毛利は残った (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041130070

作品紹介・あらすじ

関ヶ原の戦いで、西軍の総大将に祭り上げられた毛利輝元。だが敗戦後は、石高を減らされ、財政は破綻寸前の窮地に。そして徳川幕府からの圧力も増すばかり。絶望的な状況から輝元はどう藩を立て直すのか?

感想・レビュー・書評

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  • 毛利輝元は天文二二年一月二二日(一五五三年二月四日)に生まれる。幼名は幸鶴丸。毛利元就の嫡孫であり、毛利隆元の長男である。毛利氏は鎌倉幕府草創の名臣である大江広元の四男季光を祖とする一族である。

    祖父の毛利元就は国人領主の毛利氏を九州の大大名にした。敵を調略して内部崩壊させることを得意とした武将であった。輝元は父の急死によって家督を相続した。織田信長と対立したが、備中高松城で羽柴秀吉と講和を結び、本能寺の変後は秀吉に属す。豊臣政権下では五大老の一人になる。

    輝元は関ヶ原の戦いでは精彩を欠けた。輝元が大坂城から動こうとしなかったことは三成の誤算であった。三成としては輝元に兵を率いて出陣してもらいたいが、輝元は頑として動かなかった。輝元については様々な見方がある。

    第一に担がれただけの無能説である。本気で家康と対決するよりも場当たり的に兵を送って手薄そうな所を攻めた凡将と評価される。大坂城にいる限り、輝元の安全は保障されているために出ようとしなかった。これが伝統的な見解である。

    輝元は飽食の罪に陥っている。大阪城にいれば朝から酒を飲むこともできる。出陣して陣中にいれば飽食ができない。有能の家康と無能の輝元、粗食の家康と飽食の輝元が対比される(近衛龍春『毛利は残った』角川文庫、2022年)。

    第二に元就譲りの陰謀家とする見解である(葉室麟『風の王国 官兵衛異聞』講談社 、2009年)。輝元は四国から九州北部には活発な軍事行動を行っていた。関ヶ原の合戦後は安易に屈服したが、それは黒田官兵衛のせいである。官兵衛が北九州を席巻し、中国地方に上陸する勢いであったために輝元も徳川家康に弱気に姿勢をとらざるを得なかった。

    第三に戦国大名説である。陰謀家説は大阪城から出陣せず、関ヶ原の合戦には消極姿勢を持っていたことと矛盾する。この二面性に戦国大名説は回答を出している。輝元は自身の領国拡大を目的にしていた。それ故に自領の延長線上にある四国や九州への軍事行動には積極的であった。領土が拡大すればよく、豊臣と徳川の関係はどうでも良かった。天下を意識していた徳川家康とは役者が違っていた。

    同じことは上杉景勝にも言われる。景勝は徳川家康を追撃せず、最上攻めを行った。景勝は義の人とされるが、天下ではなく、領国の拡大という戦国大名的発想であったとする。しかし、家康は宇都宮に結城秀康を残し、備えは万全であって、追撃したくてもできなかったという面がある。徳川の大軍を自領に誘い込んで迎撃する構想であり、関東に攻める兵站の準備はなかった(岩井三四二『三成の不思議なる条々』光文社、2015年、338頁)。

