零戦 その誕生と栄光の記録 (角川文庫)
- 角川書店(角川グループパブリッシング) (2012年12月25日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041006238
作品紹介・あらすじ
世界の航空史に残る名機・零戦の主任設計者が、当時の記録を元にアイデアから完成までの過程を克明に綴った貴重な技術開発成功の記録。それは先見力と創意、そして不断の努力が見事に結晶したものであった。「われわれ技術に生きる者は、根拠のない憶測や軽い気持ちの批判に一喜一憂すべきではない。長期的な進歩の波こそ見誤ってはならぬ」日本の卓越した技術の伝統と技術者魂を見直すことが問われる今こそ、必読の一冊。
感想・レビュー・書評
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零戦 その誕生と栄光の記録
著:堀越 二郎
角川文庫 ほ19-1
おもしろかった。エンジニアになろうとしている人であれば、一度は読んだほうがいいとおもいます。
戦闘機によって、空の主導権を握ること、つまり、制空権を確保することを運命づけられたのが、ゼロ戦を頂点とする航空技術自立計画によって生み出されていった戦闘機群である。
航空機をもって、圧倒的な優位の状況を生み出そうとする、海軍の山本五十六技術部長を中心に進められた航空技術自立計画は海軍技術廠を中心とした国家プロジェクトになっていた。
その対面として三菱重工の戦闘機部門を率いていたのが、主任設計技師である堀越二郎氏であった。
当時の状況は
①日本では大馬力のエンジンの開発が遅れていたこと
②重量の軽減とともに、材料を節約できるように設計をする必要があること
③競争試作 三菱と、中島飛行機に試作機を発注し、優れている法を採用するという制度をとっていた、ようは、作った飛行機をパイロットが採用しているかだ
これまでは、敵の航空戦力を撃滅するには、攻撃隊で敵の飛行基地を空襲し、基地で破壊するのが効率的であるとされていた
しかし、実際は、空中戦で、飛行機もろとも、敵の搭乗員を撃墜することがずっと確実で有効であることが、日中戦争で証明された。
以来、日本海軍では、戦闘機をもって制空権をひろげることが、航空戦の基本となっていくのである。
構想から設計に移すために具体的な設計方式の決定があり、設計チームが編成された。
設計上の4つの問題
①エンジンの決定
②プロペラの選択
③重量軽減対策
④空力設計 ようは、空気抵抗を少なくし、理想的な安定性、操縦性を確保することだ
戦闘機にかかる力は7G,それに、1.8という安全率を適用すると、すべての部材が、12.6Gという加速度に耐えられるように設計しなければならない
試作の段階で、百数十か所の改良の指示がだされた。これはたいへんなことのように思えるが、飛行機設計にとって珍しいことでもなんでもなかった。
資源がとぼしく、開発のためのマンパワーなどが劣る日本としては、少数精鋭主義に徹する以外は、外国に対抗する手段はない、という私の信念は、ますます堅いものとなった。
昭和15年7月、正式機として採用された。皇紀2600年であったことから、その末尾の零をとって、零式艦上戦闘機というのが略称となった。
太平洋戦争前半は、ゼロ戦の独断場であった。しかし、アメリカ海軍がマーシャル戦で投入してきたグラマンが、転機となる。
三菱は、改良を加えるが、もはや、アメリカを覆すための時間も人材も材料ものこされていなかった。
しかして、グラマンとB29によって、制空権は、アメリカに奪われ、戦争は収束していく。
本書は、堀越二郎氏の自分の子供としての、ゼロ戦の成長と別れの記録なのです。
目次
序章 昭和十二年十月六日
第1章 新戦闘機への模索
第2章 不可能への挑戦
第3章 試験飛行
第4章 第一の犠牲
第5章 初陣
第6章 第二の犠牲
第7章 太平洋上に敵なし
終章 昭和二十年八月十五日
ISBN:9784041006238
出版社:KADOKAWA
判型:文庫
ページ数:244ページ
定価:552円(本体)
発売日:2012年12月25日初版発行
発売日:2013年07月15日6版発行詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
零戦と言われて、何を想像しますか?と聞かれたら、自分の場合は、神風特攻隊と答えます。
戦争の道具として、使われたのが、非常に惜しいと思います。しかし、戦争で使用するから、
この稀代の名機は生まれたのかもしれません。
海軍司令部の無茶苦茶な要求以上のモノを発明した堀越氏の努力と想像力は、凄まじいものがあります。
ただ、戦闘機は人を殺す道具です。それでも、作らなければならなかったのは、非常に不幸だと思います。
戦争を2度やってはならないが、それを忘れてもならない。
おそらく、堀越氏は、この本を書く事で、日本人にいつまでも、零戦で散っていた人、殺された人へ
