- Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022569288
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
高校生のとき、狂ったように読んでいた本。/同級生に読んでほしい一冊。僕たちが大人になった時(なりたくないけど)の一つの可能性を示唆している。
-
昔の狩猟採集民社会から現在の自由洗脳社会までの変遷と、その世界で私たちはどう振る舞うのかどう振る舞うべきなのかを鮮やかに描いた至高の一冊。
やはり岡田斗司夫は面白い。 -
25年前に書かれた予言の書。
我々は相互に洗脳しあう自由洗脳社会を生きている。 -
十年前の本だが内容は(細かな例示を除いて)今でも有効だ。むしろ今の方がより深く理解されるだろう。時価総額会計など
-
【加筆改訂版「評価経済社会」2011年 有り】
【朝日文庫版 1998年 有り】 -
岡田さんの本は何冊か見させて貰ってるけど、岡田さんの思考が深くて頭の回転が遅い自分には理解するのが困難なところが結構あって、読むのに時間がかかった。
「ぼくたちの洗脳社会」と言う題名の本なんだけど、今の社会の価値観はどう作られてるのかを凄く深く書いてあって、勉強になった。
このレベルの本をもっとしっかり理解していける様になりたいので、これからも岡田さんの本は読んで行きたいと思います。 -
仕事に関しても、安定した会社とか出世できそうとかを中心には考えません。
「こんな仕事に就いてみたい」
「自分の可能性を伸ばしたい」
といった、自分の気持ちを大切にしたいと考えます。
価値観の中心が「今の自分の気持ちを大切に」なのです。
こういった考えが主流になると、今まで考えられなかったような社会変化が起きます。また社会が変化すれば、構成員の変化にもますます加速度がつくでしょう。
そして、私たち自身の心の中でも、このような感性、価値観は変化しつつあるのです。
「いい会社に入って、どんどん出世して、バリバリ働いて、いずれ社長になって……」というお題目は、もはや信じられない。それどころか、そういう人生が幸福だとはだれも考えられなくなっているのです。
だから私は、ここでもう一度、言わなければなりません。
科学は死んだのです。
(1)社会全体が巨大な変化の時期を迎えている。
(2)そのため、従来の価値観が全体として明らかに破綻しつつある。
(3)変化している価値観を特定するために若者の嗜好を観察すると、価値の中心に「自分の気持ち」を置いていることが分かる。
(4)「自分の気持ち」が第一なのは、既存の価値観では、幸福が追求できないことが明らかだからだ。
(5)彼らや私たちの価値観変化の中心には、私たちを幸せにできない「科学」と「経済」への信頼の喪失があることが分かる。
今の学生は、より給料が高い企業、より安定した企業を就職活動の第一条件にはしていません。もちろん、最低これだけの給料は欲しいという希望はあるでしょう。今にも潰れそうな会社に好き好んで入ろうという奇特な人もいません。
しかし同時に「おもしろいことをしている企業か」「自分におもしろいことをさせてくれる企業か」「自分にとってプラスになる経験ができ、ネットワークができるのか」といった判断材料の方が大きなウエートを占めているのです。
給料がたくさんもらえるとか、退職金が多いというのは、決定的な判断材料にはならないのです。
一般的にいわれている「現代の若者像」はウソなのです。
製品を大量生産することに、なんとなくいかがわしさを感じてしまいます。より安く原材料を買い叩いたり、より安い賃金で他の国の人をこき使ったり、より無駄のない清潔な工場の生産ラインを整えたりすることに情熱を持てません。大げさな言い方をすると、そんなことに「正義」を感じられないのです。
そんなことのために、自分の大切な時間をたくさん使うなんて!
残業も休日出勤も、そんなことのために頑張る理由が一つもなくなってしまったのです。
◆人間のやさしい情知
人間には「豊富なものをたくさん使うことを格好よいと感じる美意識と、不足なものを節約するのは正しいことだと信じる倫理観」が存在する。
『知価革命』という本の中で、堺屋太一はあらゆる文明に共通の法則を、こう分析しています。
この価値観を堺屋は「人間のやさしい情知」と名付け、パラダイムシフトの原動力と考えました。
つまり人間というのは、その社会全体に豊富にあるもの、余っているものをたくさんどんどん使うことを「カッコイイ、やってみたい」と感じる。少ししかないもの、不足しているものを大切にすることを「正しい、立派なことだ」と感じる。そういう心が原動力となってパラダイムを変化させる、というのです。
、その時代を生きている人たちにとって、だれに悩みを託すのか、というのは、パラダイムを読み解くキーワードだと思います。
今起こりつつある新しいパラダイムは「モノ不足」、つまり「資源・土地・環境に対する有限感」から成り立っています。いかにモノを使わないか、いかにモノを作らないか、が重要な社会ともいえます。
そこでは土日も働くお父さんは、みっともなく見えてしまいます。
働きすぎることは資源を浪費し、環境を破壊する悪徳なのです。ただお金を儲けるため働きまくるのは、自分を大切にしない、恥ずかしいことです。自分たちがお父さんたちと同じ会社に入って、企業戦士として働かされるなんて、とんでもないことですね。
洗脳されているからこそ、「海鳥の映像」をなんの違和感もなく「環境汚染」という意味に読み取ってしまいます。その連想は私たちの時代特有のものだ、ということに気づきもしません。
「人間として、当たり前の感情である」という意見も当時はよく言われました。
そう、私たちはすでに、洗脳されているのです。
現在のパラダイムすべてに関して「そう考えるように洗脳されている」と表現することができるでしょう。
