院内カフェ

著者 :
  • 朝日新聞出版
3.59
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本棚登録 : 653
感想 : 114
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022512895

作品紹介・あらすじ

【文学/日本文学小説】ロングセラー『漢方小説』の著者が、中年期の身体や心模様を軽妙なタッチで描き、気持ちがほっこりなごむ傑作。総合病院のカフェを舞台に、不妊の夫婦、患者との関係を模索する医師などが、治療とは何かを問いかける。

感想・レビュー・書評

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  • しばらくレビューをお休みしておりましたが、少しずつ再開していこうと思います。

    第一弾は病院内にあるチェーンのカフェを舞台にした様々な人間ドラマ。
    カフェで土日だけ働きながら本業は(あまり売れていない)作家の女性・相田。
    その病院に夫が入院している女性・朝子。
    そして入院している夫本人・孝昭。
    さらに病院で働く医師・菅谷(相田からは『ゲジデント』と呼ばれている。
    彼らの視点が入れ代わり立ち代わりしながら物語が進む。

    病院内のカフェなのでクセのある客がいる。
    相田が『ウルメ』と名付けた扱いに困る客。
    孝昭が遭遇した自分の中に別人格を作って病と闘っている少女。
    そして朝子・孝昭夫妻も。

    病を抱える本人と支える家族。
    病でなくても何かを抱えている人たち。
    夫婦関係に家族関係。

    個人的には朝子の半生はとても響くものがあって読んでいて辛くなる場面も多かった。
    この夫婦がどうなるのか特に気にしながら読んだ。

    かと言って重苦しい話というわけではなく、文章はテンポよくコミカルな場面も多い。

    『治療に関わるわけでもないし、お客が患者でも、医者でも、健康な人でも、全く同じサービスをする。(中略)
    病んでる人が、いつでも入れるように病院に寄り添っていて、でも関わらず独立して、そこにある』

    カフェの立ち位置を人に置き換えられるのがなかなか面白い。こうなれるかどうかはとても難しいけれど。

    最後はちょっとアメリカのドラマか映画みたいな話だったが粋だった。
    私の予想は一見嫌なヤツの…だが、さて。読む人それぞれの真相があって良い。

    年明け一作目のレビューとしてはなかなか良い作品だった。

    • fuku ※たまにレビューします さん
      さてさてさん♪
      再開したてのレビューに早速のコメントありがとうございます。
      ゆっくりマイペースでまた読書を楽しみたいと思います。
      中島...
      さてさてさん♪
      再開したてのレビューに早速のコメントありがとうございます。
      ゆっくりマイペースでまた読書を楽しみたいと思います。
      中島たい子さんの作品を読むのは久しぶりでしたが、変わらず楽しく読めました。
      病院が舞台ですが、重くなりすぎず軽すぎず良いバランスです。
      著作はたくさんありますので、さてさてさんお気に入りの作品も見つかるのではないかと思います。
      今後とも宜しくお願いします。
      2022/01/11
    • あやごぜさん
      fukuさん。こんばんは。そして、おかえりなさい♪

      いいね!をありがとうございます。
      お休みされていたのを、“少しずつ再開”との事で...
      fukuさん。こんばんは。そして、おかえりなさい♪

      いいね!をありがとうございます。
      お休みされていたのを、“少しずつ再開”との事で、またfukuさんの知性あふれる丁寧なレビューを拝見できるのが楽しみです(あ、勿論ご無理はなさらないでくださいませ)。
      今年もよろしくお願いいたします(^^♪
      2022/01/15
    • fuku ※たまにレビューします さん
      あやごぜさん♪
      コメントありがとうございます。
      気ままに書いているレビューですが、読んでいただき、嬉しい限りです。
      あやごぜさんの読ま...
      あやごぜさん♪
      コメントありがとうございます。
      気ままに書いているレビューですが、読んでいただき、嬉しい限りです。
      あやごぜさんの読まれている本は私の好みのものが多いので楽しませていただいてます。
      こちらこそ、今後とも宜しくお願いします。
      2022/01/15
  • 著者、中島たい子さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。

