- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022618146
作品紹介・あらすじ
【文学/日本文学評論随筆その他】80年代を代表する2人の歌姫は、相反する思想と戦略で、消費社会を代表するアイドルとなった。レコード会社や芸能プロの野望が蠢く芸能界を舞台に、歌番組全盛時代を駆け抜けた2人の「人と作品」を描くドラマチックな傑作評伝。
感想・レビュー・書評
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集英社新書から刊行された本の増補版です。山口百恵に関する記述は、著者のもう一つの著作である『山口百恵―赤と青とイミテーション・ゴールドと』(朝日文庫)に取り込まれたためにカットされるとともに、集英社新書版では書かれなかった1986年から1989年までの記事が書き足されています。
「消費による革命」のメタファーを散りばめながら、松田聖子と中森明菜という二人のアイドルが競いあった時代を、編年体の形式で叙述しています。
どちらかというと松田聖子のほうに重点が置かれていますが、資料の多寡という要因もさることながら、やはり現在に至るまでの芸能史・サブカルチャー史の大きな水脈をつくり出したのは松田聖子だったという理由によるのではないかという気がします。中森明菜の才能は多くの人が認めるでしょうが、彼女を中心に「時代の潮流」をえがくことはむずかしいように思います。
そういえば以前、マツコ・デラックスが「聖子のすごさは大人になってから分かる」と発言していましたが、それは歳をかさねたからというよりも、現在の視点から芸能史・サブカルチャー史の大きな流れのなかで松田聖子が立っていた場所を見ることができるからだというべきなのかもしれません。
また本書が採用している編年体の形式も、二人のアイドルの戦っていた場所に肉薄することに成功しているように感じました。
ところで、当時の状況を知らないので判断できないのですが、中森明菜の「ツッパリ系」の楽曲を、山口百恵のイメージとかさねあわせるというのは一般的な見方だったのでしょうか。先日NHK-FMの『トーキングウィズ松尾堂』に出演していた速水健朗が、両者の差異を際立たせるようなしかたで中森明菜に言及していて、その解釈が腑に落ちたので、ちょっと気になりました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「放送文化史」,「現代社会とメディア」
三野裕之先生 参考図書
https://library.shobi-u.ac.jp/mylimedio/search/search.do?target=local&mode=comp&materialid=01070449 -
サクサクサクサクと松田聖子と中森明菜の1989年までの歩みをおさらい。知っていたようなエピソードも多い。書名に二人の名前を立ててあるけど、比重は松田聖子によっている。いわば松田聖子あっての中森明菜だったのかという印象。
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社会
音楽 -
2人の虚像。等身大のアイドルを浮き彫りにした本。当時は明菜派だったが、今たまに聴くのは聖子が多い。
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ドロドロしてます
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1980年代の代表的なアイドル。松田聖子と中森明菜。80年代というのは、意味のない軽い印象の時代のように思われるが、今になっても口ずさむのは80年代の歌だ。自分もその時代のアイドルたちと同世代だからかもしれないが、わたしのなかでもきらめいているんだなぁ。青春時代、そこにはやっぱり歌があり、歌手がいる。必死で生きている歌い手がいる。時代をつくった歌い手がいてこその私の青春。ワタシは明菜派でしたけど、今になって、明菜も聖子もなかなかいいよね、と聞きかえしている。松田聖子と中森明菜。時代をつくった二人なのだとつくづく感慨深い。と言っていて、ワタシはもともと百恵派なんですけどね。
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1980年代を駆け抜けたアイドル。山口百恵引退以降、80年代歌謡史の中心にいた二人の活動を記録。デビューから楽曲の変遷、歌謡曲の終焉まで時代を担った歌手としての存在が浮かび上がってくる。