「高度成長だ。素晴らしい。もっと頑張ろう」という考え方も「バブル崩壊だ。大変だ。不景気だ」という考え方も同じです。すべてそう考えるように洗脳された結果だと、とらえることができます。
情報化社会の本質とは、「世界中の小さな事件の客観情報まで入ってくるのではなく、大きな事件の解釈や感想が無限にあふれ出す社会」なのです。
ストーリーを見ているつもりが、いつの間にかライフスタイル、価値観を刷り込まれている。フランスがよく主張する「ハリウッド映画は、文化侵略である」というのは、こういう意味です。独裁者たちが必ず映画好きなのも、同じ理由です。
フランスの建築家P・ヴィリリオは「統一的なアメリカのイメージをつくり、広めたのは軍産複合型の映画であった。その中ではアメリカの日用品などのデザインを通じてプロパガンダ戦略が展開された」と言っています。
「洗脳と気づかせない洗脳」が、最も効果的なのです。
「マルチメディアの発達によって、歴史上初めてすべての人々が被洗脳者から洗脳者になるチャンスを与えられるようになる。それによって自由洗脳競争が始まる。
人々のニーズをつかみ、最も効率よくそれを生産して販売することによって、多くの富を得られるのが、自由経済競争社会。それに対し、人々の不安や不満をつかみ、最も効率よくそれを解消する方法を提案することによって、多くの尊敬と賞賛を得られるのが、自由洗脳競争社会。得られる利益は経済利潤ではなく、洗脳利潤、つまりイメージである」
これが「洗脳社会」「自由洗脳競争」の定義です。
近代を「だれもが豊かになるために競争する社会」と表現するなら、これからは「だれもが他人に影響を与えることに競争する社会」といえるでしょう。近代の自由経済社会が弱肉強食であり、新陳代謝することによってバランスが保たれるのと同様、来るべき自由洗脳社会も弱肉強食であり、新陳代謝することは避けられない必然です。
SONYやAppleの最大の資産は、その技術力ではなく、そのイメージなのです。
三十年後の人々が、もっと未来の人々に聞きたいことは何に変わっているでしょうか。おそらく「今どんな文化、どんなキャラが世界で当たっているか?」ということだと思います。
洗脳社会での「個人のふるまい」には特徴が三つある。①他人を、その価値観で判断するということ。②価値観を共有する者同士がグループを形成するということ。③個人の中で複数の価値観をコーディネートするということ。
たとえば彼女がいると分かった場合は、次に必ず聞かれるのは、その彼女は「普通の人か、アニメファンか」といったことです。実家が金持ちというのも「小遣いが多くて新しいパソコンがどんどん買える」とか、「無理に就職しなくても親のコネでなんとでもなるから、サークル活動に割く時間がいっぱいある」というふうに翻訳されます。
「変な人たちだなぁ」と思われるかもしれません。つまり価値観や世界観が違う、とかいうのはこういうことなのです。
二十世紀のはじめ、西サモアからツイアビという名の酋長(しゅうちょう)がヨーロッパを訪れ、産業文明に出合いました。彼の驚きは『パパラギ』という本の中に書かれています。ツイアビは彼の仲間たちに「パパラギ(白人のこと)たちは、気が狂っている」と何度も繰り返しました。
同様に、これからの自由洗脳社会では自分の気持ち、つまりワガママが大切です。自分の気持ちのはっきりしている人は、生き生きと暮らせます。いかにして、合法的に欲しいモノを手に入れるかと同様、いかにして社会の中で平和にワガママを通すかが勝負ともいえます。
そのためには、自分のワガママを通す代わりに他人のワガママを認める、という考え方が必要です。自分の財産の権利を認めてもらうためには、他人の財産の権利を認めるという社会的システムが必要なのと同じことです。
これからの人間関係は広く浅く、が基本になります。と同時にその中から、自分と環境・価値観やセンスの合っている人を選び出して付き合うようになります。
趣味や価値観だけでなく、結婚しているか、子供がいるか、収入はどれくらいか、可処分所得はどれくらいか、といったことも大切です。そういったことがぴったり合う仲間同士は、なんといっても有意義な情報交換が可能ですし、最も楽しく気を使わずに付き合える間柄です。
それに比べ、血がつながっている、一緒に住んでいる、同じ学校だ、同じ会社だ、といった理由だけで付き合うのは無理があります。そんなことをしてもお互い疲れるだけで、得るものは少ないでしょう。
付き合いたい人とだけ付き合うという「ワガママ」が、良いことになるのです。「人間らしい幸せな生き方」とは、ちゃんと自分に合った人たちのグループをいくつも見つけ、自分の時間をうまくコーディネートしている人のことです。同時にそういった人が周りから見ればカッコイイ人、自分を大切にする人になるわけです。
農業時代の人々は、狩猟時代を振り返って、「いつ飢え死にするかも分からない、野蛮な世界」と語りました。
産業時代の私たちは農業時代を振り返って、「身分制度に縛られ、貧乏生活を強いられた暗黒の中世」と恐れました。
来るべき未来の人々は、私たちの時代を振り返って、「考え方や人間関係の自由がない、画一世界」と語るでしょう。
「未来」を考えることとは、「今」を生きることです。だから「今」を噛み締めてください。今日見た風景は、二度と戻らないからです。私たちはこれから、ノスタルジックで、少し苦い喪失感を背負って生きていくのでしょう。
しかし私たちの目の前には、全く新しい世界が広がっています。そんな、まだ見ぬ社会・文化へのワクワクする期待が、私たちをこれから生涯引っ張ってくれるベクトルとなることを私は確信しています。 -
面白かったです。
情報革命によって起こる世界が自由洗脳社会という位置付けは面白いと思います。
ある意味、現在の状況はまさにそれです。この本は1995年に書かれているので、インターネット関連の話はなくニフティーサーブの話になっちゃってます。
今、同じものを書く場合、携帯や2ちゃんねるあたりがネタになるんだろうなぁと思ってみたり。