日本人の戦争観: 戦後史のなかの変容 (岩波現代文庫 社会 107)
- 岩波書店 (2005年2月16日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006031077
作品紹介・あらすじ
日本人の戦争観はどのように作られ、変化してきたのか。一億総懺悔論や大東亜戦争肯定論など、政治家・知識人の発言から、戦記物や投書に表れた市井の人の声まで、膨大な素材を検証。対外的には最小限の戦争責任を認めつつ、国内では不問にしてきた様をえぐる。教科書をめぐる史観論争など、近年の動きを補う。
感想・レビュー・書評
-
2018/08/31 初観測
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本は政治的・経済的理由から戦争責任をきちんと処理する機会を逸した。その結果ダブルスタンダードが成立し、都合のいいともとれる戦争観がうまれた。国民は被害者意識が強く、加害者意識が低い。
またどの国も自分たちの国が行なってきたことを間違いだとは認めたくないわけで、正当化したり、それに対してまた他国が反発したり…。
戦争責任の原因を明確にしてきちんと教育されない限り、ナショナリズムのぶつかり合いで一生戦後から抜け出せないだろう。
結局戦争は勝者が正義で、好き勝手に戦後処理してしまうのだ。 -
日本人の戦争観について、一般に知られている通り、日本人の戦争観には被害者意識が強く、加害者意識が弱い。歴史認識についても近隣国に対して反省が弱いと考えられている。では、それはなぜかという答えがこの本で議論されているところである。加害者意識の弱さの根源としては、日本が終戦という形を持って植民地を手放したことである。他の宗主国は植民地との血みどろの独立運動を経て植民地を手放している一方であっさりと植民地を手放すこととなった日本人は帝国意識が強く、アジア近隣国に対して思慮が及んでいないとも考えられる。では、なぜ被害者意識が弱いのか。日本の賠償はアメリカによる一国精算であったと同時に、アメリカのアジア戦略の都合上、早くに日本の賠償問題を切り上げて日本を衛星国としたことで、反省の意識をもつ間もなく戦争の精算がなされたという理由もある。また、当時アジアの国の国際政治上の地位が低く、それを暗黙のうちに承認してしまった。もう一つ考えられるのは、戦後という観念について経済復興を指標に考えていたことである。もはや戦後ではないという標語は、戦後の経済水準を越えようとする意志であるという一方で、戦後という観念を経済復興に一元化する効果があったとも考えられる。
軍部の暴走というイメージのもと、国民が騙されたという意識を持っていたことも加害者意識を軽薄にさせた。しかし、やはり騙されたという話ではすまないもので、今日が終戦70年であるが、この本からの教訓として、騙されるような国民になってはならないという点を意識したい。また、もう一つ示唆的だったのは、騙されたという意識に付随するが、戦争中の負担の不平等である。戦争中だからこそ、負担はその前の社会的序列に基づいて分配される。戦争と貧困は安易に結びつくが、このような事態も忘れてはならない。 -
戦争責任とか戦後の状況とか、資料でわかりやすく変化がわかる本。
-
様々な資料に基づいて,日本人の戦争観,戦争責任観がどう形成されてきたか,を示した労作.
-
分類=日本人の戦争観。05年2月(95年7月)。
-
「8月15日」の対比が興味深いです。