パイプのけむり じわじわ

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  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022571335

感想・レビュー・書評

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  • いつでもどこでもゆるぎない團さんらしさが好き。

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    ── 團 伊玖磨《パイプのけむり 第24巻 じわじわ 199707‥ 朝日新聞社出版局》シリーズ
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/9784022571335
     
    (20180722)(20180916)
     

  • この巻には、奥さんが白内障の手術で入院された話が載っているのだけれど、さすが、團さんの奥さんはこういう人でないと無理なんだなあと、ぴったりな夫婦っぷりに感嘆。
    奥さんの手術が怖くて、「あなたは八丈島の仕事場にでも行ってらして。その方が後顧の憂いがなくて、私にもいいから」なんて、入院する奥さんに言われても、心配で心配でいられなくて、手術あたりの時間になったら、友人に電話をかけて、一緒に昼食を食べよう。と。こういうときは親しい人といた方がいいと思って誘う團さん……いい夫婦だ。

    p28 宣誓

    …略…もし、ロッキード事件のような場合、僕が証人喚問を受けて、宣誓と署名・捺印を求められたとしたら、先ず、こう言って宣誓を拒否するだろうと思う。
    「質問者が代表して居られる背後の議員全員の中に、一人でも本事件に係わりを持って居られる人物が居ないという事を、先ず質問者側から私に対して宣誓して戴かない限り、私は宣誓をお断り致します」
     もとより国会の、院の尊厳は重要である。然し、僕の個人の尊厳も亦重大である。尊厳というものが人数の多寡でその重さを考えられるという事になれば、それはもう魔女裁判の次元に堕ちてしまう。

    他の国々だったら宣誓の背後には宗教があるけれど、日本は神に見放され哲学も見失ってしまっているから、宣誓というものが坐りの悪い、形骸化したものになってしまっている、と。

    p93 半世紀

    …略…日本の場合は、その敗戦の最後的原因が米軍による広島・長崎への原子爆弾投下によるものだったために、一瞬にして行われた無辜の民数十万に対する無差別大量殺人に対する恐怖・怒り・悲しみが、敗戦という、無謀な戦いの当然な帰結に、強烈な別な色彩を加え、敗戦の事実認識を変質させる結果を与えてしまう事になった。国策を誤り、侵略思想に取り憑かれ、宣戦布告も行わずに無謀な戦争に突入し、それを継続させた者達への責任追及を自国民が行う事も無く、それらは戦勝国側が行う裁判に委ねた日本人の弱さを、僕は不可思議としか言いようが無く訝った。あの戦争で、日本はドイツと共に”加害者”であった。然し、何時か日本人の心の中には、加害者であった自らを被害者の位置に摩り替える狡智が起こった。狡智という語が言い過ぎならば、自然的な成り行き――趨勢が起こったと言っても良い。そして、その摩り替えの原点が原爆であった事を僕は考える。…略…
     …略…
     戦争が終わってから、比較的早いうちにアメリカやフランス、イギリス、そして中国を旅するようになった。それ等の曾ての敵国、戦勝国の人達は僕に優しく言った。日本で悪かったのは一部の軍閥ですよ、貴方方には罪は無く、貴方方も被害者だったのです。――殊に中国では、日本軍閥こそ敵、日本人民は友であり被害者だったという教育が政治的にはっきりと成立していて、あらゆる場所でその言葉を聞いた。日本人の中には、そうです、全くその通りです、いや、我々も非道い目に逢いました、などと尻馬に乗って良い気の者も沢山居た。然し、僕はそう思わなかった。だから、僕はいつも、こう言った。御親切なお言葉は判ります、然し、僕は簡単にそう思いません。何故ならば、当時の指導者も、軍閥も、残虐行為をした兵隊達も、皆日本人だったからです。ですから、日本人の中から再びこうした加害者を出さぬように、日本人が心の自己改革を成し遂げる事が先ず第一に必要であって、その事を成し遂げた後で、初めて貴方の優しい言葉を受ける事が出来ると思うのです。自己改革は大事業です。未だこれからです。然し、時間とエネルギーを使ってでも、日本人の自己改革は成し遂げられなければなりません。
     日本人の自己改革は、戦後五十年経っても、未だ遅々としたものに思われる。先ず、被害者気取りを止め、加害者であった事を認め、悔いる事から事を始める事を急ぐ可きだと思う。さもないと、次の半世紀の間も、日本人は世界の疑惑の中を、今と同じように低迷せねばならない事になるだろうと思う。


    アンネの日記の汚損事件でも、こういうことを指摘していた人がいたな……日本の被害者意識、アンネの日記に対する共感に、ドイツの人は戸惑っていると。
    中国の教育、今とはずいぶん違ったんだな……それともこれも、報道の鵜呑みで、実際は違うのだろうか。韓国に離米従中を迫って、資源獲得に旺盛なあの様子では、そうとは思いがたいけれども。
    日本が戦争に踏み切った原因は、石油を絶たれるという兵糧攻めがあった、という考え方から、ここは別として、その後の考え方が、国民としての責任感の不足で、自国を好きでも愛しきれていないのを自覚する。命をかけて、人権を守ることがあったとしても、家族や友人を守るために戦うことがあったとしても、国のためでは、ない。


    p126 会見
    蘇軾(読みは、そしょく。)の「水調歌頭」の一部
    人有悲歡離合 人に悲嘆離合あり
    月有陰晴圓缺 月に陰晴圓缺あり
    此事古難全 此の事古(いにしえ)より全き事難し
    但願人長久 但願う人長久に
    千里共嬋娟 千里嬋娟を共にせんと

     人には悲しみと歓び、別れと出逢いがあり、月には曇りと晴れ、満ち欠けがある。この事は昔からどうにもならず、良い事だけが続く事はあり得ない。ただ、願う事は、思い合うわれわれは離れていても、いつも同じ月を見ていられる事である。


    p131 妖怪自壊
    『徒然草』の第二百六段、牛が起こした騒動を、重き怪異ととらえたのを、相国が「あへて凶事なかりけるとなん」と。


    「『怪しみを見て怪しまざる時は、怪しみかへりて破る』と言へり」
     …略…
     岩波文庫の『徒然草』(西尾実・安良岡康作校注)の説明に依れば、この結びは宋の洪邁(こうまい)の『夷堅志』にある「怪ヲ見テ怪シマザレバ、其ノ怪、自(オノヅカ)ラ壊(ヤブ)ル」の借用で、怪異なものを見ても、それを心にかけずにおれば、その怪異なものは成り立たなくなる、の意であるという。
     成る程、この世に実在する怪しき者、醜き者とは戦わねばならないが、この間の夢幻に出現したような妖怪は、心にかけずに無視する事が最上の道で、そうする事によって、神経の中に入り込んで来る妖怪は自壊させ得る事が出来るというのである。

    これ、実際の妖怪ではなく、疑心暗鬼という妖怪や、気がかり、心の不安にも当てはまることだなあ…と思った。
    こちらが考えすぎてしまって、状況や相手を悪く見ることもあるだろうし、まあそれが実際に悪いこともあるにしても、自分の心のとらえ方って、大事なわけだ。

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