- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006031831
感想・レビュー・書評
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哲学者永井均の本はこれまで何冊か読んで来た。また永井の前には哲学者中島義道にある時期嵌っていて、今でも興味があるが、積読中。つまり哲学のスタートは中島で、その嵌り方はとても尋常ではなく、そして哲学の分野に興味を持つようになった。
暫くして永井均の存在を知る。この中島と永井の2人はお互いを知っている。中島は偏屈で、永井は正統的という感じ。哲学できるのは才能だと思うし面白そうだと思うけど、歴史に名を残してきたのは、欧米の哲学だし、日本でも独自の哲学はあるが、世界的には枝葉末節なのかなと思う。
さて、本作は、「マンガを哲学する」だが、要するに哲学的問題で、活字ではなく、マンガでしか取り扱えない哲学的問題があるということだ。取り上げられたマンガは、半分位名前を知っているものであったが、知ってるだけでほぼ読んでいないので、本作でマンガの要点が分かりお得な気がした。漫画はもう読めない。子供の頃は、週刊少年ジャンプの黄金期だったが、中学生位から読む嗜好も変わり、今では全然読む気が起こらない。
下記引用、数字はページ数
88 哲学とは、要するに、なぜだか最初から少し哲学的だった人が、本来のまともな人のいる場所へー哲学をすることによってー帰ろうとする運動なのだが、小さな隔たりをうめようとするその運動こそが、おうおうにして深淵をつくりだしてしまうのである。
124 われわれが知っている道徳的な善悪というものは、ごくふつうの状況で、ごくふつうの人がする行動の基準として役立つようにしかできていない。
あとがき
232 哲学は、他にだれもその存在を感知しない新たな問題をひとりで感知し、だれも知らない対立の一方の側にひとりで立ってひとりで闘うことだからである(この闘いの過程や結果は世の中の多くの人々からは世の中ですでに存在している問題に対する答えの一種と誤解されてしまうのではあるが)。
234私には、現存するある特定のマンガ作品に依存しないではうまく表現できない特殊な哲学的な問いがあったのである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
藤子・F・不二雄から多重人格探偵サイコまで、縦横無尽に漫画の中に潜む哲学を掘り起こす一冊。
永井均がよく題材に挙げる存在論が特に厚く掘り起こされている印象。サラッと読む分には面白いが、哲学書として読もうとするとやや内容は薄めかもしれない。
ただ沢山の哲学的ささくれは内包されているので、これから先へ進むかは読者次第。 -
1章 意味と無意味
食欲を満たす代わりとして性欲を満たす世界。売買春はダメで売買食が良い理由……
やはり、羞恥心が関係してくるのかな「気楽に殺ろうよ」
皆が今の世界を良いと思っているからマイノリティ(異物)は排除されるのだろう。「流血鬼」
「カイジ」限定ジャンケン
2章 私とは誰か?
諸星大二郎「子供の遊び」
p189「禅はいろいろなものの捨て方を教えてくれるが、それは捨てるべき何か巨大なものの処理に困っている人にしか役に立たない」 -
読んだことがある漫画に新たな視点をもてて新鮮だった。
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面白かった。
特に第5章の3〜5。4,5は所謂一般的な(と個人的には思っている)自分の中の「負」の側面を認めつつも、それを飼い慣らす強さを持てるようになること=大人になること、として描かれている。一方で3ではこうしたものとは違う子供-大人の関係が描かれる。
大人とは子供が成長していくことでなるもの(或いは子供とは大人の未成熟な姿)、ではなく、大人と子供とは本質的に異なるものだとして形象化したものが、諸星大二郎「子供の遊び」というのである。子供から大人へと連続的に成長するのではなく、子供は子供として始まり、また終わる。大人も大人として始まり終わる。そしてこれが「真理」なのである。
…もちろん、そんなことは無い。人間は「子供」を経て「大人」となる。それは事実である。しかし、その過程で肉体面、精神面で激変していくこともまた事実である。その変化の度合が凄まじいこと、それを諸星氏はマンガという形で表したのだ。ということだと思われるが、もしかしたら…と考えずにはいられないものがある。 -
マンガの世界観や表現から考える「哲学」。
『空想科学読本』のような、
「描かれていることを科学的に考える」という
スタンスよりも、個人的には好みでした。
(荒唐無稽さを楽しむという意味では
『空想科学読本』のスタイルも好きなんですけどね~)
なるほど…と考えることしばしば。
かといってわかるわけでもない…。
そこはやはり「哲学」ですね(笑)。 -
マンガでしか表現しえない哲学的命題がある、
というテーマ設定のもと、90年代後半あたりのマンガを中心に、
哲学的論考を展開している。
さすがに本職の哲学者が著した書籍、
タイトルほどライトではなく、相応に骨太の感はある。
興味深かったのは楳図かずお「漂流教室」。
同作のように、社会環境が崩壊した時、これまでの倫理観は通用しない。
だが、これまで以上に倫理によるルールは必要となる。
その時に必要なのは、倫理や道徳の本質への洞察。
何を実現するための倫理なのか、水準の変更が求められる、と指摘する。
社会構造論的にも面白い論考。 -
非常に面白かった!
翌日に試験があるにも関わらず、言語認識論の勉強に飽きて手を出した本だったが、ついに1日で全て読み切ってしまった。
哲学者としての永井均が問題とする、「私」という存在を中心に、様々な問いがマンガとともに紹介されている。
しかし、哲学を勉強していると性格が暗くなってくる…。 -
おもしろいし、懐かしい。好きだったな〜『洗礼』とか。最近はマンガを読む機会が少なくなってしまった。あぁまたマンガを読みたい!