死にたくない 一億総終活時代の人生観 (角川新書)

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784040823126

作品紹介・あらすじ

「現代の自由人」こと蛭子能収さん(71歳)は終活とどう向き合っているのか。自身の「総決算」として、これまで真面目に考えてこなかった「老い」「家族」「死」の問題について、今、正面から取り掛かる!

感想・レビュー・書評

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    蛭子能収
    1947年10月21日生まれ。長崎商業高校卒業後、看板店、ちりがみ交換、ダスキン配達などの職業を経て、33歳で漫画家に。俳優、タレントとしても活躍中。おもな著作に『ひとりぼっちを笑うな』、『蛭子の論語』(ともに角川新書)、『芸能界 蛭子目線』(竹書房)、『蛭子能収のゆるゆる人生相談』(光文社)、『ヘタウマな愛』(新潮文庫)などがある。O型、てんびん座。

    世の中には、他人に好かれようとして、さまざまな作戦を立てる人がいます。あまたあるビジネス書や美容雑誌や自己啓発書などでも、要するに言いたいことは、「どのようにみんなに好かれて成功できるか」ということではないですかね。  でも、これに関して僕の答えはとてもシンプルです。  それは、「他人に余計なことをしない」こと。もう、それだけで十分です。  僕は、他人に対して余計なことも言わないし、余計な頼みごとなどもしません。たとえなにか不快なことを言われても、まったく反論すらしません。これが他人に好かれるための、少なくとも嫌われないための王道だと確信しています。

    世の中の多くの人は、本当に「余計なお世話」ばかり焼いていますよ。  でも結局のところ、本当に望むことは本人にしかわからないのだから、僕はそんなときは、まったくなにもせずにただ待つことにしています。ちょっと薄情に思われる人もいるかもしれませんが、他人に「嫌われない」ことを考えれば、自ら積極的になにもしないことが最善の策だと考えているのです。

    僕にはほとんど友だちがいないのです。  そもそも友だちをつくることが苦手で、競艇場などでちょっと仲良くなりかけても、つい「長く付き合うといろいろ面倒なこともあるだろうなあ」とネガティブな考えになってしまう。そもそも他人なのだから、性格が合わないことは多いだろうし、もし気が合わなくなったらずっとしがらみにとらわれるだけじゃないですか。  せっかくの友だちなのに、 喧嘩 することもあるかもしれません。  喧嘩というのは、本音を言うから喧嘩になるわけであって、実際は仕事仲間よりも友だちと喧嘩するほうが割合として多いように感じます。だから、僕はとにかくトラブルを避けるために、友だちをつくらないようにしていました。  喧嘩しないために、友だちをつくらないということです。

    もしかしたら、僕はつねに母性的な愛情をどこかで求めているのかもしれません。  子どものころは末っ子で両親から可愛がられたし、いつも母親と一緒にいたので、まわりの人にも「よっちゃんは甘えん坊だから」とよく言われていました。  そのためか、女性に甘えるという性質がきっと僕の場合は強いのでしょう。甘えさせてくれて、たまに𠮟ってくれて、僕のお 尻 を 叩いてくれるよう

    生きている人には、必ず死んだ人以上に楽しいことがある。死んでしまったら経験できないことが、生きている人には経験できるのだから、そのチャンスを逃さないことです。本当は、つらいことの2倍くらい楽しいことが起きているかもしれませんよ。ただ、どうしても人間の心理としてつらさが勝ってしまい、それに気づけなくなっているだけなのです。  僕はいまこれを書いているときにコンビニで買ったペットボトルのお茶を飲んでいますけれど、こうして飲めて味わえることは、考えようによっては奇跡のようなことかもしれません。実際に、病気や貧困や飢餓によって、それができずに苦しんでいる人が世界中にたくさん存在しているのですから。それこそ、なんの罪もない子どもたちだってそういう境遇にいるわけです。本当にかわいそうで仕方ありません。

