- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022736314
作品紹介・あらすじ
【歴史地理/伝記】あこがれを集める歴史の都・京都! そんな古都を「きらい」と明言するのは、京都育ちで、ずっと京都に住んでいる著者だ。千年積もった洛中人の毒や、坊さんと舞子さんとのコラボレーションなど、「こんなん書いてええのんか?」という衝撃の新京都論。
感想・レビュー・書評
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web掲載の『大阪まみれ』が面白くて、同じ著者のこの作品も読んでみることに。
よくある京都についての蘊蓄本や礼賛本と思い込んでいると、あっさり裏切られる。
そして驚き呆れ、失笑し、だんだんに怖くなるのだ。何が?京都人が、ですよ。
ちなみに井上章一さんは右京区生まれで嵯峨育ち。日本文化教育センターの教授である。
この本が書かれるまでの長い歳月で、どれほどの心のもつれがあったことかといたく同情する。
何しろ冒頭から「洛中の京都人」に田舎者扱いされているのだ。
私事だが、数年前、映画で見た美しい景色はどこかなどという話になった時、『寅次郎あじさいの恋』の中で、京・丹後地方の舟宿の風景を「あれはいいね、何とも言えない風情を感じる」と言ったところ、ただの田舎や!と吐き捨てるように言った御仁が身近にいた。
この方、生まれも育ちも京都・中京区で、ご本人の言によれば「自分たちこそ生粋の京都人」で、嵐山も嵯峨も丹後も宇治も、ましてや右京区などと言っても「京都人を名乗る資格もない」らしいのだ。
見方を変えれば、かなり歪んではいるがそのプライドこそが古都の誇りを守っているともいえる。
「洛中・洛外」とは、そこまでひとの心を隔ててもいるのだ。いやぁ、奥が深ぅおます。
狭い日本に、ここまで徹底した中華思想が生々しく現存しているとは、それも海外からも憧憬の眼差しで見られるあの京都に今も深々と根付いているとは、他地域の人間にはおよそ想像も出来ないことだろう。
笑えるのは、そういった京都のすかした部分を見くびるのが大阪人であるということ。
著者によれば「だから大阪はありがたい」らしい。
花街で遊ぶ僧侶の話や、ガイド本に載せるお寺の写真掲載の難しさと拝観料の訳、庭園秘話、
明治政府の維新後の杜撰な後始末の話とか面白い話も多く、良し悪しは別にして、京都を見る目が大きく変わる。
「差別されることを差別する」のではなく、最後まで読むとふふっと笑えるのもまた良い。
こんなレビューを書いてはいても、私もまた古都に対する憧れはやまないのだ。-
nejidonさん、こんにちわ!(^o^)/
明治天皇が京都から東京に移った後もなお、正式に東京へ遷都したことにはなってはいないので、...nejidonさん、こんにちわ!(^o^)/
明治天皇が京都から東京に移った後もなお、正式に東京へ遷都したことにはなってはいないので、洛中の人はいまだに京都が首都と思っているかもしれませんね!?(^_^;2016/06/26 -
mkt99さん、コメントありがとうございます。
そうです、仰る通りなのです!
遷都の詔を正式に出さなかったために、いまだに
「一時的に...mkt99さん、コメントありがとうございます。
そうです、仰る通りなのです!