  • 題名に酷く惹かれて、何となく手にして紐解き始め、少し夢中になった時代モノの小説である。
    かの関ヶ原合戦の頃から、江戸幕府の初期、「長州藩」として知られる江戸時代の体制の下での毛利家の基礎が築かれる時代の物語ということになる。
    毛利輝元は、毛利家を中国地方最大の大勢力ということに発展させた毛利元就の孫で、直接の後継者である。豊臣秀吉政権の末期に所謂“五大老”の1人になったが、かの関ヶ原の合戦では「反徳川家康」の陣営、所謂“西軍”の総大将に擁立された。そして関ヶ原合戦では敗軍の将となってしまい、その後は毛利家の生き残りに向けて奮闘し、江戸時代を通じて続く「長州の毛利家」の礎を築いて行くことになる。
    本作はその、関ヶ原合戦の頃から、幕藩体制下での長州毛利家の礎を築き、本拠地として萩に築城し、逝去して萩で葬儀が執り行われるまでの「毛利輝元の後半生」というような物語になっている。関ヶ原合戦の少し後、毛利輝元は出家して宗瑞と号していることから、作中でも途中からその「宗瑞」の名で登場している。作中の殆どの部分で毛利輝元が視点人物になっている。
    豊臣政権下に在っても大きな影響力を保持し続けており、中国地方の巨大な版図は、結局は先代の毛利輝元の時代に手にしたモノが殆どであった毛利家であるが、当主の毛利輝元としては「優秀な叔父達を核にした体制に担がれている」ということで、何かと過ぎる程に偉大な先代と比較されるばかりという様子で過ごすことが長かったかもしれない。
    そういう様子が変わろうかという中で関ヶ原合戦へと進む事態になって行く。本作では吉川廣家による工作で毛利家の身代を護ろうとする方向に大きく振れた動きを見せるのだが、改易の危機に直面し、周防と長門の大名として生き残ることになる。「8国」の身代が「2国」になってしまう。
    本作ではこの「2国」になって以降の、未だかなり若かった後継者を後見し、周防と長門の新たな毛利家の礎を築こうという奮戦が「主要な物語」になるのだと思う。
    毛利輝元は、言ってみれば「巨大企業グループの創業者一族の会長」というような感じで、「財産が大きく損なわれて、それなりの体制を軌道に乗せるために如何するのか?」と奮闘し続けたという人物かもしれない。
    周防、長門を版図として幕藩体制下に在り続けた毛利家が本拠地とした萩に関して、領内でも北西に大きく偏った感で、新たに築城した上に年月を費やして街を興して行った感なので、色々な観方が在ると思う。本作では、少しだけ広島に地形がが似ている新しい場所で、新しい国造りを夢見て、苦心しながら新たに築城したという説が採られている。
    実は一度、萩を訪ねて城下町を歩き廻り、萩城の跡も訪ねてみた経過が在った。その中で、城跡に据えられた毛利輝元の像も観た。本作を読むと、その時に像を観た毛利輝元、或いは本作で多用される宗瑞という名で呼びたい気分でもあるが、「想い」の「声」が聞こえて来るような気もする。
    幕藩体制の草創期に、本作で描かれるような苦心が色々と在った毛利家の長州だが、幕藩体制の幕引きという中で色々と役目を担って行くという後世の事柄も少し興味深い。本作で描かれるのは所謂「合戦」という意味合いとは少し違う意味での「闘い」という物語であると思う。興味深いので広く御薦めしたい。

  • 【History】毛利は残った /近衛龍春/20230428/ 22/987/ <437/169811>
    ◆きっかけ

    【History】天下大乱/ 伊東潤/ 20230303 / 13/978 <523/169974>を読んで、毛利輝元に興味を持ったところ、アマゾンで発見。

    ◆感想
    「毛利家をかろうじて守り、そして幕末の礎をも(結果的に)築いた輝元」



    あまり多くではないがこれまで読んできた戦国時代小説-主に、信長、秀吉、家康という歴史の教科書での主人公たちーからすると、その時代の必ずしもメインストリームではない毛利輝元。が、自分自身が望まない会社での不相応なポジションを受けたのと同じ時期に読み始めた頃、この本での出だしの意図しないところで、西軍総大将に仕立てられていくいきさつなど、つい重ね合わせてしまいのをきっかけに、あっという間に読了した。



