- Amazon.co.jp ・本 (393ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006030469
作品紹介・あらすじ
インドでは牛を食べない。イスラム教徒は豚を避ける。ダイエット国アメリカでも低カロリーの馬肉は食べない。人間が何を食べ、何を食べないかどうして決まるのだろうか。人類学・経済学・医学・生物学・栄養学などの膨大な知見と楽しいエピソードを満載。最善化採餌理論によって食と文化の謎を解く、異端の人類学者の文化論。
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
異端の文化人類学者だということだが、食文化は、感性の問題ではなく、コストとベネフィットで説明できるものであるとの姿勢で古今東西の食文化を解説していく様は刺激的で好奇心をくすぐるし、納得できる。つまりは、優劣とかセンスの問題ではなく、環境による選択の結果なのである。
-
キチン質は人間には消化できない。しかし、エビなども、同じ。
幼虫や蛹の段階は食べやすい。
キチン質は腸のぜん動刺激材として働き、ほかの種類の中には不足しているもの。
最善採餌理論 optimal foraging theory
捕獲採集する時間に対して、獲得できるカロリーの比率が最も高い種類のものだけをつかまえたり、集めているというもの。 -
日本にいると食の禁忌とは無縁だと思いがちだが、そうではない。人前で昆虫や幼虫を食べようものなら距離を取られることは間違いないし、犬猫だったら止められるかもしれない。例え自分の身体の一部であったとしても、人肉だとしたら通報されるだろう。
それらを何故食べないかという問いに対する一番簡単な答えは「食べるのに適していないから」となるが、この考え方をちょっと広げてみるだけで、世の中の見え方は変えられる。
すなわち、牛や豚が食べられない文化ではそれが「食べるのに適していないから」であり、虫や人肉が食べられる文化ではそれが「食べるのに適していたから」ということだ。
『ヤバい経済学』で学んだように語ると、食の選択はそれぞれの文化におけるインセンティブの結果ということになる。
具体的には、栽培土壌、人口密度、哺乳類分布、栄養価、採取コスト、生活様式などなど。社会に関わる全ての要素を計算に含める必要がある。
例えばヒンズー教における牛の神性。湿潤な泥濘地帯でも乾燥した草原地帯でも生活でき、馬より低燃費で人が食べない草やワラで成長し、ミルクまで生産可能な牛はインドに限らず多くの地域において飼育される。
だが、ことインドにおいては食用としての数を維持するだけの環境に不足した。相次ぐ戦争、旱魃、飢饉と人口密度の増加により、危機的状況にあった状況において牛の重要性を市井に響かせる必要に迫られ、それは宗教の力をつかうことで成功した。
そして、それが貿易・運搬の力が増した今日においても維持されているのは、なにも伝統の教義に従うためだけではない。長年の牛肉食の規制により、ヒンズー教社会はすでに牛肉を食べない方向で最適化されている。
食用とされないことで維持される穀物、牛乳、羊肉の価格、牛の世話をすることで成り立つ職業、牛を処理するカーストの存在。
これら現状維持のインセンティブの構造に大きな変化が訪れない限り、牛肉食禁止の教義が見直されることはないだろう。
本書では、他にも中東における豚の堕性、アメリカでの牛肉食の発展、牛乳を消化可能な人種、昆虫食、ペット食、人肉食について、食と文化の謎をインセンティブの面から考察する。
このような事実は、ヒト一人が生きていく上ではあまり重要でないかもしれない。
だが、他人の食に立ち入ろうとする場合。食と文化、食と社会が、主義主張や趣味嗜好以上のもので強く結びついているということを理解しなければならない。
うまいかまずいかは試しに食べてみればわかるが、「食べるのに適しているか」は深い洞察を経ないとわからない。
それが本書が語る、食と文化の謎の答えだ。 -
イスラム教徒がなぜ豚を食べないか、ヒンドゥー教徒はなぜ牛を食べないのか、昆虫食がなぜあるのか、をコストとベネフィットから解いていく。豚は乾燥した地域では生きられない、牛はその肉を得るのに10倍ものカロリーを必要とし、人口密度の高いインドでは肉として養うことができず、むしろ労働力として価値があるため、食べないのだ、というのはなんとなく納得。筆者の考えであって、検証を伴っているわけではなさそうだが、なるほど、と思えることも多数あり、面白かった。
-
-
-
最善菜餌理論(=食に関するルールは常にベネフィットが高い方を選択した結果に過ぎないという著者の理論)に則って人類の食の文化の疑問について語る.牛を神格化したのも,豚を禁忌としたのも,馬を食べない文化も,虫や人肉に嫌悪感を感じるのも,根源はすべて最善菜餌理論で説明できるとしており,結論に至るまでの考察が読みどころ.本著は1988.8刊行(の文庫版)であり統計情報は古いので,その辺りは補完する必要がある.
