- Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006032258
感想・レビュー・書評
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これはいい
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冒頭に放射能物質と化した夫を愛し続けた妊婦の話がある。愚かと言うは愚か。30年ほど前、アウシュビッツ収容所に関する本を読んで人間の悲惨の極北と思ったが、ここには別の極限がある。憎悪ではなく無思慮あるいは原子エネルギーを制御できると思った傲慢によって起こった地球規模災害。英雄的行為により人類の破滅は食い止められた、本当に?除染は不可能。危険を無視して生きる人々。「未来の物語」いつかは人類も地球も滅びる。「人間は大地から生まれるもので生きている」。原発はタバコを吸い有限の化石である石油を消費するのと同様に死に至る愚行か。死の受容。絶望。
「石棺」なんとハードな言葉だろう。その石棺も老朽化し外部に覆う棺が作られるという。ツタンカーメンの幾重にも被われた墓のように。福1では「デプス取り出し」技術も目処が立たないのに「予定」されている。取り出して、何処に置くかさえわからないのに。更地信仰。人が住んだ場所に更地はあり得ない。 -
・家のドアはぼくらのお守りなんです。家族のだいじな宝物。このドアのうえにぼくの父が横たわった。どういう風習によるものか知らないし、どこでもこうするわけじゃないが、母が話してくれた。「ここじゃね、亡くなった人はその家のドアに寝かせなくちゃならないのよ」。父は棺が運ばれてくるまで、ドアに横たわっていた。ぼくは一晩じゅう父のそばにいた。父が寝ていたのがこのドアなんです。朝まで玄関は開いたままでした。また、このドアにはてっぺんまでギザギザが刻みこまれている。ぼくの成長のあとが記されているんです。一年生、二年生、七年生、軍隊に入る前。横にはぼくの息子と娘の成長のあと。このドアにぼくらの全人生が記録されている。どうして残していけるだろうか!
・-まあ、思い出したくもない!恐ろしい。私らは、兵隊たちに追い出されたんですよ。軍隊の車がつぎからつぎへとやってきたわ。自走砲よ。高齢のおじいさんが寝たきりで、死にそうだったの。どこにいけっていうのかしら?「わしは、ほら、起きて墓にいきますよ。自分の足でな」と泣いていました。家の補償金がいくら支払われたと思います?見てください。ほんとうに美しいところなんですよ。だれがこの美しさにお金を払えるかしら?保養地ですよ!
・-招魂祭にはみんなわれさきにと帰ってきますよ。ひとり残らず。だれもが先祖の供養をしたいんだよ。警察は名簿を見て通してくれるが、18にならない子どもは入れてくれない。ここにきて自宅のそば、自宅の庭のりんごの木のそばに立つのは、ほんとうにうれしいことなんです。人々はまず墓地で泣き、それから自分の家へと向かいます。家でも泣きながら、祈るんです。ろうそくを立て、塀に抱きついておる。墓の囲いに抱きつくようにして。家のそばに花輪も置く。木戸には白い飾り布をかけるんです。神父さまがお祈りをあげる。「兄弟姉妹のみなさん、忍耐強くあってください」
・ぼくは汚染地にいた日々を思い出したくないのです。自分のためにあれこれいいわけを思いついて、扉を開けたくないのです。ぼくはあそこで、どこで自分がほんもので、どこでにせものであるか、理解したかったのです。
・じつにいろんな質問がでましたが、ひとつだけ脳裏に刻みこまれている。おとなしくて口数の少なそうな男の子でしたが、赤くなり、くちごもりながら聞いたのです。「どうしてあそこに残っている動物を助けちゃいけなかったの?」。ぼくは答えられなかった。ぼくらの芸術は人間の苦悩と愛に関することだけで、すべての生き物のことじゃない。人間のことだけなんです。ぼくらは動物や植物のところ、このもうひとつの世界におりていこうとしない。なのに、人間はあらゆる生き物にむかってチェルノブイリをふりあげてしまったんです。
・ある学者との会話を覚えているんです。「これは何千年にもわたるんです」とかれは教えてくれた。「ウランの崩壊、ウラン238の半減期ですが、時間に換算すると10億年なんですよ。トリウムは140億年です」。50年、100年、200年、でもその先は?その先はぼくの意識は働かなかった。ぼくはもうわからなくなったんです。時間とはなにか?ぼくがどこにいるのか?