    生きている時間というのは、生きているあなたしか味わえないのだから、ときには悪いことが起きるかもしれないにせよ、お茶を飲んだり夜中にアイスを食べたり、僕はそんなことこそが「幸せなんだよな」と感じて毎日を生きています。

    いまはうつ病や自殺未遂など、精神的な悩みを抱えている人もたくさんいるけれど、そんな人が「やっぱり死のう」って思っても、僕は「それだけは絶対にやめよう」「まずはとにかく逃げよう」と言いたい。つらいことに囲まれているような日々にも、小さな幸せがどこかに必ず転がっているのだから。  夕方くらいにスタバまでとことこ歩いて来て、まったく味…

    とくに大きな幸せがなくても、僕はいつだって小さな幸せを感じています。だから、いまつらい人は、「幸せのランク」をちょっと落としてみるのもいいかもしれません。お金が大好きな僕が言うのもなんですが、人間って欲張りな生き物です。でも、それではきりがない。いくらお金を稼いでも、「もっとほしい」と願うだろうし、…

    だから、いまお互いに愛し合っている夫婦やパートナーがいれば、それはとても幸せなこと。別に友だちがたくさんいなくても、そうした絶対安心できる、心を許し合っている存在は、幸せに長生きしていくためには必要かもしれません。  これからの時代は、 60 代や 70 代以降の 30 年間を元気に過ごしていくために、やっぱりそんな人たちとの愛や信頼感が、かなり大切な条件になると感じます。やっぱり夫婦が仲良くできないと、途中で本当に沈没しがちになるじゃないですか。だからこそ、いまからでも遅くないので、自分のパートナーを大切にしたほうが幸せな人生を送れるはずです。

    たとえば、妻がどこかに行きたいと言ったら、そのとき多少腰が重く感じても、なるべく一緒に行動します。実際、自分のことは自分がいちばんよく知っているようで、案外自分の思いなんてあてにならないものですよ。言われるがまま、誘われるがまま一緒に出かけてみたら 凄く楽しかったり、気分が晴れ晴れしたりすることって本当にたくさんあるから。  そういう考えでいくと、妻(夫)という存在は家庭のなかの監督だと考えて、自分は俳優にたとえておけばわかりやすいかもしれません。監督の言うことを素直に聞いていれば、きっと全体として安定した生活ができるだろうし、監督の意図を尊重して接するようにしていれば、いいことだって起こるということです。

    目が悪くなったこともあるのだけど、少し前からブレーキを踏むタイミングがなんだか遅くなった感じがしていたのです。そして、ある日長距離を運転して帰ってきたとき、かつてないくらいにもの凄く疲れてしまった。 「なんだか疲れたなあ……」  帰ってきてからすぐにそうつぶやいたとき、「あ、俺もう車の運転なんかしちゃダメだ」と思ったのです。そこで、 60 代でしたが、運転をやめて免許を返納することにしました。なにか事故があったからやめたわけじゃなく、自分で考えて「もうやめよう」って決めたのです。

     長らく生きていると、誰もが人生のつらさを知っていきます。たとえば、現実的には日本社会は学歴社会なので、学歴が低ければそれだけで差別対象になりますよね。そんな社会で辛酸をなめて生きてきた大人たちは、若者に対して「とにかく勉強だけはしろ」「好きなことをしてもいいが、その前にいい学校には行っておけ」みたいなことを、わかったふうな顔で言いがちです。  でも、僕はそんなことよりも、「生きているだけで楽しい」と思えるような人間になったほうが、よほどいいのではないかという考えを持っています。生きているだけで楽しいと思える人生だったら、学歴なんてあってもなくてもどっちでもいいじゃないですか。そもそも毎日が楽しければ、そんなことにこだわる暇も惜しいはずですよ。