技術者として、「できること」をしたんだと思います。 -
やはり戦争を体験した技術者本人の著作だけあり、臨場感に満ち満ちている。技術者としての覚悟にしても、戦時中の状況悪化にしても、非常に参考になると思う。
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零戦の主任設計者の堀越技師の著作。欧米に遅れていた航空機の設計で知恵を振り絞って解決策を見出していく著者に感動した。
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零式艦上戦闘機
航空機史上、世界で最も有名と言っても過言では無く、またその優秀さは戦後、アメリカが日本の航空機開発を禁じた事からも明らかであろう。
その主任設計者自らが、構想から実戦投入までを克明に記載したのが本書である。
軍部から幾つもの不可能と思われる性能要求を突きつけられたにも関わらず、決して諦める事無く、妥協せず、しかし適切に優先順位を熟慮して、稀代の戦闘機として具現化したその精神、姿勢は、私も同じ技術者の端くれとして正に鑑とするものであり、未だに日本のモノづくりの精神として継承されていると信じたい。
最後に著者の言を引用する。
「私の武器は、納得がゆくまで自分の頭で考えることだった。裏づけのない議論のための議論はきらいで、実物と実績で見てもらいたいという主義だった。」
「技術者の仕事というものは、芸術家の自由奔放な空想とはちがって、いつもきびしい現実的な条件や要請がつきまとう。しかし、その枠の中で水準の高い仕事をなしとげるためには、徹底した合理精神とともに、既成の考え方を打ち破ってゆくだけの自由な発想が必要なこともまた事実である。」
正に至言である。 -
映画の興奮覚めやらぬ内に衝動買いしてしまったはいいものの、戦闘機に興味がある訳ではない。そして著者は明治生まれ。読むのが億劫なのは火を見るよりも明らかだ…
そう思っていただけに、読みやすくて面白くて、専門知識の解説も分かりやすいことにびっくり。以下、映画と本書について入り乱れた内容の感想となる。
書かれているのは、タイトルにもある、零戦が生まれるまでの苦難の道のりと、戦争での輝かしい戦績。それに加えて、相手国が新たな戦闘機を投入する中にあっても零戦で戦い抜かなければならなかった状況。そして、その最後が綴られる。
「栄光の記録」というサブタイトルから受ける華々しいイメージとは異なり、波瀾に満ちた生涯を送った人物の伝記のようだった。
<零戦について>
零戦については、以前NHKのETV特集「零戦ニ欠陥アリ~設計者たちの記録~」で見たことがあった。零戦の脆弱な防弾性能と人命軽視がその欠陥であるとし、海軍の隠蔽体質についても触れられる、というもの。
この中で、防弾性能については、本書を読む限りだと“欠陥”と呼ぶ類のものではない気がするし、対照的に描かれる米軍戦闘機“ヘルキャット”との比較も、当時の国勢を考えると意味をなさないものではないかと疑問を抱く。
“人命軽視”“日本の組織の体質”という切り口・主張からまとめられた番組だったので、両者(本書とTV番組)で違和感が生まれるのは当たり前かもしれないが、教訓を得るために安易に演繹的に歴史を語ることの危うさを感じた。温故知新とは言うけど、それは過去を見る目が研ぎ澄まされた人間がやらないといけないのでは、と。
もっとも、本書は設計者である堀越自身による執筆なのだから、こちらを頼りすぎる事もそれはそれで問題かもしれない。いずれにせよ、歴史的事象に対する認識にここまで差が出ることに驚いた。
厳しい制約の中で、試行錯誤の末最大限の技術と発想を詰め込んだ結晶、それが本書で書かれる零戦の姿だった。
以上が戦闘機“零戦”自体についての感想だが、本書を購入した主な理由は、堀越二郎という人物について、映画を通じてもっと知りたいと思ったからだ。以下、文章から伝わってきた彼の人物像について少し触れる。
<堀越二郎について>
零戦の設計者である堀越二郎は、一般人に比べて戦争に深く関わっており、捉え方によって(特に攻撃された側にとって)は、殺戮兵器を造った極悪人ということになる、かも知れない。
しかし、映画の中の彼はただまっすぐに飛行機を造る技術者であり、葛藤や後悔と言った描写は殆ど無いと言っていい(テスト飛行で犠牲者が出て精神的ダメージを負っていたが、それは別の悩みだ)。
本書では、「(中国で戦果を上げる零戦に対し)千何百年来文化を供給してくれた隣国の中国でそれが験されることに、胸の底に痛みをおぼえていた。」という記述がある以外は、葛藤や後悔を感じる文は見当たらない。玉音放送時の箇所(p.224)においても同様だ。
映画においては、歴史認識を排除したなどさまざまな理由で、あえて描かれなかったのかも知れない。しかし、本書では、戦争の評価までしている以上、書かれていてもおかしくない。後悔が無かったのか、あるいはあったが書けなかったのか?