    輝元は家康と友好の誓書を交わすが、反家康の武将たちに担がれ、あれよあれよという間に西軍の総大将になってしまう。だが、自ら出陣することもなく、関ケ原で破れ、総大将の責任を問われる。その敗軍の将を待ち受けていたものは、苛烈な移封・減封処分であり、破綻寸前にまで追い込まれてしまう。ここまでは元就からの三代目の坊ちゃん感が否めず、さもありなんという感じなのだが、ここから先が輝元のハイライト。敗戦後の莫大な借金と幕府からの江戸城、駿府城築城、大阪の陣、等々次々にくる試練を克服していき、長州藩の礎を築いていくのだ。そしてその様は、先のイメージが大きく覆された。その根底にあるのは、お家を守りぬくという強い意志なのだろうし、そうした人間味あふれる描写は、自分自身との重ね合わせなどとうに忘れて引き込まれた。そして輝元が、実際それをやり遂げる至る爽快感はこの本ならではと読後に思う。



    ところで、本のほぼ最後に秘密の儀式(毛利家の元日に、「御屋形様、用意が整いましてございます。今年は公儀を討ちましょうや」と重臣が問う、「いやまだ時期ではない」、当主が答えたのちに、年賀の祝宴に移るというもの)のエピソードがあり、印象的。この儀式こそ、徳川家に煮え湯を飲まされた毛利家の無念が脈々と引き継がれ、それが幕末での大きな原動力となったのだろう。実際のところ250年の時を超えて倒幕に成功し、関ヶ原の因縁を晴らしたともいえる。



    その意味では、単に戦国時代~江戸時代初期の一部分を切り取った話というよりも、のちの幕末まで通じる話の礎ともいえる人物像に焦点を当てている点で、歴史の面白さを改めて認識した。元就も結構だが、輝元での大河ドラマ化もいけそうではないか。



    ◆引用

    ・ごまかしても心の中でせめぎあいが続くものの、いつももように楽観視に傾く

    ・この先、なにがどうなるか分からぬが、しばし様子見を見るのが正解じゃ、焦る必要はない、罪悪感の中、輝元は現実から逃避するように難題かに蓋を閉じた。

    ・宗端の提案で、先のことになるが、武士を育成する明倫館や松下村塾などのひな形のようなものが形成された

    ・朝鮮の陶工を萩に住まわせて焼き物を焼かせた。これがのちの萩焼となり、名産となる。

    ・毛利家の元日、御屋形様、用意が整いましてございます。今年は公儀を討ちましょうや、と重臣が問う、いやまだ時期ではない、当主が答えたのちに、年賀の祝宴に移るという。毛利家元旦の秘密の儀式

    ・毛利家は2か国へ削減されたことにより幕末まで存続できた。生き延びたことで、関ケ原の恨みを晴らさんという反逆のエネルギーは脈々と家臣たちの中に生き続け、蓄えられ、発酵し、260余年を経たのちに、爆発したのかもしれない。関ケ原で汚名を残し、崩壊寸前の家を建て直した、ごく普通の武将であったかもしれない。ただ、しぶとく、家臣思いの強い武将なればこそ、ドン底から復活を遂げることができたのだ。誰もができたのではなく、輝元だからこそ可能だったのだろう。

  • 毛利の戦いは関が原の後にあった。
    なぜ参戦したのか、減封の後に待っていた経営破綻寸前。
    武器のない戦が始まる。
    廣家と秀元がいて輝元(宗瑞)が映える。
    三者のコントラストも素晴らしい。

    ※評価はすべて3にしています

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著者プロフィール

1964年、埼玉県生まれ。大学卒業後、暫しオートバイレースに没頭。その後、通信会社勤務を経て、フリーライターに転職。『時空の覇王』(ベストセラーズ)で作家デビュー。主な著作に『上杉三郎景虎』『南部は沈まず』『長宗我部元親 』『北条戦国記』『九十三歳の関ヶ原 弓大将大島光義』ほか多数。

「2023年 『兵、北の関ヶ原に消ゆ 前田慶次郎と山上道牛』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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