    ---引用開始

    中島 たい子(なかじま たいこ、1969年8月19日 - )は、日本の小説家、脚本家。

    ---引用終了


    で、本作の内容は、次のとおり。

    ---引用開始

    受診するほど病気じゃない。入院するほど病んでない。けれど、どこか不安な私たちは、あのカフェで、病院の傍らにいることで、癒されている。過去にあそこで「何かが良くなった」経験があるからだ。『漢方小説』から10年。新たな舞台は総合病院のカフェ。ふた組の中年夫婦のこころと身体と病をえがく、カフェの醸し出す温かさが流れる長編小説。

    ---引用終了


    初読みの作家になります。

    ・2005年、「漢方小説」で第132回芥川龍之介賞候補。
    ・2006年、「この人と結婚するかも」で第133回芥川龍之介賞候補。

    とのこと。

    2年連続で芥川賞の候補にはなりましたが、受賞には至らなかったようです。
    すんなりと受賞する方よりも、私には親近感が湧きますね。

  • 病院内に併設するカフェを舞台に、入院・通院する患者、介護する人、見舞い客、医者・看護師等の病院スタッフ等々、総合病院を利用する様々な立場の人間模様を垣間見る連作短編集。

    病院の中にあるけれど、そこは誰もが気軽に利用できる憩いの場。
    そこに足を踏み入れた人は、医者も患者も関係なく、誰もが等しく「客」となり全く同じサービスを受ける。
    病院内でありながら、中立的な立場で全ての「客」に接する貴重な場なのだ。

    特に、両親と夫の介護に翻弄される朝子の話には身につまされた。
    私も他人事ではない。
    近い将来こんな苦労が待っているのかと思うと憂鬱になってきた。
    ラストで朝子が感じたように、上手く割りきれればいいのだけれど。

    また、持病のある、まだ幼いさやかちゃんが自分に別の名前をつけて現実逃避する気持ち、よく分かる。
    それに合わせるさやかちゃんのお母さんも、また辛いよね。。

    私も地元の総合病院内にも院内カフェがある。
    どんなメニューがあるのかな…等と思いつつも、つい横目で素通り。
    なんとなく敷居が高かった。
    今度近くへ行った時に思いきって立ち寄ってみようかな。
    なにしろ、院内カフェの飲み物はみんなカラダに良くて、元気になれるそうだから。

  • 院内カフェに一歩入れば、彼らは「患者」でなく、私たちにとって「客」なのだ… 土日バイトの主婦、相田亮子は若いスタッフ村上君と接客に勤しむ。
    亮子が(売れない)作家と知った彼は、仕事の合間にネタ話を披露。そんな穏やかな空気を一変させる事件が起こる。

    カフェに常連客は付きもの。
    黄緑のヤッケを着たウルメは日曜の夕方になるとやってくる。今日も「本日のコーヒーS」を注文した。白衣姿で体毛の濃いゲジデントもカプチーノMで長居をするので、本当の医師なのかどうか疑わしい。

    クスッと笑える癒し系小説だろうと油断していたようだ。カフェで妻の朝子が、入院中の夫にソイラテをぶちまけるその瞬間まで…

    人はそれぞれ悩みや不安を抱えて生きている。親の介護でストレスを溜めこむ朝子の言葉に身がつまされる思いがした。
    「親孝行という、愛情と義務感が入り交じった言葉を支えに、これからも続けていくしかない」
    両親を看取り、自分の人生を始めようとした矢先、今度は夫の孝昭が病気で入院することになった。
    非常時ほど、その人間の本質が出る。
    パートナーとの価値観のずれを感じた朝子が、虚しさからソイラテをぶちまけた思いはよくわかる。夫に初めて書いた朝子の手紙文に思わずウルっとなった。
    私も病院のカフェのような立ち位置に自分を置くことができるだろうかと考えてしまった。

    不妊で悩む亮子もどこかで気持ちに折り合いをつけようとしている。
    逃げ場を作って病と闘わなければいけない小さな子もいる。
    「この世は理不尽なことだらけ。病だけでなく、罪もないのに犠牲になる子供はあとをたたない」
    孝昭は、やっと逃げずに病気と向き合う決心ができたようだ。妻のおかげで!!