遷都の詔を正式に出さなかったために、いまだに
「一時的に都を貸してあるだけだ」というのが洛中人の
一般的な認識らしいです。
その五重の塔よりも高いプライドは見上げたものです。
だからと言って、他のひとを見下げてもいいのかと思いますがねぇ。
当人たちにしてみれば一案大事なのがそのプライドで、
他人から見れば一番笑えるのがそのプライドというものです。
mkt99さんもぜひお時間がありましたらお読みくださいませ。
2016/06/28
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NHK BSプレミアムで毎週『英雄たちの選択』を観ていますが、時折ゲストとして出演される井上章一さん。映像で拝見する通り、なかなか一筋縄ではいかない(誉め言葉)御仁と読み終えて感じました笑。
自虐と皮肉、蔑みと憧れと羨み等々混在する文章。
それらの境界線が紙一重で、背中合わせの妙。
人間の気持ちは難しい、それがわかります。
本作では「京都」が元来「洛中」を指し、「洛外」は「京都」と同義ではないと、再三説かれます。
「京都出身」は「京都府」或いは「洛中」と2つの意味があるのは驚きでした。
歴史背景は京都とは異なりますが、首都圏にも住む場所のヒエラルキーが存在し、変えられない出自や階層が否が応でも炙り出されるのが居住地だと思っています。
が、最近では「マンションすごろく」のような超都心のタワマンを売って買っての繰り返しで、庶民がおおよそ住むところとは私たち世代では考えられないようなところにも若い人たちは臆することなく住み始めている現実を感じています。
本文45頁にあるように
『近代化は社会階層の平準化をおしすすめた。下層とみなされた人々を、あしざまに難じるふるまいも、社会は許さなくなっている』なるほど。
さらに
『だが、人間のなかには、自分が優位に立ち、劣位の誰かを見下そうとする情熱もある。これを全面的にふうじこめるのは、むずかしい。だから、局面によっては、それが外へあふれだすことも、みとめられるようになる。比較的さしさわりがなさそうだと目された項目に関しては、歯止めがかけられない。』
身体障碍に関しては言及しづらいですが、頭髪の薄さはテレビや身近な生活でもおおっぴらな揶揄、お笑いの種として寛容されています。
46頁より
『軽いとされる差別に突破口を見つけ、そこからあふれ出す。』
「差別はいけない」という至上課題はありながら、人間はなかなか離れることのできない現実を噛みしめました。
井上さんが度々引用される「洛中」の人との屈辱的な体験は想像するに、出自のような変えられないものを頭ごなしに否定されるかなり重いご経験だったと思います。
ご自身がおっしゃるように自身の「崩壊感覚体験」であり、それが思考や言動の屈折を与え、一方で広がりや奥行にもつながる機会にもなったとの考察。
それが建築学で博士課程途中まで進みながら、文転された要因の一つであると、初めて知りました。
意外にも徳川幕府の当初3代将軍が京都の歴史ある仏閣の建築文化を重用し守ったという史実。
それ以降の将軍幕府は関心が及ばなかったことも驚きでした。
他には、多くの仏閣への入場料有料化を巡る行政と宗教団体の関係の難しさ。
南北朝に遡る日本特有の「怨霊思想」が明治政府以降は蔑ろにされているという見解。
どれもとても興味深く読みました。
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著者は京都の洛外出身。
「京都」がきらいなのではなく、「洛中」がきらいなんだなぁ。
県民性を取り扱ったテレビのバラエティ番組でも、この「京都内格差」みたいなのは話題になっていたのでなんとなく知ってはいたけれど、そんな差別に関する恨み辛みの本(笑)。
関係ない人でも、「洛中」が嫌いになること請け合い(?)です。 -
京都の洛内特有の特徴が他県に住んでいても、よくわかる一冊になっています。
筆者は京都市出身ではあるが、洛外であり、洛内をよく思っていない。
しかし、読み進めていくと、筆者が嫌いなのは洛内の特徴的な雰囲気であり、京都市、京都府は決して嫌いでは無いのかと思わされました。
タイトルと内容は少し齟齬があるように感じましたが、京都の特性はよく理解できました。 -
お借りした本、有名な本。
京都こわいと思う場面も時にあるので、読んでいて興味深かった。内容はおもしろいが、文章があまりすきじゃないので読んでいて苦しかった。 -
私も著者と同じく京の洛外で生まれ育った身なので、本書で何度も言及されている「洛中の中華的価値観」には大いに笑わせてもらった。府外の読者には理解しづらいだろうが、確かに同じ京都府下といえど洛中と洛外では「ニューヨークとナメック星」くらいの差があるといっていい。
