- Amazon.co.jp ・本 (504ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022617255
感想・レビュー・書評
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山口百恵のデビューから引退までの軌跡を、さまざまな媒体に発表された証言をまとめながら描いた評伝です。
戦後の芸能史の流れのなかで、歌手として、あるいは女優としての山口百恵がどのような位置を占めるのかということが明確にされており、興味深く読みました。
ただ、不満を感じる点がないわけではありません。たとえば著者の『松田聖子と中森明菜 増補版 一九八〇年代の革命』(朝日文庫)では、著者自身がリアル・タイムで聖子と明菜の2人をどのように受け取ったのかということについても述べられていました。しかし本書では、「彼女のデビュー時から引退までのことはよく知っているが、執筆にあたっては、いったん当時の記憶をすべて消去し、文献と映像資料で確認したうえで書いた」と述べられています。これは、本書を客観的な評伝として刊行したいという著者の意図によるのだと思うのですが、評伝というフォーマットに乗せるに際して、著者がわかりやすいストーリーに頼っているような印象もあります。具体的にいえば、本書のストーリーは伝統的な芸能界の因習が、個人としての山口百恵とは区別される、芸能界のなかの「山口百恵」によって打ち破られたというストーリーにのっとって、彼女の芸能活動を整理されているのではないかと思えてしまうのです。
たしかに著者の述べるようなしかたで「山口百恵」を戦後日本芸能史のなかに位置づけることは可能なのかもしれません。しかしリアル・タイムで彼女を応援していた人びとは、そうした「山口百恵」像にみずからの夢と青春を見ようとしていたはずであり、そうした享受のありかたも含めて「山口百恵」を描いてほしかったという気がします。たとえば平岡正明の『山口百恵は菩薩である』が、一面的なしかたではあれ、そうした「山口百恵」に迫っていましたが、それにくらべると著者の禁欲的なスタンスは、かえって単調な図式化を招いてしまったのではないかと感じてしまいました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
丁寧に資料を集めてあるのも、山口百恵が歌手と女優の2つの分野に分化してなおかつ、同時並行的に成功していたことも、よくわかるけれど、幾分飛躍し過ぎでは?という箇所も。
たとえば1978年の紅白の場で、「真っ赤なポルシェ」を「真っ赤なクルマ」とかえて歌うよう指導されていたというのは、有名な話であるし、それにも関わらず彼女が本番で「真っ赤なポルシェ」のまま歌い切ったこともまた有名であるが、それを「芸能が官僚主義を打ち破った瞬間」とまで言うのは、飛躍し過ぎではないだろうか?
また、彼女の恋人宣言を、「芸能人が置かれている不自然な状況を打破うするものとなり、その意味において、人権宣言と言っても過言ではなかった。」とまで言うが、いややっぱりそれは過言ではないのか。
彼女の成し遂げたことを偉業と言うにやぶさかではないが、でも、ここまで別格扱い、ここまで美化されるほどなのだろうか?と当時も今も、思う。
潔く引退したことによって(そしてその後ほぼ出てこないことによって)価値が高まっているのは、否定出来ないところではないか。 -
自分でも呆れるが、やはり私は百恵ちゃんがものすごく好きだ。で、ついついこの手の本を買ってしまう。
知っている話も多かったが、これを読んで改めて思うのは、彼女は本当に「大人」だという事。
引退時、まだ21歳だった彼女は、今の私よりもずっと大人だ。 -
山口百恵の評伝。おおよそ知っていたことばかりだったけど、それなりに面白く読んだ。やはり百恵さんって活動していた頃から稀代の存在だったんだなあ。とはいえ、私の認識や記録に照らしても、どうにも首を傾げる記述が何か所かあったのも事実。