- Amazon.co.jp ・本 (417ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022607744
感想・レビュー・書評
-
写真家にして作家の藤原新也(1944年~)が、23歳(1968年)のときに初めてインドを訪れ、その後3年に亘る複数回の“インド放浪”を綴ったデビュー作で、インドを旅するバッグパッカーのバイブルとも云われる作品である。1972年に発表され、本書は1993年に朝日文庫で復刊されたもの。(現在は再度絶版となっているようである)
私は、藤原氏の死生観を映した作品が好きで、代表作『メメント・モリ』、『東京漂流』、『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』、『たとえ明日世界が滅びようとも』なども読んでいるが、本書の、(背伸びをしつつも)瑞々しく鋭い感性と、詩を読んでいるかのような表現力は、まさに藤原氏の原点を見るような気がするのである。
「<旅>は無言のバイブルであった。<自然>は道徳であった。<沈黙>はぼくをとらえた。そして沈黙より出た<言葉>はぼくをとらえた。悪くも良くも、すべては良かった。ぼくはすべてを観察した。そして我が身にそれを<写実>してみた。」
「インドは、命の在り場所の見えるところである。自然の中のそれぞれの命が、独自の強い個性を持って自己を主張している。三月中旬からとつぜんのごとく燃えだす苛烈な夏の太陽は、私たちの頭上にどうしようもなく巨大な熱球が存在することをいつも忘れさせない。この熱球の放つ熱と光の主張に焼かれた地上の一切は、あたかもその熱球の分子であるがごとく、生命の熱みを孕み、それを放射する。栴檀の木は強烈な匂いを発し、マンゴーの熟れた実は性的な甘い香りで私たちの体を包む。人民の喜怒哀楽は、熱の分子を付着させたまま自然の熱と香の間を陽性に飛び交い、時折彼らはその熱をさますために聖なる河に身を浸す。河のほとりでは、いくつかの炎が上がっており、そこには熱を放射し終え、死を迎えた人の屍が、燃えている。炎の囲りを徘徊する犬、豚、鶏、はげたか。・・・この国においては、熱が法にとってかわっているのだ。それが宗教というものだろう。」
「旅とは?」、「インドとは?」について語った、これほど象徴的かつ魅力的な文章は多くはないだろう。
私は公私併せてこれまで40ほどの国を訪れながら、インドには行く機会がなかった。藤原氏の旅から半世紀が経ち、本書に出てくるタール砂漠の村に住む人々も今では携帯電話やインターネットを使っているのかも知れない。しかし、やはりインドには行かねばならない。生と死が共存する土地インドを知らずに死生観を確立することはできない。そう強く思わされる一冊であった。
(2018年2月了)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「読書力」おすすめリスト
12.生き方の美学・スタイル
…生き方の美学は一種の倫理でもある
→ひとりになることのよさを教えてくれる -
文章が緻密なんだけどいやに感覚的すぎる。
こうゆう文章表現は芸術肌の人に多い気が。
写実主義。きれい -
バラナシとガンガー
欲の街と浄化システム -
これを読んだ時、いつかインドに行くだろうと思った。引き寄せられて抗えず。決まっていた未来が見えた感じ。不思議な感情。行きたいかどうかは分からない。お腹弱いし。
-
2016年12月25日に開催されたビブリオバトルinいこまで発表された本です。テーマは「部活」。
-
インドに、また行きたくなった。
情報を遮断して、ありのままのインドを感じるために。 -
出会う人々は、悲しいまでに愚劣であった。悲惨であった。滑稽であった。軽快であった。はなやかであった。高貴であった。出会う人々は、荒々しかった。
インドの持つ独特の熱がまた蘇ってきた。