために、便利に変えていきたいという思いが当然にあるはずです。その地に暮らす者でない他の土地の人間の中にある想い出を美しく保つためだけに、変わらないことが選択されることなどないのかもしれません。
『山の端から十三夜の月が上がっていた。月はしっとりと深い群青の夜空の、その一角のみを白くおぼろに霞めて、出で来た山の黒々とした稜線から下をひときわ病み濃くしていた』という、冒頭からのあまりにも美しい描写とともに一気にこの世界に連れて行ってくれるように物語は始まります。『私は文学部地理学科に所属する。大学の夏期休暇を利用して、現地調査でこの島を回っていた』というK大学の秋野。『一昨年、許嫁を亡くし、また昨年、相次いで親を亡くしていた』という境遇の中、『研究室の主任教授が亡くなった。研究室を整理しているうち、発表されていない調査報告書を見つけ』その仕事を補完したいという気持ちから興味を抱いたのが『緯度的には南九州とほぼ同等、本土側を見つめたタツノオトシゴのような形状で、南北を貫いて背骨のように山脈が連なる』という『遅島』でした。『古代、修験道のために開かれた島であった。明治初年まで、島には大寺院が存在していた』のが『廃仏毀釈でほとんど跡形もなくなった。その遺構に惹かれるものがあってこの島にやってきた』という秋野。この物語はそんな秋野が島の人々と交流を深め、島の遺構を巡ることで、島の現在と過去を見つめながら進んでいきます。
この作品の舞台となる『遅島』、モデルはあるのでしょうが、あくまで梨木さんが作り出した架空の島です。物語の前半はこの島を旅する一人の青年の書いた紀行文を読むように進みます。そして、植物に関する記載が紀行文でさえありえないと思えるレベルで登場します。『サルトリイバラ、ヤブツバキ、ハマヒサカキ、カナグギノキ、ハイノキ、オニヤブソテツ、ハマカンゾウ』という植物の名前、あなたは知っているものがあるでしょうか。でも梨木さんは例えばヤブツバキについて『丸々とした実をつけている。これが胡桃か何かのように食えるものであったらどれほどいいか』と言った言葉を付け加えます。知らなかった植物がなんだか身近になったような不思議な感覚です。一方で動物の表現も絶妙です。秋野が山の中で遭遇した動物。目と目があった瞬間に秋野が感じたところを『奴らはこちらを馬鹿にしているようなけたたましさがある』とヤギを表現するのに対して、『曰くいい難い神秘的な気配をまとっている。じっと見つめてくる瞳に哀愁が漂っている』とカモシカを表現します。そしてこのカモシカへの見方が伏線として結末の余韻をさらに味わい深いものにしてくれます。
作品は、前半の紀行文のような展開の後、後半4分の一は〈五十年の後〉という章題そのままに『それから戦争を跨いで五十年が経った』後の秋野が描かれていきます。この五十年の間には第二次世界大戦があり、その後の戦後復興を経て各地で観光地開発が盛んに行われます。『遅島』も当然に無縁ではありません。八十歳を超えた秋野が再び島を訪れますが、読んでいて、前半部分と、この章から受ける印象のあまりの大きな落差に衝撃を受けました。まるで帰ってきた浦島太郎のような心持ちと説明すれば、その感覚がなんとなくは分かっていただけるのではないかと思います。その地に暮らすものではない老いた秋野の目に映るもの。変わるもの、変わらないもの、そして変わっていないはずなのに変わったように感じるもの。この章ではそれが極めて印象的に描写されていきます。『セミの鳴き声は五十年前と変わらないのだろうか。何やら勢いが足りないように思うのはこちらの思い込みか』という表現には、何か昔のままにあるものを求め、でもそれであっても自信の持てない秋野の揺らぐ心情が見事に現れていると思いました。
『私の訴えに共感し頷くものは、誰もいない。何もない。風が木々を揺らす音だけが、空しく、その言葉の真の意味において、空しく響いているだけだった』という年老いた秋野。圧倒的な余韻が襲ってくる読後に、作品中では『蜃気楼』のことと説明されていた、この作品のタイトルともなった『海うそ』という言葉が浮かびます。それが本来はかないはずの存在であるが故に、逆に、深く、遠く、そして永遠へと人の心に残り続ける存在なんだと印象深く感じました。
なんて香り高いんだろう、なんて味わい深いんだろう、読後のなんとも言えない余韻に浸りながらそんなことを思った作品でした。-
くるたんさん、コメントありがとうございました。