本書では井上氏による京の文化論が展開されている。第一章では洛中の選民意識が著者の実体験から暴き立てられ、毒の強い文体で洛中人士の差別意識が糾弾されている。第二章以降では主に花柳界と僧侶の関係に焦点を当て、寺院のホテル経営や芸子の源流など珍しい視点から京にまつわる仮説が展開されてゆく。全体としては、坊主の世俗化を笑い飛ばすような論調である。終盤は洛中の優越に話が戻り、南北朝時代の歴史的考察を交えてその根源を探ろうと試みている。
誤解のないよう言っておくが、私は比較的若い世代に属するせいか、自らを京都人だと公言することにさほど抵抗はない。それでも、本書で指摘されている京の「いやらしさ」は否定できない。特に第一章・第四章は洛外で生まれ育った者にしか理解されない面もあるだろう。著者独特の語り口もあり、洛中人士を茶化すような記述に「皮肉っぽくて気分が悪い」と嫌悪感を抱かれる方もいるだろう。しかし、その「嫌悪感」こそ洛外出身者が物心ついた頃から押しつけられてきた屈託そのものなのである。
ありていにいえば「性格悪いもん同士の罵り合い」なのだが、若い世代に限っていうと、本書で井上氏が暴露しているほど洛中洛外の亀裂は深刻でない気もする。互いに足を引っ張り合うのが一種の様式美になっているというか、見もフタもない言い方をするなら、トムとジェリーのように仲良く喧嘩しているようなものだと思っている。この奇妙な対立関係ばかりは、実際に住んで育って体感するしかないだろう。
余談だが、第五章で南北朝の歴史についての考察を興味深く読み進めていたところ、唐突に皇室や靖国への批判が始まった。政治的主張を織り込むのは構わないが、期待していた京都論とは無関係なので少々げんなりさせられた。 -
2016新書大賞受賞作。
著者は京都嵯峨育ち宇治市在住
京大ご出身井上章一さん、ブラタモリで観た土塁以上に
洛中と洛外には高い壁があるそう。
舞子はんとお坊さんの夜のお付き合いやら
有名寺社の写真提供1枚20万円以上など。
旅番組や観光ガイドブックには絶対紹介されない
憧れの京都の知らないことがいろいろ。
東京は大阪を見倣って京都を図に乗らすなと
主張されております。 -
著者のことは比較的古くから知っていました。ブレイクする前から。
これほどの有名人になるとは思いませんでしたが。
様々なフィールドに造詣の深い人でありますが、ボクが知ったのはプロレス者(もの)としてでした。
まだ、プロレスが日陰者の存在であったころからですね。大方30年くらい前でしょうか。
兵庫県西宮市に鹿砦社という出版社があり、その会社が出していいたのが、知る人ぞ知る「プロレス・ファン」という冊子でした。
多分、創刊の原動力となったのは、当時まさに日本プロレスのエポックであった旧UWFであったと思われ、毎号の表紙には藤原喜明や佐山サトルのイラストが載っていたことを記憶しています。
そこによく寄稿をされていたのが井上章一先生。その頃はプロレスネタについて硬派に理論武装した人は、週刊ファイトの井上(I)編集長くらいしか存在しなかったように思いますが、京大出身のプロレス論客として、その名を心に刻んだのであります。
尤も書かれていた内容は、ほぼ何も覚えていませんが・・・
本書にも少しだけプロレスに関することが出てきます。それも、株式上場を狙っている新日本プロレスなどではない、ドマイナー団体のある選手の事で、いかにも井上先生らしいです。詳細は本書でどうぞ。
井上先生自身はボク達「外部」の人間からすると、嵯峨に生まれ現在は宇治に住まわれるド京都人なのですが、本書を読むとそれが100%否定されます。
端的に言うと、洛外に生まれ育ったものは京都人とは自他共認められないということだそうです。この「他」というのは、つまり「洛中」に生まれ育った都人(みやこびと)のことです。
この洛中洛外の人達の間だけで認識される感性に基づくもので、ボクも含めた都以外の人たちからすれば理解しがたいヒエラルキーがあるらしいのです。
大阪人のボクも薄々は「洛外のお人は京の人間やおへん。」という、京都人の言外の態度は知っていましたが、ここまでとは思いませんでした。
前の戦争というのが一般的にはWW2を指すのに対し、その戦災を免れた京都人は応仁の乱の事を言う、というのはジョークだと思っていたのですが、あながちそうでもないようです。
そんなトンデモ常識がまかり通っている(いた)京都の特殊な状況を冷静に面白くまとめた佳作です。
といっても、井上先生の視点も結構イケズで京都人の資格は十分にあると思うんですけどねえ。対外的に京都人と言われることに真剣に怒っておられる井上先生です。
※本書ではここに記載したような内容ではなく、しっかりとした知識と資料に基づいた表現が用いられ、この駄文はボク一流の表現であることを付記します。