    クリスマスイブに起きた最高に「いい話」に心がほっこり温かくなるラストがとても良かった。

    • コルベットさん
      ナオさん、こんばんは。ソイラテをぶちまける感じ、わからなくないです。知らずいっぱいいっぱいになっていて、え、なんで?って自分自身驚きながら、...
      ナオさん、こんばんは。ソイラテをぶちまける感じ、わからなくないです。知らずいっぱいいっぱいになっていて、え、なんで?って自分自身驚きながら、思ってもなかった行動をとってしまう感じでしょうか(間違ってたらゴメンナサイ汗)非常時ほどその人の本質が出る、というのもなんだか耳が痛いです笑 レビューを読ませていただいて興味がわきました。見かけたら手にとってみようと思います(*´`*)
      2024/03/22
    • ナオさん
      コルベットさん、コメントを有難うございます。お返事が遅くなってしまいました。 本当におっしゃる通りで、一杯いっぱいの思いがついに溢れ出すあの...
      コルベットさん、コメントを有難うございます。お返事が遅くなってしまいました。 本当におっしゃる通りで、一杯いっぱいの思いがついに溢れ出すあの瞬間、思い出すと胸が痛くなりますね!
      ちょうど母の介護で実家に来ているので、平常心を失わないように心がけたいです。初めての作家さん、空き時間にサクッと読めておすすめです。
      2024/03/23
  • はじめての作家さんでしたが、よかったなぁ〜。
    病気だったり介護だったりなかなか重い話だけど院内のカフェでの出来事を通じて読み終えた後は、ほっこりさせられました。他の作品も読んでみたくなりました。

  • 新聞の書評を読んで、読んでみたいと思った本。
    初めての作家さんだったが、想像していた以上に心に響いた。

    登場人物の一人である朝子の年齢が自分と近いためか、彼女の置かれた状況や考えること(年老いていく両親の変化を諦観しながらも、やりようのない憤りを感じているところなど)、共感せずにはいられなかった。
    また、院内カフェでバイトする鳴かず飛ばずの作家、相田亮子の働きぶりが素人くさいのだが、その目線は客観的でありながら、ちょっと意固地なところもあって好ましい。バイトのバリスタ、村上君もかなりいい味だしている。


    来院の理由、滞在時間の長短に関係なく、病院という所は本当に精神的エネルギーを奪う…私の場合。
    院内カフェは、街中にあるあのチェーン店のカフェと何ら変わることなく看板を掲げている。
    不穏の中の平穏。
    闇に浮かぶ光。
    と言ったら大袈裟かもしれないが、私もその存在に救われたことがある。
    病院の会計を終えてそこへ立ち寄ると、自分はフツーの世界に戻ってきたのだ、という安堵感が押し寄せるのだ。
    2019.11.27

  • 179ページの「自分が病めるときも、人を愛せるか?」という言葉に、軽く衝撃を受けました。
    心身の不調や先の見えない治療という中にあって、他者を思いやり愛するという事は、とても難しい事のように感じました。

    登場時には「げー」っと思わせられたゲジデントですが、読み進めていくと印象が変わって、胸の内に秘めた医者としての矜持を垣間見るようでした。

    とても面白かったです。

  • とある病院に併設されているカフェが舞台の ほっこり出来るいい話ばかりの七章立ての好作品でした♪ とりわけ六章が印象的だったね。本当に こんなカフェがある病院があるなら入院したり受診したり見舞いに行ったりするかも知れないなぁ(笑)

  • 舞台は病院内に併設されたカフェ。
    そこでバイトするスタッフと、
    お客としてやってくる人々の悲喜こもごもな物語。

    私自身長女で、親の老いを感じざる負えない年齢だということや、
    登場人物の人生が、他人事とは思えない部分が多々あって…。
     
    なかでも朝子と孝昭夫妻の話が印象的。
    夫婦間に交わされる手紙がとても素敵でした。

    「さやか」という小さい女の子が、辛い闘病の現実から逃げるために
    ”まりあちゃん”というもう一人の自分を作ってるんですよ。
    病気なのは自分ではなく”まりあちゃん”なんだと。
    この子の母親はそれをわかって「まりあちゃん」って…。
    本当は諭すべきなのでしょうが…。
    つらいですね。

