- Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022732842
作品紹介・あらすじ
日本人はいかにしてセックスレスになったか?!鹿島教授が、原因と解消法を徹底解説!男女の間には深くて暗い川が流れている-この原因は「資本主義の異常発達」にあるという。誰も指摘しなかった「男女問題の盲点」とは?性愛文化に憧れ、渡仏したマダム・ジュリーが挑み、鹿島教授が解く。結婚氷河期や夫婦の倦怠期は、この一冊で乗り越えられる。
感想・レビュー・書評
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不真面目な題名で内容と必ずしも一致しないが、売春自由化論の「需要は正しい」の論理に反対し、資本主義の“面倒なことを代行する”=商品化を推し進めるとミクロの合理化である“所有よりレンタル”=婚姻の軽薄化、売春横行“体面より自由”=家庭の束縛を逃れようとする傾向→カップルの知的不平等(男女ともに相手を支配するために自分より知的に低い相手を選ぶ傾向)、売春業に有利な税体系、ライフサイクル→セックス離れが社会全体では少子化、愛情喪失→衰退/「快楽不平等の法則」は経験少の俺には納得できないが、SEXの目的が問われる
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乱暴にまとめてしまうと、「めんどくさい」というのが"亡国”に繋がっているというのが大体の主張。
<blockquote>セックスレスの問題がこれほど強く日本の資本主義の性質(面倒くさいことの代行業)に結びついている(鹿島茂 あとがきより)</blockquote>
[private]聞き手である斎藤珠里の恣意的な話の運び方(時論に寄せようとしている?が少し気になりました(もしくは女性読者を念頭に書かれている?)。それがこの本の与太話感を強めている?[/private] -
セックスをキーにした世代論。一部トッドの考えを取り入れたりして。たしかに、セックスこそ世代論で語られてもいいのかもしれない。いや、きっとそうだ。
チャライ本と思っていたが、世代論の部分だけはすこし霧がはれた。 -
文化人類学者の対談による、現代日本のセックスレスの原因を紐解く一冊。
下世話な本かと思いきや、高尚な文化人類学的な分析でした。
現代日本がセックスレスになる原因は、資本主義が発達することにより貧富の差ができ、一方でオナニー産業が発達して性的弱者から搾取するビジネスモデルが確立したからという分析はメから鱗だった。 -
面倒なことを代行業に任せるようになったというのは卓見だが、面倒な女性が増えたのも一因に入れていただきたい。
人口が増えて地球環境が論じれる中「日本人」という種が無くなる危機にうろたえるこの状況はどうなんだろうか。 -
この手の本にありがちな、本当にそのデータは正しいんだろうかという疑問は残るのだけれど、出会い、恋愛からセックスに至るまでの過程が面倒で、オナニーで済ませてしまうという男子が増えたというところはうなずける。確かにここ20年の間の技術進歩は凄まじい。要するに、面倒なことはお金をいただければ代行しますよ、という商売が増えたわけだ。全自動洗濯機はもちろん、各種リモコンから、そこら中にある自動ドアまで、いたれりつくせりで。セックス産業も同じこと。ビニ本なんて言葉は死語になってしまったけど、ネットを開けばすぐにエッチな動画を開くことができるようになった。もっとも、私なんかはケータイなんて面倒くさくて使う気がしないのだけれど、みんな、よくもどんどん買い替えをするもんだと思う。さて、本書では、男女の関係の歴史とか、海外の事情などにもかなりページが割かれている。そちらもずいぶんとおもしろい。しかし、一般の新書で、これだけセックスやオナニーという言葉が登場するのもなかなかイケテル。(私の中ではスマホになって状況は大きく変化している)
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セックスレスを資本主義的なものの宿痾としてとらえ直す。
「面倒くさいものの代行業」としての資本主義が発達すれば、
「恋愛・セックス」というものを(主に男性)が避けるというもの。
感覚的にも理解できる。この捉え方を別の角度、自叙伝的に捉えたのが、
本田透『電波男』になるだろう。
とはいえセックスレス(と、その帰着点である少子化)に対してとるべき態度が、
「面倒くさいの克服」。
要するに受け入れる、我慢しろというのは、余りに懐古的すぎないか。
女性の解放とセックスレスが比例的にリンクしてきたと本書がいうように、
仕事と家庭子育てのバランスが女性に偏った結果が、
「面倒くさい」と子育てを回避しているのが現代社会だろう。
結局は男性が「面倒くさがら」なければいいという話に着地するなら、
それは生産的な結果は何も生むまいと思う。 -
資本主義の発達がセックスレスを招いたという内容。元々セックスレスをテーマにした書籍は読んだことがなかったけど、こういう視点は考えていなかったので新鮮な感じです。
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著・鹿島茂。1949年神奈川県生まれ。東大大学院博士課程修了。仏文学者、明治大学教授。専門は19世紀フランス。
共著・斎藤珠里。1959年東京生まれ。米コロンビア大大学院ジャーナリズム修士号。朝日新聞記者を経て、2006年渡仏。現在、国連ユネスコ広報官。
初版:2009年7月。189ページ。
とりあえず、本のタイトルが過激。
スタバで読んでいたものの、恥ずかしくて、とてもじゃないがタイトルが他の人に見えないように読むしかなかった。
(そもそも、こんなタイトルの本を、カバーなしで堂々と人前で読むなという話ではあるが)
しかし、
「セックス」というものに対して、かなり真面目に取り組んだ本です。
そして、内容的にも「なるほど」と納得します。
「セックス」を、ただの「エロ」「スケベ」なものとしてしか捉えられない人は、そもそも読む気すら起こらないかもしれませんが、
セックスレスと資本主義とをリンクさせて論じていて、かなり説得力あります。
簡単に結論を言ってしまうと、
現代社会で資本主義が発達した理由は、
「面倒くさいことはしたくない」という気持ちによるもので、
この「面倒くさいこと」の最たるものが「恋愛とセックス」であると。
確かに。
「恋愛とセックス」って、確かに「面倒くさい」ものだと思います。
なんというか、あの手間暇とかお金とか、色々なコストをかけなきゃいけないところとかね。
そういう発想の男子は、確かに多い。
一方で、モテない女性についても書かれています。
1970年代頃からお見合いから恋愛結婚に移行していったが、
「恋愛が女の見栄と結びついてしまい、女同士のモテ競争になってしまった」
との指摘。これは、間違いないだろうなぁと思いました。
「モテたいと思って女性誌を読んでる読者は、実はどんどんモテない方に行ってしまう」
などなど。
人間は動物である以上、
その社会的な動きを考える時に、性的な要因というのは無視すべきではないと思うのです。
人間社会を、性的な角度から捉え直すために良い本です。