    勝っている人が、いつまでも勝ち続けるとは限らないのが人生というものです。有名な大学を出たり、一流企業を勤め上げたりしたような人が悲惨な老後を過ごすこともあれば、ツキに恵まれなかった人でも、老後に素敵な出会いがあって幸せに過ごすことだってふつうにあり得ます。だからこそ、ただ生きているだけで面白いと思うし、人生は素晴らしいものなのです。  こんなふうに考えるのも、僕が長いことギャンブルをやっているからかもしれない。大勝ちしている人がいきなり負けはじめてひどいことになっていく様子をいくらでも見てきているし、負け続きの人にいきなりツキが回ってくることだってよく起こります。むしろ、勝っているときこそ危ない。だから、勝ち負けに執着しても仕方ないし、そこで不安になってもなにひとついいことなんてないのです。

    芸能界というのは、プライドの高い人の集まりのようなところで、活躍されている人には、ボスタイプや大御所みたいな人もたくさんいます。  ただ、僕には、その人たちが威張っているようにも見えません。なぜなら、そんな人たちって、意外と人が集まる場所じゃなくて、ひとりでぽつんとしている姿もよく目にするからです。そんな光景を遠目に見ていると、「誰かあの人に話しかけにいかないのかな?」なんて心配になります。そして、僕はまったくボスタイプではないけれど、妙な共感を抱くこともある。  これはなにも芸能界に限らず、どの世界でも同じことではないでしょうか。まわりから「先生」と呼ばれたり、グループのなかでボス的な立場だったりする人って、じつはひとりぼっちの人も多いものです。

    いずれにせよ、ふだんから自分のことを低く見積もっておけば、逆にちょっとでもほめられたら、異様にうれしくなるというおまけが自動的についてきます。つねに自分をいちばん下に置いていれば、それ以上マイナスになることはなく、むしろプラスしかありません。

    たとえば、ある連続ドラマに出演したとき。共演した女優の 内藤 理 沙 さんが、僕にたくさん話しかけてくれました。彼女はとてもやさしい子で、そのときは自分でも「あ、僕も喋ることができるんだ」と思ったほどでした。そのくらいたくさん会話することができて、「なんかこの人に助けられたな」ってうれしくなった。そのあともバラエティー番組で会うことがあったのですが、そのときも少し会話をすることができた。自分の娘より若い女性に助けられているわけです。  もちろん、話しかけてくれる人はほかにもたくさんいて、ここで全部書けないのが心苦しいですけど、 島崎 遥 香 さんも、あるとき「蛭子さん、セリフ合わせしましょうよ」と話しかけてきてくれて、うれしかった。  また、『太川蛭子の旅バラ』でも共演したことがある 鈴木 奈々 さんはとても安心感のある女性で、とにかく元気で声も大きいし、向こうからどんどん話しかけてくれます。絶えず話しかけてくれるから、僕もそれに合わせて返すことができて、「変な間」がほとんどできずに会うたびに楽しくなります。

    また、僕もむかしは太っていましたが、歩いて瘦せたことでいまはそんなに老けた感じに見られないようです。「見た目」を整える意味でも、歩くことはとても大切です。 「歩いて健康になりましょう」ってよく言われるけれど、これがなかなかできません。僕も体重が少なくなったからといって、体がかつてと比べものにならないほど軽くなったと感じているわけでもないのです。なにせ高齢ですから、そういう実感というのはそれほどないのが実情です。実感が得られなければ、人ってなかなか続けることが難しくなる。  でも、マネージャーが言うには、以前の僕はちょっと歩いただけで「きつい、きつい」って口に出していたようです。その意味では、仕事で歩いただけでずいぶん体力が上がったみたい。食生活を変えるわけではなく、そのまま食べながら歩くだけで体重が減ったので、歩くことは凄くいいことだと実感しています。

    人は健康だから働ける。でも、同時に、僕は働くからこそ好奇心が衰えず、体も心も健康になれるという考えなのです。働くから健康になれて、生活も少しは安定したものになって、お金も手にして、少しだけ心が豊かになるのだと思うのです。