    ”病んでる者にまず必要なのは、薬でも原因の究明でもなく、たぶん救いなんだ”
    と言う孝昭の言葉、わかる気がします。

    家族って、誰かが病気になって初めて
    正面から向き合えることがあるのかもしれない…。


    亮子と航一も、とてもいい夫婦関係。
    共有する悩みが互いの思いやりにつながっていてね。

    バイトの村上君も、飄々としていていい感じだし。
    ”病気が良くなるクッキー”
    この院内カフェなら、ありそうな気がしてきます。

    「ウルメ」「ゲジデント」「マダム・スプラッシュ」
    私もよく行く場所のスタッフさんに、
    ニックネームつけられてたりして…。

    病院て、診察が終われば速やかに立ち去りたい場所。
    でもこんな「院内カフェ」があったら、ちょっと寄っていきたくなる。
    心地よい香りのする素敵な物語でした。

    それにしても、あの聖夜の贈り物は誰の仕業なんだろう・・・。

  • 『漢方小説』以来2冊目の中島たい子さん。
    院内カフェに行っていたクチとしては、
    面白いところを題材にするなーと興味を惹かれた。
    街中にあるカフェも、
    いろんなものを抱えた人が来ているのだろうけど、
    院内カフェはもっと多種多様で、
    どんな人も等しく受け入れられる場所なのかなと思う。
    生きることに向き合っている人たちが
    ほんのひととき、ほっとできる場所なのだろう。

    不妊治療とか、親の介護とか、
    配偶者(もしくは自分自身の)の病気とか、
    他人事ではいられない問題に胸がきゅっとなるけど、
    いろいろ闘いながらも
    時折ふっと息を吐いて力を抜くのは大事だなと思った。
    最後は、私もなんかこのプレゼントをもらった気分。

  • ★3.5

    受診する程病気じゃない。入院する程病んでいない。
    けれど、どこか不安な私達はあのカフェで病院の傍らにいることで癒されている。
    過去にあそこで「何かが良くなった」経験があるからだ…。

    このお話の舞台は総合病院に併設されている全国チェーンのカフェ。
    お店は街にあるのと同じ造り、同じメニュー、同じマニュアル。
    それでも、ここは病院で街とは異なる客が集う。
    土日だけこのお店でアルバイトする主婦で作家の亮子。
    自然酵母のパン職人の夫との間には子供が出来ない。
    不妊は病気なのだろうか…。
    「このコーヒーは体にいいですか?」と毎回大声で尋ねるウルメ。

    妻が夫にソイラテを浴びせかけた上品な中年夫婦。
    自分を守る為に、もうひとつの人格を作り上げてる幼い女の子。
    院内カフェに集う様々な人々にそれぞれの物語があり、
    視点が次々と変わり、それぞれの立場から見える物語は、
    やがて色々な所で繋がっていく。交錯していく。

    夫にソイラテを浴びせかけた朝子の介護人生に疲れ切ってる様子。
    いつの間にか、気付いたら両親の介護の道に引き込まれていた。
    どれだけ時間を費やしても、世話になっているという意識が薄れてゆく…。
    両親を看取り、これからって思ってる時に夫の難病が発覚。
    心が通い合わない夫とのこれからが考えられなくなる。
    しかし、朝子も院内カフェで気持ちが切り替えられた。

    精神的に自立していないから家族に振り回される。
    肉親から自分を切り離せず、どこかで依存している人間が家族の介護をすると、
    老いや病に自分も一緒にのみ込まれてしまい、とっても苦しく辛い…。
    その言葉に、あぁー私の事だって凄く凄く胸に突き刺さって苦しかった。

    どれだけ尽くしても、尽くしてもきっと後悔が残るだろう介護…。
    けれど、それでもいつかは介護の嵐にのみ込まれる事になると思う。
    そんなとき、じゃあどうやって自分を保つのか…。
    病にのみ込まれないこと、巻き込まれないようにすること。
    それが何より大事。ただ、病人のそばにいるだけの人。
    病んでる人が、いつでも入れるように病院に寄り添って、
    でも関わらず独立してそこにある。その強さを私も持ちたい。
    「院内カフェ」の様になりたい。
    そういう気持ちでいる事が大切だって思わされたこの本を読んで良かった(*˙︶˙*)☆
    カフェの暖かな雰囲気や心地よさが伝わる温かな気持ちになれました。