くるたんさんの感想にある『秋野と一緒に見聞きし歩むような』という感覚、本当にそうですね。過去...くるたんさん、コメントありがとうございました。
くるたんさんの感想にある『秋野と一緒に見聞きし歩むような』という感覚、本当にそうですね。過去に何かとてつもなく大きなものがあった島を歩んでゆく、とても不思議な世界でした。二回読まれたのもわかる気がします。特に後半を読むと照らし合わせたくなりました。エフェンディもとても良かったです。ただ、「家守綺譚」とリンクしたいる部分があるので、先に「家守綺譚」→「エフェンディ」が良いと思いました。
今後ともよろしくお願いします!2020/05/21 -
さてさてさん♪
ありがとうございます♪
家守綺譚もだいぶ前に読みました( ˊᵕˋ* )エフェンディとリンクしてるんですね♡
情報ありがとう...さてさてさん♪
ありがとうございます♪
家守綺譚もだいぶ前に読みました( ˊᵕˋ* )エフェンディとリンクしてるんですね♡
情報ありがとうございます( ˊᵕˋ* )
今後ともよろしくお願いします\(´ω` )/2020/05/21 -
くるたんさん、ありがとうございます。
私も梨木さんの作品もっと読みたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。ありがとうございました...くるたんさん、ありがとうございます。
私も梨木さんの作品もっと読みたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。ありがとうございました。2020/05/22
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せつない。
上手く言葉にできないのだけど、寂しかった。
本を開くと、遅島の美しい風景、清らかな空気が飛び出してくるようだった。
不思議な感覚。
もう一度読みたいな。 -
人文地理学の研究者である秋野は、南九州の遅島に赴く。
そこではかつて廃仏毀釈があった。島の「喪失」に、身内や許嫁を失った秋野の「喪失」が重なる。
癒しの一冊。
読むごとに草いきれが鼻腔に広がる。魂を鎮めるのは、亡き者に対してだけではなく、遺された人にとっても必要なことだろう。
諸行無常から色即是空へ。喪失を理解する秋野の心境が興味深かった。形を変えずっと続いていくというよりも、初めからなかった、幻であった、というこの世の理解のしかた。
「喪失とは、私のなかに降り積もる時間が、増えていくことなのだった」。
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昭和の初め、人文地理学者の秋野は南九州の遅島を訪れる。修験道の霊山があり雪も降るこの島は自然豊かで、彼は惹きつけられていく。
戦争を挟み五十年後、秋野は再び島を訪れる縁ができるが――
神仏分離に起こる廃仏毀釈、失われる営み、過疎。
学術的に判別され世に知らしめられたものが遺産となる。だとすると……
人知れず消えていった多くの文化を思うと胸が締め付けられる。
また時を経て読み直したい一冊。
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とても静かな世界観
生い茂る樹木 飛び交う野鳥
時折 突然現れる野生動物
足元の草 温度 湿度 風
少し空気は重いけれど
どろりとしたものはなく
巻頭の地図を何度も見たり
分からない植物をGoogleセンセに聞いてみたり
そんなことは 久しぶりで
新鮮な感じがして
そんな部分でも、楽しめた
変わっていくことは 避けられない
一概に 悪いとも言えない
いいか悪いか、やってみなければ分からない
ということも たくさんだ
だけど
すっかり島が変わってしまった
残念だった
当時の面影すら残さずに…
せめて、もう少しだけでも…
そう 思った
うっそうと木々が生い茂る
湿った森を 歩きたくなった
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産まれた時から海無し県から出たことがない私でも郷愁を誘われるような心持ちに。
でも感覚としてはやっぱり息子寄りかなぁ。
私だったら岩の謂われとか息子に喋っちゃうし、そしたら恋愛スポットとして活用!なんて流れになる気がする(笑。
あと論文まで行かなくても手記として島のことを書いて残したいと思っちゃうだろうな。 -
2021-04-17 一回目読了。良い。きっとまた読みたくなって再読する。