- Amazon.co.jp ・本 (278ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041048016
感想・レビュー・書評
-
歎異抄を再発見し世に送り出したのは、東本願寺の僧清沢満之であったが、一般の人に知らしめ有名にしたのは、なんといっても倉田百三の「出家とその弟子」であろう。
全国行脚をしていた親鸞と弟子二人が吹雪に会ってしまい、左衛門の家に一夜を宿望する場面から始まる。
唯円の父左衛門は人の善さににつけ込まれ苦労したため人間不信に陥っていた時なので、親鸞の頼みをむげに断り吹雪の中に放り出してしまう。
しかし、根は善人なため自分が犯した行為の反省で寝付けず夜中に起き出してしまい、家の軒先で凍えそうになっている親鸞の一行を見つけだす。
左衛門は「私は善い人間として、世渡りをしようと努めたがそのために世間の人から傷つけられた。善い行いだけやっていたのでは渡世は生きていけないことを知った。そんため私は悪人になることのほか道がなかったのだ」と告白する。
それを聞いた親鸞は「私は極悪人です。自分の心を正直に見るに絶える人間は苦しむのが当たりまえで、人は良くなりきることは出来ない悪人なのだ。只偽善者だけがその苦しみを持たないだけなのだ」と優しく言う。
その言葉に感動した左衛門は即座に親鸞に帰依することに決断。その縁で左衛門の息子若松は親鸞の弟子となり唯円を名乗るようになる。
作品は、その唯円が親鸞とその息子善鸞親子の葛藤に心を砕き、遊女との恋に悩み傷つく様子。そして、その苦悩を自分の悩みと受け取る親鸞の姿が歎異抄の有名な文句を散りばめて舞台が進行していくという風に構成されている。
この作品が青春世代に読み継がれているのは青春の悩みは、時代を越えて同じであり、この作品に解決の糸口が語られているからだと私は思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
(1964.07.13購入)
(「BOOK」データベースより)
恋愛と性欲、それらと宗教との相克の問題についての親鸞とその息子善鸞、弟子の唯円の葛藤を軸に、親鸞の法語集『歎異抄』の教えを戯曲化した宗教文学の名作。本書には、青年がどうしても通らなければならない青春の一時期におけるあるゆる問題が、渾然としたまま率直に示されており、発表後一世紀近くを経た今日でも、その衝撃力は失われず、読む者に熱烈な感動を与え続けている。