・いまヤロシューク大佐が死にかけています。化学者で線量測定員でした。屈強な男でしたが、からだが麻痺し寝たきりです。彼は腎結石もあり、石を取らねばなりませんが、ぼくらの団体には手術代をはらう金がない。ぼくらの団体は寄付でなりたっており、貧乏なんです。国は詐欺師ですよ、この人たちをみすててしまった。この人たちが死ぬと、通りや学校や軍の部隊に彼らの名をつける。でも、これは死んだあとです。ヤロシューク大佐は汚染地を歩きまわり、汚染の最高地点の境界線を定めた。つまり生きたロボットとして完全に利用されたのです。大佐はこのことはわかっていたんです。しかし、歩いた。
・放射線とはいったいなにか?だれも聞いたことがなかった。ぼくはちょうどここにくるまえに民間防衛部の講習を受けて、30年前の情報を与えられていた。致死線量がが50レントゲンというやつ。教わったのは、衝撃波を頭上でやりすごし、ダメージを受けないたおれ方。被爆とは。熱線とは。ところが、地域の放射能汚染がもっとも被害をもたらす要因だということは、ひとことも話してくれなかった。ぼくたちをチェルノブイリまで引率してきた職業将校たちもほとんど理解しておらず、知っていたのはウォッカを多めに飲まなくちゃならん、放射線に効くからということだけ。6日間ミンスク郊外に駐留し、6日間飲んでいた。
・朝、ひげをそる必要があったか。鏡をのぞくのがこわいんです。自分の顔を見るのが。ありとあらゆる考えが顔にでてましたから。そもそも住人がまたここにもどってきてくらすなんてとても考えられない。それなのに、ぼくらは屋根のスレートを交換し、屋根を洗い流している。なんの役にも立たない作業をしていることは、何千人もの者みなが百も承知です。それでもぼくらは毎朝起きては、同じことをする。無学のじいさんが迎えてくれる。「お若いの、こんなよからぬ仕事はやめなされ、さ、テーブルについて一緒に昼めしを食べなさらんかね」
・あなたのご質問にお答えします。なぜ、私たちは知っていながら沈黙していたのか、なぜ広場にでてさけばなかったのか?私たちは報告し、説明書を作成しましたが、命令には絶対に服従し、沈黙していました。なぜなら、党規があり、私は共産党員でしたから。汚染地への出張をことわった所員がいたという記憶はありません。それは党員証を返すのを恐れたからではなく、信念があったからです。まず、私たちは公平な良い暮らしをし、わが国民は最高であり、あらゆるものの規範であるという信念があった。この信念が崩れさったため、梗塞を起こしたり、自殺をした人が大勢います。レガソフ・科学アカデミー会員のように、心臓に弾丸を撃ちこんで。なぜなら、信念を失い、信念を持たないままでいるなら、もはや参加者ではない。共犯者なんですから。弁解の余地はありません。私は彼をこのように理解しています。
・最初の数日、いろんな感情が混じりあっていました。いちばん強かった二つの感情を覚えています。恐怖といらだちです。すべては起こってしまったのに、情報はいっさいありませんでした。政府は沈黙し、医者はひとことも語ろうとしません。地区では州からの指示を待ち、州ではミンスクから、ミンスクではモスクワからの指示を待っていたのです。
長い長い鎖。その先端ですべてを決定していたのは数人の人間です。私たちは身を守るすべがなかったのです。こういうことを当時いちばん強く感じていました。私たちの運命、何百万人もの運命を決めようとしていたのはほんの数人の人間なんです。またほんの数人の人間が私たちを殺すかもしれなかったのです。偏執狂でも、犯罪者でもない、原発のごくふつうの当直運転員が。それがわかったとき、私は非常にショックを受けました。
・あの四月の暖かい雨。七年間あの雨を覚えています。雨粒が水銀のようにころころころがっていた。放射能って色がないんですって?でも、水たまりは緑色や、明るい黄色でしたよ。となりの家の人がこっそり教えてくれました。ラジオ<自由>がチェルノブイリ原発の事故を伝えていたと。私はまったく意に介しませんでした。頭から信じていました。
もしなにか重大なできごとがあれば、国民に知らせてくれるはずだと。特殊設備も、特殊信号も、シェルターもあるんです。警告があるはず。私たちはそう信じきっていたのです。
私の内はあたかも二人の人間がいるかのようです。チェルノブイリ前の私とあとの私。でも、いま<前>の私を完全に正確な形で再現するのはむずかしい。私のものを見る目が変わってしまいましたから。 -
「祈りはひそかに唱えるものです」
チェルノブイリ原発事故の処理作業で、夫を亡くした女性のこの一言が、この本全体を貫く色調かもしれません。
冒頭で語られる消防士の妻が立ち会うこととなる、壮絶な夫の最期の描写には戦慄を覚えました。
甚大な災禍に直面した人々の魂の鎮魂碑。ともいうべき作品ではないかと思います。 -
個人的には過去最高の1冊に入る本であった。
それはチェルノブイリの事故のことが丁寧に描かれているからではなく、真実を絵に描いたかのように描写しているからである。
その描写の仕方は、ページをめくるたびに自分に新しい世界を見せてくれた。この事故を歴史の教科書で使われるような記述でしか知らなかった自分は、読み終わった後の目で見えているものが、全く異なっていると感じている。
歴史の中の1つの事件ではなく、事故の日からまた新たな世界が始まったのだと理解できた。
まさに近現代はチェルノブイリ前と後に分けられる。
科学の力の無力さを思い知るだけではなく、無知がもたらす科学の恐怖も読み取ることが出来た。
