今日、9月21日は宮沢賢治の命日である。
賢治の出身地岩手県の花巻では、毎年この日に「賢治祭」というイベントが行われる。
昼間はセミナーや催し物があり、夜になるとかがり火を囲んで座談会をする。
私は宮沢賢治学会の会員なのだけれど、まだ一回も行ったことがない。
遠いですからねぇ…。
花巻の先日の大雨の被害は大丈夫だったのでしょうか。
『賢治売り』 武田鉄矢 (学習研究社)
あの武田鉄矢さんが小説を書くなんて知らなくて、どうせたいしたことないだろう、と思って読み始めたらこれがとんでもなくて、どんどんどんどん引きずられて、時間も忘れて読みふけってしまった。
面白くて、それでいて何かどすんと心の中に残るような話だった。
主人公の武田金一郎は普通のサラリーマンである。
宮沢賢治のことを何も知らない、興味もない、そんな男のところへ、ある日おかしな葉書が舞い込む。
「武田金一郎さま
あなたはこのたび賢治売りに選ばれました。
明日の朝『どんぐりと山猫』を読み売りに
出かけてください。
お礼はします。
宮沢賢治 拝」
童話「どんぐりと山猫」で、一郎が山猫から受け取った葉書をなぞらえているのだ。
何だかすごくワクワクする。
が、この葉書を受け取った当人はそんなことに全く興味もなく、実際に「どんぐりと山猫」を読んでみても、ガランドウで何もない童話、という感想しか持てない。
そして、これは童話なんかじゃなくもっと薄気味悪いもんだ、と思う。
宮沢賢治の童話は、童話だからと安心してうっかり踏み込むと暗い穴に落ちてしまうことがある。
綺麗なままで終わらない。
たとえ登場人物が動物や子供であっても容赦がない。
昔、賢治の「フランドン農学校の豚」を初めて読んだときは衝撃を受けた。
主人公であるはずの「豚」が、最後にいともあっさりと殺されてしまうのである。
しかもあとに何のフォローもなく、まるで当然であるかのようにすっきりと終わっているのだ。
他にも、「なめとこ山の熊」や」「虔十公園林」など、主人公があっさりと死んでしまう話がある。
「土神ときつね」という童話のきつねなんて、「首をぐんにゃりとして、うすら笑ったようになって死んで」いるのである。
怖い…この薄ら笑いは何…!?
こんな童話をさらりと書いてしまう、宮沢賢治の頭の中はいったいどうなっているのだろう。
さて金一郎は、自分でも何だかよくわからないままに「賢治売り」をひとつひとつ成功させていくことになるのだが、その過程で賢治童話に隠された謎が次々と解き明かされていく。
作者の武田鉄矢さんは、「どんぐりと山猫」の主人公「一郎」は、山猫たちの世界に人間世界の価値を持ち込んだ危険人物として追放されたとし、「烏の北斗七星」では、烏たちの戦争を、勝利ではなく殺害だと言い切る。
妹への美しい絶唱として知られる「永訣の朝」は、賢治に対する妹トシの復讐の詩であるというのだ。
なんて自由奔放な読み解きなんだろう。
武田さんは、既成の賢治論に惑わされない優れた読み手だなぁと思う。
すごく面白かった。
もうこうなったら、「宮沢賢治 拝」と書かれた葉書が明日にでもポストに入ってそうな気がしてくる。
「あなたはこのたび賢治売りに選ばれました」って。
宮沢賢治とは、なぜかどうも過去の人のような気がしない、どこかにいるような気がする、そんな摩訶不思議な存在感のある稀有な作家なのだ。