各章での著者の結論に同意するかどうかは別にしても,食に関するうんちく本として面白いと思う.ただ1つ,戦争カニバリズム(=戦って捕虜にしたら(その捕虜を)食べる風習)の放棄によって間接的に人類の一体性や神への信仰の発展につながった,とする部分はデータ不足だと思う. -
【静岡本館開架5F文庫 080/I95GS/B46】
http://www.lib.shizuoka.ac.jp/cgi-bin/opc/opaclinki.cgi?ncid=BA53930445
なぜ人は肉を食べるのか?
ではなぜ、昆虫やペットや人間を食べないのか?
そういうことを真面目に書いた本です。
変わった本を読みたいって人におススメです。
人文学部 法学科2年 AN -
人肉を食べてみたくなる小説・・・などと書いたら猟奇犯罪予備軍のように扱われてしまうだろう。○川○政のようなことをするつもりは毛頭ない。単に、様々な食文化に触れてみたいと思っただけだ。
食べることは、人間の三大欲求などと言われる「食欲・睡眠欲・性欲」の一つを占める基本的なもの。物覚えがついた時から空気のごとく存在する「食べる」ということに疑問を抱くことはそうそうないし、各国の食文化についても同様だった。
宗教上の理由で牛なり豚が食べられないと聞けば「俺には我慢できないなxあ」としか思わないし、虫や犬を食べると聞けば「勇気出して食ったらおいしいかも」としか思わない。人肉は流石に御免蒙るが、餓死か食うかという窮地に立たされたらどうするだろうか。
もちろん、世界中にある、見る人が見れば奇妙に映る食文化や食のタブーは、多くは実際上の理由から生まれたものだろう。この各地の食文化の根底にある理由を解き明かしていくのが、この本のテーマとなっている。
論拠に多くの推測が入っていたり、訳者あとがきが異様に宗教(悪い意味で)臭かったりと、胡散臭さ満載の本ではあるが、各地で長い年月をかけて、その風土・気候に合った合理的な食文化が形成されてきたことには深く感動した。
今は過度な贅沢さえしなければ大抵のものを腹いっぱい詰めることができる環境に身を置いている。(もちろん、国によっては最低限の栄養すら摂取できない人が多くいるような国・地域もある。インドでは国民の三分の一が1日100円以下の生活をしており、富裕層は逆に残飯が多すぎて社会問題となっているのだとか。でも、それはそれとして。 )地球規模の環境問題にでも眼を向けない限り、牛を控えよう豚を控えようなどとはそうそう思わない。せいぜい、野菜もしっかり採ろう!程度しか考えていなかった。
漠然とあるものをバクバク食べるよりも、食の合理性という視点から食べるものを吟味した方が案外楽しくなるのかもしれない。
なお、一章からしばらく肉を絶賛してる感はあるが、こんなんだから米国は肥満が社会問題になってんじゃねえかと疑いの目を向けてしまうし、イスラム教に書かれている文からは、こんなんだから飛行機ぶち込まれるんじゃないかと思ってしまう。先に書いた通り、「これ本当なの?」という疑問が浮かばざるを得ない本ではあるが、それはそれで面白かった。