この21世紀に生きる自分にとって、本当に読んでおいてよかったと思える1冊に出会うことができた。
この本をすすめてくれた友人に感謝を伝えたいのと同時に、二度と感想を伝えることができなくなってしまったことが本当に悔しい。 -
チェルノブイリ事故が国家という巨大なものに蓋をされた状態にあり、亡霊のように再び現れる可能性を残しているということがわかった。人は手に負えないものを開発してしまったのだ。見ないふりをしてもチェルノブイリはそこから消え去ることはない。でも、どうすることもできないので、核について知識のある者は口を閉ざし、そうでない者は知ろうとせず、みんなで蓋をしている。もう一つこの本からロシア人の気質を少し知ることができた。これまで普通に暮らすロシアの人々を題材にした作品に触れることがなく詳しくは知らなかったが、驚くほど国家に従順な国民性を持っている。他国に対しては信念を曲げようとしないが、国家に対しては黒であっても白と言われたら従うような国民性に思えた。文化や国民性は尊重されるべきであり他国がとやかく言うものではないが、弱者が虐げられる社会は人間が成長していない証拠だろう。日本はどうなのか。今の世界はどうなのか。チェルノブイリ事故の被災者からの声はとても貴重で私たちに多くのことを教えてくれる。
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「最近、私の娘がいいました。
『ママ、私、障害児を産んでもやっぱり愛してやるわ』
考えられます?彼女はまだ10年生ですが、もうこんなことを考えているんです」(チェルノブイリへの祈りより)
村上春樹を押しのけて、2015年のノーベル賞を受賞した本作。
もう最初の1ページ目から「ああ、これは村上春樹より先にノーベル賞をあげるべき作品だ」と実感。(もちろん、いつかは春樹さんに受賞して欲しいけど)
文章がどうのこうのというより、今、この瞬間にチェルノブイリに住み、被爆に苦しんでいる人たち、そして、フクシマを抱えた日本人、すべての人間へのメッセージがつまっている。
単なる原発批判ではない。
いざ、事故が起きたとき、政府も電力会社もなにもしてくれない。「避難しろ」という指示さえもださず、みなトンズラするのだ。頼りになったのは、名も無き人々の命を張った行為。それをだれが記録するのか。そして、なぜ今もそこに住み続ける人々がいるのか。原発よりも実は「内戦」のほうが恐ろしい。
そういったことを、美しいロシア的な語り口調で淡々と語ってくれます。 -
最後の一ページまで、目を離すことができない。圧倒的な体験がもたらす言葉と沈黙。読むという営為の意味を考えざるをえません。
そうであっても、なお、この世界が存在することの意味を深く問いかける傑作。 -
チェルノブイリの祈り
ベラルーシ出身の作家、スベトラーナ・アレクシェービッチの2015年のノーベル賞受賞作品。
1986年のチェルノブイリ原発事故での被害者の遺族にインタビューを行い、ソ連の社会主義統制のもとで封じられていたありのままの意見を載せた書物である。
ここまで大きな原発事故がどのように起こったかなどの詳細は語られておらず、事故後のソ連やベラルーシの学者たちの”放射能”に対する無知、事故の重大さを隠匿するための情報統制など、どのように市民が扱われているかを市民目線で細かく、ありのままに描いている。
p163
「兄さんは人間ブラックボックスだよ」
チェルノブイリの被害者は、あまり情報が公開されていないチェルノブイリ事故の影響・詳細を知るてがかりとなることから、このように揶揄されている。
チェルノブイリの事故処理を行う職員は、今では考えられない軽装だった。
これは、共産党の間違った情報がもたらした”傲慢”であり、自殺行為であった。
p191
1993年 ベラルーシの女性の20万人が中絶
p218
「”チェルノブイリ”は隠喩であり、象徴」
何の象徴、隠喩であるのか。
やはり放射能の影響を受けて、遺伝子が傷ついている(=子供が産めない、)、事故の悲しみを背負う
故郷を失う悲しみを背負っている、
p51
スタハノフ運動
1930年代なかば、第二次五か年計画期のソ連で展開された労働生産性向上運動。ドネツ炭鉱の採炭夫アレクセイ・スタハノフАлексей Григорьевич Стаханов/Aleksey Grigor'evich Stahanov(1906―77)にちなんで名づけられた。スタハノフは1935年8月31日、一交替でノルマの14倍にあたる102トンを採炭するという記録をあげた。全国の労働者に対し、彼を見習うようにとのキャンペーンが展開され、高い記録をあげた労働者は「スタハノフ労働者」とよばれて高い賃金を支払われた。この運動により、高賃金を目ざす労働者相互の競争が促進されるとともに、職場内に競争の勝者と敗者との賃金格差、熟練度に基づく序列化が固定化されるようになった。
p56
コルホーズ
https://ja.wikipedia.org/wiki/コルホーズ
p196
「みんなが夢中だった物理学」はとても印象に残った。
原子力発電所という危険なものを利用しながら、その危険性が周知されておらず、万一の対処法も
確立されていなかった。作家の忠告にもかかわらず、無知ゆえにその忠告を相手にしない。
無知とはとても恐ろしいと感じた。そういう意味で言えば、今のネット社会は平等に情報共有ができて知識の平均化が
進んでいるような気がする。