- Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
- / ISBN・EAN: 9784047100909
作品紹介・あらすじ
フェミニズムは正しい。でも間違っている。なぜフェミニズムは歴史歴役割を終えたのか。
感想・レビュー・書評
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2023093000
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7/10点。
難しい部分があるので8点はあげられない。
特にフェミニストの言説を引用するなら丁寧に翻訳して。
傷つくという体験を共有し、その傷を被害者という特権的な地位を獲得した根拠にするということはよくわかった。
でもその構図を採用し続ける限り、フェミの方々ひたすら男社会から傷つけられ続けないとフェミの立場を維持できないという構図になっているのは不幸と思う。
俺は、女は、男性の性的な側面を適切にかつ暴力的に消費できるだけの能力を持っていると思う。男なんか、商品にしちまえばいいじゃんと思う。経済的な理由で女がそれをできないのならそうできるような社会を作るべきだと思う。
他方で、誰も対象化され消費されない社会なんてありえないので、性の対象化や商品化そのものをネガティブに評価することに意味はないと思う。男女差を埋めるだけにしとけよ、と。
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読了。面白かった。タイトルは、図書館で予約して貸し出したときは少し恥ずかしかった。難しい話だった。私の理解は30%ぐらいかもしれない。映画エイリアンは機会あれば見直そうと思った。
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生態学的にも競争を避けるのが大切ということがわかりました。
無反省な読み手にはなりたくない。いろんな意見を持つ先達に会って自分の答えを日々出し続けて行きたいね。
エイリアンにこんな深い意味があったのか!商業的に成功しなければ行けないものって、世間の深層的なニーズをなぜかとらえているんだね。それは矛盾したメッセージをそのまま同時に伝えていて、超多様な読み筋を見いだせる物語なんですね。単一なスタート→ゴールのお話はつまんないったらないね。 -
フェミニズムはマルクシズムと同様、「理論の過剰適用」によって人びとの支持を失うことになったと著者は考えます。「フェミニズム言語論」と題された本書の第1部では、ショシャナ・フェルマンというフェミニズム文学批評の研究者の仕事などを参照しながら、フェミニズムの観点からテクストを裁く態度は、テクストという場において他者との出会いを待ち受ける姿勢からは程遠いものだということを論じています。
「フェミニズム映画論」と題された第2部は、著者の十八番ともいうべき『エイリアン』分析が展開されています。『エイリアン』の中に込められた性的メタファーを読み解きつつ、ジェンダーにまつわる人びとの無意識の反映を「発見」していく著者の批評的実践は、「検閲」に終始する態度とは異なる、フェミニズム批評の豊穣性を受け継いでいくためのヒントを提供してくれているように思います。 -
何だかいやらしいタイトルなので登録するのも気が引けますが、真面目なフェミニズム批評です。内田樹の著作の中でも読むのが難解な部類に入ると思いますが、それは内容も然ることながら、僕(あるいは僕の世代)が、フェミニズムという思想に対する実感があまりにもないせいだと思います(まあそれでも内容は大筋は理解できたかなと思う)。
”矛盾するメッセージを矛盾したまま、同時に伝え、読みの水準を換えるたびに、そのつど別の読み筋が見いだせるような物語は「質の高い物語」である。”(P182)という箇所が特に重要だと思いました。
全能感(のような錯覚)をもたらすような(抑止のない暴走する)思想は廃りも早いと、フェミニズムに対して手厳しい評価を与える一方で、その一定の意義にも言及するあたりは、著者の深い優しさを感じました。 -
フェミニズムの議論は幅広い。本書では、フェミニズムの一部の議論を取り上げて、痛切な批判を展開している。とはいえ、読後感は悪くない。筆者が述べているように、フェミニズムへのシンパシーが通底にはあるから、なのだろう。当たり前の批判を、当たり前に言うことそのものが難しい場合がある。本書は、その意味で、当たり前の批判を正攻法で述べただけ、でもある。が、そんな態度は(決断主義的なキライはあるけれど)悪くない、と思った。
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俗っぽいタイトルとは裏腹に内容は学術的な雰囲気が漂っている。女として語ること、女として読むこと、特に日本語という言語の中ではこの二つ困難であることはフェミニズムだけでなく、日本人が日本人として生活してきた固有の眼差しが男性観と女性観に影響を及ぼしているのでないか、と思った。後半のフェミニズム映画論で紹介されているエイリアンの解説も面白く、自分の性を考えるのにもよい契機になった一冊。
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挑発的でキャッチーなタイトルに騙されてはいけない。
これは超高度なフェミニズム論、哲学論である。
哲学に馴染みがない人(=俺)には敷居が高いが、
これほど哲学を噛み砕いて書ける学者はいないと思う。
こういう人は哲学界では本当に貴重。
あとがきから読み始めれば
作者のイイタイコトがつかみやすいかも。
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「『女だから』という理由で、その社会的能力を軽んじてはならない」という主張に私は同意する。けれども、それを「社会的能力は性差に優先する」と読み替えることには同意しない。
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この作者の価値観が
本書の根底に流れる思想であり、
自分のもっとも共感した部分であります。
フェミニズム以外にも、ヘーゲル、レヴィストロース、
フロイト、バルト、マルクスetc..
哲学のエッセンスをギュっと凝縮。
第二章の『エイリアン・フェミニズム』、
「エイリアンはフェミニズム映画だ!」という論考は
真面目に読んでも穿って読んでも楽しいです。
俺は爆笑しました。
哲学の楽しさを教えてくれる本。
哲学への取っ掛かりに、いかがですかい。 -
14歳の子供を持つ親へのテンションで読んだら、難しくて、やっぱり学者さんなんだなと感じた。
フェミニストに対して批判的な立場をとっている、内田さんのジェンダー論、フェミニズム論。
とても面白かった。
上野千鶴子などの強硬なフェミニストに対して、自分も女ながらになんとなくもやっとしたものを感じていたもやもや感を言い表してくれたような本。
とまで言うとほめすぎかもしれない。
だってこの本難しくて、内田さんの言いたいことの6割くらいしかわからなかったから…。
しかし、彼のフェミニストに対する視線はなんだか温かい気がした。
女性が女性というだけで虐げられ抑圧されている現実を、女子大の教授である内田さんは感じており、不憫に思っているのだろう。
私がこの著作から学んだことは以下の視点である。
「女性が自分らしく生きる権利を主張することはおかしくないし、どんどんやるべきである。
しかし、自分が被害者という強い立場に立つことで、まるで水戸黄門の印籠をもって乱用しているような女性はそれゆえに女性の権利を狭めている。」
そして、ここまでは言及していなかったが
「女性ということにとらわれすぎずに、やりたいことやれば?」
と言われたような感覚がした。
だから、なんとなく温かいフェミニズム批判だなぁと感じた。