  • 蛭子さんが死について真面目に書いてます

  • 他の蛭子さんの本と少し違い、全体的にかなり真面目。でも考え方はすごく参考になりました。

  • 蛭子さん4冊目。
    老いや死について、独自の観点から語られる。
    とにかくタイトル通り、死にたくないがそこかしこに出てくる。そして生き抜くためには働く事、争わない事。ギャンブル好きはお金にだらしないイメージがつきものだが、実際はそれだけ大事に考えているという事。
    そして、全ては奥様への愛に溢れている。これだけ信頼されて、愛されている奥様は幸せだろう。是非とも見習いたい。
    気になったワードを。プライドより現金がすべて、暴力は弱い者が必ず犠牲になる、人は群れるとおかしくなる、僕が死んだら妻は誰かと幸せに。

  • 素寒貧 『運び屋』「監督・主演:クリント・イーストウッド」 軽度認知障害 「自由でいたい」という気持ちが僕にはとても強いけれど、その一方で自分を支えていてくれる女性にも側に居て欲しいという、本当に都合が良くて、でも寂しさから生まれてくるような気持ちがやっぱりとても強いようです。 世の中には、「最後は家で迎えたい」という人もいますが、死んだらなんの記憶も残らないし、ただの腐敗していく肉塊でしかありません。そんな状態になる一歩手前なのに、場所なんて殆ど関係ないのではと考えてしますのです。 好奇心にも燃料が必要

  • 作者はテレビで見ても何の共感もないが、著作を読むとなるほどなと見習うところがある。不思議。

  • 蛭子さんの言っていることは共感できる。自分も「死にたくない」って思っているし、死に対する恐怖も強い。友人との距離の取り方もなんだか似ている。死ぬまで働きたい、ということも同意である。でも、違うのは、蛭子さんには信念のようなものがきちんとあるということ、そして夫婦で過ごす時間を幸せと明言できていること。核にあるもの、芯となるものがあるかないかの違いはとても大きい。自分にそれはない。(まだない、と言いたい)
    ある程度の意志はもちつつ、基本的には流されるまま生きてきて、人と比較することもよくするし、自分にとってこれが良い、と言えるものがない。そこが一番不幸なところなのかもしれない。小さい幸せを感じられること、それを積み上げていけること、そしてこれがあれば自分は幸せなのだと体で理解できていること。それがあると毎日を楽しく、過剰に死を恐れずに生きていけるのかなと思う。
    ちなみに良い本ではあったけど、これを新書で出してしまうっていうのは、うーん、新書って何なんだろうな。岩波新書、中公新書、講談社現代新書しかなくて、学術的な内容がわかりやすく語られていたものを新書と思っている自分にとっては、これも新書かあ、と。エッセイとして文庫本で出せばいいような気がしたけれど、まあ、体裁はどうでもいいか…。

  • 蛭子さんはいつも計算や嘘がなさそうで、
    たまにホロリとさせられる。
    たとえサイコパスだったとしても
    いつまでも元気で活躍してほしい。

  • 118冊目(11-9)

  • 20191021 蛭子さん誕生日おめでとうございます。丁度読み終わりました。自分の一回り先輩の書。スタンスが似ているのか共感できることが多い。個人的には、西武池袋線の改札口の前で仕事の関係者?とか数人と話していた蛭子さんを目撃した時の印象は少し怖かった、今回本を読んで、仕事には真剣に立ち向かっていると聞いて頷く事ができた。シリーズ化して定期的に更新して出版してほしい。

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著者プロフィール

1947年10月21日生まれ。長崎商業高校卒業後、看板店、ちりがみ交換、ダスキン配達などの職業を経て、33歳で漫画家に。俳優、タレントとしても活躍中。おもな著作に『ひとりぼっちを笑うな』、『蛭子の論語』(ともに角川新書)、『芸能界 蛭子目線』(竹書房)、『蛭子能収のゆるゆる人生相談』(光文社)、『ヘタウマな愛』(新潮文庫)などがある。O型、てんびん座。

「2019年 『死にたくない 一億総終活時代の人生観』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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