  • 店員、患者、家族、医師のそれぞれの事情があり、カフェと絡み合っている☕*°

  • 相田亮子は大して売れない作家活動の傍ら、土日は病院内のカフェでバイトしている。

    受付カウンターの隣にある、そのカフェはチェーン店で、病院だからと言って特別メニューを出すわけではなく、他の支店と同じラインナップだ。
    仕切られているわけでもなく、もちろん入り口ドアも無い。
    ベージュのリノリウムの床が、こげ茶のフローリング風味に変わるところ…そこが境界線。
    入院患者も来るし、家族や、見舞い客も来る。
    医師や看護師、もちろん病院とは関係ない人が外から来ても構わない。
    皆、平等に“お客様”である。
    病院内にあって病院ではなく、しかし完全に日常の街ではない、ある意味、病院に存在する“異物”かもしれない。

    亮子はつい、お客様の言動が気になってしまう。
    大声で同じことを繰り返す、黄緑のジャンパーの小男、スマホから目を離さない毛深い医師。
    夫に飲み物をぶちまけた、品のいい中年女性。

    亮子は夫との間に子供ができない。
    自分の遺伝子は要らないと、神様に言われているような気がする。
    バイトの村上くんが語る、人類には無用の長物となった免疫反応の話。
    免疫障害で起きる深刻な病気の話が出るのも、舞台が病院らしいところ。

    しかし、医療小説ではなく、それぞれの日常の、人生の話である。
    境界のあいまいさがこの本の優しいところだ。
    変わったものも、いらないと思われるようなものでも、等しく存在を許され、世界に肯定されている。
    独立してそこにあり、誰も拒まないカフェのように。
    もう一杯、好きなものをこれで。
    残ったら「歳末助け合い」の箱に。
    メリークリスマス。

  • 我が家の近くの大学病院も、数年前にホテルのロビーのようにきれいになり、チェーン店のカフェがあるので、そこをイメージしながら読みました。
    店員の動きや会話を読んでいると、こんなふうに働きたいなあなんて思ったり、病気や客として訪れた夫婦の事情など、暗くなりがちな話もテンポよく読めました。

  • 院内カフェで働く相田、利用する孝昭・朝子夫婦とウルメ、医師の菅谷…
    5人それぞれが抱える事情が少しずつ明らかになっていくとともに、病院の中にあえて普通のカフェがある意味も、教えてくれる小説です。

    不妊に悩むカフェ店員・相田は、カフェ同僚の村上のある考え方を聞き、自分のことを“今の環境の変化に適応できなかったことなのかな、自然界からいらないですと言われたのかな”と、考えます。

    そんな妻に、相田の夫・航一の言葉がかけた言葉はこうでした。
    「そう。何があるかわからないから、いつの時代にも、おれたちみたいな変わり者がいることは必要なんだよ。」
    「この世にある全てのものは
    誤作動を起こすものでも、絶滅するものでも、必要なものなんだよ、きっと」

    人それぞれの特性が「正しい」かどうかなんて、誰にもわかりません。
    ただ、その特性が生きづらさにつながる人もいます。
    でも時代が違えば、その特性はとてつもない才能だったかもしれません。
    だから、時代にはまらなくても間違っているとは言いきれないのです。

    とは言うものの、時代が変わるには時間がかかります。
    生きづらさもすぐにはなくなりません。
    だから、そんな生きづらさを抱えた人たちの心のより所として、院内カフェがあるのです。
    だって院内カフェは、病院の中にありながら誰でも入れるふつうの場所だから…。

    院内カフェのあの椅子に座るあの人も、コーヒーを出してくれたあの店員さんも、みんなそれぞれの事情を抱えて生きている。
    だから、読み手の私も「私の事情」を抱えながら生きてもいいんだなと、ちょっと心がラクになりました。

  • 病院内にあるけれど、そこだけは病院ではなくあくまでもカフェ。
    気付いたら介護に追われ、ご主人までも…
    この奥さんの気持ちが痛いほど伝わってきた。
    でも、この本のストーリー自体がいい方向に向かっていてよかったな。

