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本 ・本 (312ページ) / ISBN・EAN: 9784022950628
感想・レビュー・書評
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1. 噺家とアバターの関係
- 落語の噺家は「マリオネット」として自らを演じ、複数のキャラクターを切り替えながら物語を語る。
- 落語は特異な芸能であり、噺家は観客を異なる空間へと導く技術を持つ。
2. アバターの概念
- 各人は「アバター」を持ち使い分けることができ、その場面に応じて異なる自分を演じる。
- 噺家は、外部からの刺激に依存せず、一人で様々なキャラクターを演じ分けることが求められる。
3. 記憶と暗記の重要性
- 落語の演目は、暗記が重要であり、感情表現が記憶された形で話される。
- 噺家は、古典落語のストーリーをまるでお経を覚えるように暗記し、感情を込めて表現する。
4. 落語の特異性
- 落語は歌舞伎や映画に近いが、噺家は一人で全てを演じる点で異なる。
- 落語は、観客とのインタラクションを重視し、笑いを生み出すための技術や感覚が必要。
5. 歴史的背景と江戸文化
- 江戸時代の人々は、文献や絵画といった「冷凍された情報」を「解凍」して生活していた。
- 落語は、江戸の文化を生きた形で伝えるものであり、観客との共鳴を引き起こす。
6. 自閉症と発達障害の視点
- 自閉症や発達障害の人々の「インプットモード」に注目し、彼らの行動の理解を深めることが重要。
- 「アウトプット」だけに焦点を当てず、彼らがどのように世界を認知しているかを考慮する必要がある。
7. ダイバーシティの意義
- 多様性を重視する社会は、各個人が持つ特性を活かし合い、相互に支え合うことができる。
- 社会が多様性を受け入れることで、新しい価値が生まれ、未来に向けた革新が促進される。
8. 落語の持つ力
- 落語は、日常生活の中で笑いを探し、楽しむことができる文化である。
- 落語を通じて、人々は「非常識」に触れ、日常の枠から解放される体験を得ることができる。
9. 未来への視点
- 落語やアバターの概念は、未来における社会のあり方を示唆するものであり、変化を受け入れることが重要である。
- 笑いとともに、「こんなヤツがいたって、いいじゃない!」という精神が、社会において重要な役割を果たす可能性がある。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
江戸時代は身分制社会の中で役割が狭く明確に決まっていた。しかし、江戸の人々は趣味などの緩い横のつながりを持ち、幾つもの名前を使い分け、自分の分身(アバター)を切り替えながら創造活動をおこなっていた。アバターはサンスクリット語で「神や仏の化身」を意味する。
落語家・柳家花緑はディスレクシア(識字障害)を公表している。落語はいくつもの人間をひとりで演じる究極のアバター芸であり、真打になればは演出家も兼ねる。池上との対談では落語の登場人物や実体験を交えながら、ニューロ・ダイバーシティ(脳の多様性)とアバターの多様性に迫っていく。
江戸文学・文化の研究者、田中優子は学生時代に石川淳の作品の中の「見立て」や「やつし」に、いわゆるアバターの存在を知る。浮世絵や黄表紙といった江戸文化がさまざまな分身たちによって、彩られていった解説がなされるている。
現代のバーチャル空間に集うデジタルのアバターたち。江戸と仮想世界という二つの覗き窓から見えてきたのは、マルチ・バース(多元的宇宙)と豊かなダイバーシティの姿だ。互いの研究成果に親和性を感じる池上英子と田中優子。池上の「パブリック圏」と田中の「別世」は共通概念であり、閉塞感の強い現代を軽やかに生きて
いくヒントがそこにある。(幸)
江戸は窮屈なタテ割りの枠に、緩いヨコの繋がりも存在した。池上英子は「パブリック圏」と呼び、ネットワークが交差する場として捉え、マルチ・バースの世界が構築されていたと言う。田中優子はそれを共有する人びとがいる限りにおいて現実に存在する社会システムとして、「別世」と表現する。いずれも「アバター」でコミュニケーションするバーチャルな世界であり、それはネットワークの中で出現し、そこには多様な自分が映し出される。
池上は多様性をインプットモードが異なる非定型発達と考え、「ニューロ・ダイバーシティ」であると説く。柳家花緑はディスレクシアでありながらも落語というアバター芸に興じ、自身をニューロ・ダイバーシティ落語家と称す。ディスレクシアも非定型な感覚認知傾向として、多様性のうちに捉えている。田中は、目に見えるものだけがすべてではない、自分の常識だけが絶対なのではないという考え方が、他人への配慮と深慮をはぐくむばかりでなく、想像力と知的好奇心を伸ばし、そしてそれは差別や排除を最小限にとどめる道でもある、と締めている。(達) -
江戸時代の人々は身分社会の中にあって、多名を使いこなし「連」などで創作活動をしている人がいた。
彼らは様々なアバターを使いこなす人々だったようです。
心の中の様々なアバターを駆使して生きる現代のSNS社会の我々にも通じるヒントになります。 -
いろいろと示唆に富むエキサイティングな本だった
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2021.06―読了
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【推薦者】S.Y@46守 学匠
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江戸時代の人々は様々な活動の姿、本書ではアバターと称しているが、を持っていたことを多くに事例で示している.松尾芭蕉、伊能忠敬、渡辺崋山、横山崋山、等々.終章で田中さんが上手にまとめているが、"江戸時代は高齢化社会ではなかったにもかかわらず、隠居の活躍する社会だった.アバターというテーマは非定常発達者だけの問題ではない.ひとつの空間に固執するべからず.自分の中に豊かなマルチ・ユニバースと分身を確保すべきだ(p304-305)" .国会でしどろもどろになっているおっさんに聞かせたいものだ.柳家花緑の話も楽しめたが、非定常発達者をいかに社会に取り込むかは大切な視点だと感じた.俳諧連句の解説(p221~)は、ものの見方を大きく広げるための素晴らしい事例だと思った.
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人と神経構造が違うせいで、物の見え方や聞こえ方が違う人達がいる。人間も生物だから、種の多様性はとても大事よね。「表現の自由」みたいな言い方に代表されるように、アウトプットについての許容範囲は広がりつつあるけど、インプットについては見えないだけに難しい。
でもこの本、だいぶ構成に難がある…というか、てんこ盛りし過ぎ。「江戸とアバター」に絞った方が良かったのでは。