例えば、兵器を造ることへの葛藤など、現代の価値観から見るからあるように思えるだけで、当時はそんな考えをしない人も大勢いたのかもしれない。だから、当時の自分の感情を直截に書いたのか。
あるいは、飛行機造りを愛していた自分が戦争の時代に生まれたという不幸な巡り合わせ(上司の黒川が「惜しいな…」とつぶやいていたシーンは印象的だ)の中で、半生を費やす仕事をやり遂げるために、その過程で葛藤を抱き続けるわけにはいかなかったのか?あるいは…あるいは…?想像は止まらない。
<この本は何か?>
今夏もたくさんあった太平洋戦争の特別番組において、戦争の悲しさ、そこから得た教訓めいたものが例年と変わらず流れていた。その中で、“風立ちぬ”は自分の目にものすごく異質に映った。そもそも戦争と結び付けて考える映画かどうかは分からないが、強引に関連付けて考えるならば・・・戦争の加害者でもなければ被害者でもなく、戦争の中で目一杯生きた個人が描かれた映画だ、と言えるのかも知れない。
戦争をあれこれ論うわけでもなく、教訓めいたことを語るツールとして使うわけでもない、手垢の一切付いていない純粋な一個人の記録。これは、そんな本なのだろう。 -
映画「風立ちぬ」の主人公のモデルとなった堀越二郎が、自ら零戦の設計について語った一冊。
零戦の設計にかかわる道のりに軸が定められており、まるで非常に完成度の高いドキュメンタリー番組のよう。設計のプロセス、チーム内の人間関係と役割分担、各部品の役割から過酷な要求へ答えていく工夫まで、その挫折と成功が詳細に語られる。飛行機の速度や振動数など、初めて知る数字がたくさん出てくるものの、とてもわかりやすく、また細部を語れば語るほど、携わった人々の濃密なドラマも次々とこぼれ出していく。ページをめくる手が止まらなくなってしまう。
当時は、どの国においても、最高の技術を追い求める人々は、戦争関連の開発に携わっていた時代。それを、現在の視点から、人を傷つける道具を作ったんだ、と簡単に否定するようなことはしたくない。
でも、それでも、零戦の撃墜数を誇らしく語る彼の口調がつづくと、嫌悪感と悲しさが募って読み飛ばしたくなる。そんなの全然かっこよくない。所詮は戦争の道具なのだと思ってしまう。彼の功績が、戦後の日本の発展に生きているだろうこと、別の時代でも大活躍していただろうことは、わかるんだけれども(戦闘機だからこそかっこいい、という感覚もあるのもわかっているんだけれども)。とても面白かった一方、そんなもやもや感が残る一冊だった。
そういう、歴史や戦争を学ぶときにいつも抱く複雑な気持ちを、もし風立ちぬを観て初めて抱く人たちがいたのなら、この映画の功績は計り知れないんじゃないか、すごいことなんじゃないか、と思う。
そして、読んでいて、永遠のゼロの、戦闘機乗りの思いをいくつも思い出した。航続距離を誇らしげに語るあたりは特に胸が痛んだ。これも映画が楽しみ。-
2013/08/31
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プロジェクトXを読んでいると、車、新幹線、航空機(YS11)日本技術の黎明期に活躍した人達の多くが零戦や戦闘機製作に関わった技術者がおおいのに気づいた
いわば メイドインジャパンのルーツ的なプロダクトなのかもと思って 読んでみた(ちなみに、若い頃 風たちぬはよんでいた)
やはり まさに プロジェクトXに共通する 飽くなき技術の追求、試行錯誤、そして創造的な工夫によって 当時世界一の航空機(戦闘機)を実現している
あくまで技術者として書かれている点が非常に共感をよぶ著作でした