  • 病院の中にあるチェーン店のカフェ。今では多くの病院にある。最初はそこだけが妙に明るく健康的で違和感を感じることが多かった。でもこの本に書いてあるように、院内カフェってとても特殊だけど、ある意味「救い」になっている部分もある。患者にとっても、家族にとっても、医療関係者にとっても、自分をリセットできて外とのつながりを感じられる場所のように思う。病院という建物の中でそれぞれが窮屈に演じている役割から開放される場所といってもいいかもしれない。どんな自分でも受け入れてもらえるという安心感がそこにはある。
    ひとつの章が長く感じられ、リズムよく読み進むのが難しい作品だった。印象に残ったのは「みんな神様に選ばれてるんだよ。この世にある全てのものは、誤作動を起こすものでも、絶滅するものでも、必要なものなんだよ、きっと」という言葉。こんなふうに悟れたら素敵。

  • カフェで一緒に働く男の子も夫もいい人そう。風邪で薬は飲まない 主義。

  • 淡々と色んな人生が。多分誰でもちょっとずつ物足りなさを抱えていて、それとどうつきあうか、悩んだりやり過ごしたりしてるのかなあ。
    病院にカフェやコンビニは絶対必要だよ。
    付き添いにも楽しみ欲しいから(´ω`)

  • この著者の本は初めて読んだ。
    自然と引きこまれ、一気に読み終えた。
    病院に併設されているカフェを舞台に、介護、不妊など、身近な問題にフォーカスしながらも、ほっこりさせる場面も多く、この著者が好きになった。
    とくに、家族の介護をする側の人間の複雑な感情に共感を覚え、最後の選択には考えさせられるものが多かった。

  • 病院に併設された全国チェーンのカフェ。そのカフェを中心に、そこで働く人、入院・通院患者、ドクター、お見舞いの人、それぞれのいろいろなエピソードで繋がる長編小説。

    前から気になっていた本。初読みの作家さんです。出会って良かった。すごく好きでした。
    最後には、不覚にも泣かされてしまいました。

    かなり後ろ向きだった亮子とパン屋の夫、カフェで揉めてた夫婦、それぞれの関係が後半に向かって改善していく感じが、たまらなく良かったです。
    マダムスプラッシュとか、お湯のSとか、そのフレーズだけでも、鼻の奥がツンときます。

    サンタクロースは、ゲジデント、がいいな。

  • 病院内にあるカフェが舞台。
    今どきの病院には院内にオシャレなカフェが併設されているのが普通なのか? ここいら田舎の病院には、一応喫茶コーナーはあるけれどもそれとは全然印象が違うものだと思う。
    だって、チェーンのカフェなら街なかで見かける店舗と変わらないのだろうから、病院内にあるとはいっても別物、別空間扱いじゃないのかな? だからこそ、気分転換ができるのだと思う。
    特殊な場所にあるカフェだからか、同じ人が訪れたりするんだろうし。何度も見かける人のことってなんか気になっちゃうもんね〜。
    注意深くみていたら、いろいろなことが起こっているのね。
    最後の粋なはからい、あれゲジデント先生じゃないの?
    人は見かけによらないのではないだろうか。

  • 病院内のカフェを舞台とした群像劇。病気という高いハードルを、カフェという空間の敷居の低さがカモフラージュしている感じ。ほっこりと温かく、しかもサラッと軽く読める。「病める時も人を愛す」のは、病んでいる相手を愛すのか、病んでいる状況でも人を愛すのか。なぜか人は、自分は(今後も)健康であると信じているものだ。

  • 病院の中にあるカフェに入ると、患者も先生もみんなフツーのお客さまになる。
    病院の中で普通になれる場所に、心を癒された。

  • 読み終わったあと、暖かい気持ちになりました。
    登場人物みんな、何かを抱えているけど、カフェでちょっと癒されてまた元の生活に戻っていける。いいなと思いました。

  • ご主人のご病気がタイムリーすぎて…笑

    介護や依存、種の存続のお話はふむふむと思いながら読みましたが、途中うぅっと痛くなる瞬間もあり。
    でも最終的にほんわかした雰囲気で終わってよかったです。

    冬にコーヒー飲みながら読むのがおすすめかな。

  • ゲジデントだと思う。

    薬は飲まない派

  • 初めて聞いた作家さんで、どうかなと思ったけど、偶然手に取ってよかった。
    舞台は大きな病院に併設されているカフェ。来るお客は患者さんが多いけれど、出すものはチェーン店の他のお店と同じ。思い通りにならない自分の体と他人の心。それとの付き合い方を少しだけ教えてくれるおはなしです。
    カフェでバイトとして働く小説家、相田亮子とその夫でパン職人の航一の会話が好きだった。
    子供が欲しいとは思っているが、できづらい体質であると知り、欲しいなら不妊治療をしてもいいと言う航一に、亮子は子どもができないことよりも、神さまに「あなたの遺伝子は必要ありません」と言われたように感じることのほうが悲しいという。それに航一は、地球の環境が違えば僕たちの遺伝子が必要とされる場合もあったかもしれないと答える。「いらない」じゃなくて、「今回は、ごめんなさい」じゃないかなと。売れない小説家と自然酵母でパンを作る職人という、どちらかというと世間から外れた遺伝子を持つ2人だけど、今の時代には必要とされなかっただけなんだよ、という考え方がすごく好きだなと思った。

  • 病院は異空間。あの中に足を踏み入れると例え家族の付き添いでも健全な世間とは隔離されたような気持ちにさせられます。
    そんな中で唯一世間に戻れた気になるのが病院内のカフェでした。
    あの頃の気持ちを何年も経って偶然手に取った小説で思い出すとは。
    変わらないあの場所にほっとしたことがある人なら、きっと苦しいほど共感してしまう小説。
    登場人物をみんな応援したくなるお話。
    なぁーんだ、これも“いい話”じゃないの(*^^*)

  •  物語は、週末の閑散とした院内カフェの描写から始まります。
     お客は、常連客2人と初めて訪れた藤森夫婦の4人。
     そこでちょっとした事件が起こります。
     物語はその後、そこに居合わせた人々を描いていきます。
         
     藤森朝子さん・孝昭さん夫婦の介護・闘病問題。なかなか深刻で、いずれ自分にも似たような問題が起こるかもしれないと思うと気が重くなります。
     幸い私の両親はまだ元気なようですが、年々老いて行くのが辛い。私のことが精神的ストレスの原因でもあるので申し訳ないのですが、ここまで来るともうどうしようもないのです。
        
     語り手の相田亮子さんは間りん子というペンネームを持つ作家。週末だけ院内カフェでアルバイトしています。
     相田さん夫婦には子どもができないという悩みがあります。
     亮子さんは、遺伝子が残らないとか、絶滅種だとか突き詰めて考えています。
     私は結婚すらしていないのだから、チャンスすらないのです。
          
    「選ばれなかったんじゃなくて、もし何か環境がすごく違うことになっていたら、発動することになっていた『種』なんじゃないかな。今の時代では出番がなかっただけで」
    「いつの時代にも、おれたちみたいな変わり者がいることは必要なんだよ」
          
    ……と本作品では納得していましたが、私にはそんな風に語り合う相手すらいません。
           
     孝昭さんの闘病問題をきっかけに、藤森夫婦のズレが明らかになり、離婚問題が浮上。
     孝昭さんは、自分を守るために「自分を閉ざす」という方法を学びます。それがまた夫婦間のズレを大きくすることに。
     朝子さんが孝昭さんに書いた手紙にはどういうことが書かれていたのか。
     似たような問題に直面する前に読んでおく価値があります。
          
     物語は、週末の閑散とした院内カフェの描写から始まります。
     お客は、常連客2人と初めて訪れた藤森夫婦の4人。
     そこでちょっとした事件が起こります。
     物語はその後、そこに居合わせた人々を描いていきます。
     ただ一人、間りん子さんの院内カフェでのアルバイトの相方でありエスプレッソマシン担当の村上君についてだけは、特に描かれていません。
     彼もまた興味深いキャラであり、彼もまた一つの物語を生きているのでしょうね。
     文筆の才もあるようだから、村上君バージョンの『院内カフェ』もあるのかもしれません(彼の書くバージョンは“いい話”系寄りか)。
        
     最終章は、クリスマスイブの院内カフェ。主要な登場人物が再登場し、物語はまとまります。
     クリスマスイブに向かう人々の群像を描くということで、日本版「ラブ・アクチュアリー」といった感がありますが、本家に比べると少々wetでheavy。
     しかし、重厚で読み応えあります。
          
     最後、間りん子さんはウェブサイト向けに依頼された童話を書き始めます。
     哺乳類に後を譲って絶滅した最後の恐竜の童話。
     これ、読んでみたい。
       http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20160726/p1

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中島たい子の作品

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