- Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061385566
作品紹介・あらすじ
豊潤な「マンガの時代」は神の不在の上で花開いた
1989年、手塚治虫が死去した。その後に訪れた90年代、いつしか「マンガはつまらなくなった」という言説が一人歩きを始めた。手塚の死とともに、マンガの歴史は終わってしまったのか? いや、そのようなことは決してない。マンガ評論における歴史的空白のなかにあっても、新しいマンガたちが描かれ、読まれ、愛されているのだ。では、神の死後に生まれたマンガたちが見向きもされない現実は、マンガにとって不幸ではないのか? そして、なぜそのようなことが起きてしまったのか? 歴史的空白を「キャラとリアリティ」の観点からとらえ直すことで、マンガ表現論の新たな地平を切り開いた名著、ついに新書化。マンガ・イズ・ノット・デッド。
感想・レビュー・書評
-
15年ぶりの再読。
マンガ表現を「キャラとキャラクター」「コマ割り」「フレーム」の概念で紐解く。
ここ10年、熱心なマンガ読者ではないので、現在のマンガの表現手法がどのように変遷してきてるのかは分からない。でも「コマ割り」「フレーム」については、より新しい工夫がなされているのでしょうね。何せスマホで読む読者’が増えているわけだから。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
15年前の本ですがためになった。昔と比べてサブカルチャー批評に対する風当たりが和らぎ、作品自体を分析する人が増えた一方で、「自分語り」の延長と「作家論」も未だ根強い。どっちでも良いけど。
むしろ批評的視点はクリエイター側が意識的または感覚的に持っている…し、持っているべきだろうなと思う。そこを編集者ら識者がうまくコントロールできると良い。
『新宝島』の本当にすごいところは散文的なコマ運びと描線。映画的手法は戦前に他の漫画家が既に試みており、手塚の技法はその上に成立したものだという。すると戦前戦中戦後の分断の中に語るべき作品が色々あるはずなので、とても気になる。
『地底国の怪人』ではデ◯ズニーキャラみたいな外見の耳男君に傷付く心と死にゆく身体が与えられることで尊さが爆発した。きっと作者も耳男君が好きだったんだろうな。
いがらしみきおの漫画もいくつか参照したが、作品を変えるごとに色々革新的なことをやっていたと知った。『ぼのぼの』は日常系のハシリらしい。
ガンスリンガーガールの評論を読んでいると「萌え」って結構参加型の能動的な欲望だったんだなと思う。性癖をぶつけたもの勝ちというか。最近はもう少し静かに感動を反芻する感じ。
悲劇と死を用いた物語が手っ取り早く感情移入できるのはいつも変わらない。 -
とりあえず、途中までまとめ。
今までマンガが一つの確立された表現方法として研究されたことはなかったそうなので、この本は革新的な本だったのだろう。
タイトルがテヅカ・イズ・デッドである点からもわかるように、いかに手塚治虫が日本の戦後マンガに影響を与えたかということが明らかになった。
彼は登場人物に、普通ならば共存し得ないキャラクター性とキャラ性、どちらも持たせた。キャラクターとは「人格」を持った「身体」の表象である。つまり人間らしいということだ。よって、キャラクターを立てるという言葉は読者である私たちと同様に「身体(永遠ではない、傷つく心と死にゆく体を持っている)を持った人間」が、「物語空間の背後にも」「永続して存在する」ことを想像させることを意味する。そして、現実の出来事のようなもっともらしさを読者に与える。一方で、キャラとはキャラクターに先立って何か「存在感」「生命感」のようなものを感じさせるものとかんがえられる。こちらは作品世界そのものがあたかもあるかのような錯覚に陥らせる現前性をもつ。キャラクターが立つ、とは違い、キャラが立つとはテクストに編入されることなく、単独に環境の中にあっても、強烈に「存在感」をもつことを指す。ちなみに、キャラの強度が萌えを支えている。つまり、可愛らしいなあという強い愛着によってキャラが強くなるのだ。 -
やっぱり社会学的切り口と、評論というのは、苦手です。
音楽で例えるならば、『ビートルズ』は偉大で、いまある音楽の基本を作ってきたし、いまの革新的な音楽だって、元をたどればビートルズにかえってくる、という円環のなかで論じられることが多いことと、
手塚治虫は偉大であるということの円環は相似形をなす。
で、手塚治虫は本当に偉大なの?
映画的手法をふんだんに取り入れたとか言われてるけど、じつはそれって戦前からあるし、革新的といわれても、その根拠はなんなのかが示されていないよね、という疑問から、
そもそも漫画が面白くなくなったとかざっくりいわれているけれど、なにをもってそんなことが言われ始めたのか?
をたどっていくような、内容。
モダンというものは、作り上げたひとが自らのその規範を壊してしまいたくなる。自分は革新的なものをつくりたくてやってるのに、定番化されるとつらい。その内面外面両側からの戦いをいろんな角度から眺めてみた、漫画におけるポストモダン模索論だとおもいます。
難しかったです。
あと、新書なのに文章がギチギチで、端っこの文章が読みにくい。
ぼのぼの というなんにも起きない漫画をしつこく取り上げて論じているのとか、途中で飽きてしまいそうになりましたが、総じて面白くてアツイ漫画論が読めました。夏目氏の書籍もきになる。
あと、動物化するポストモダンは必読かと。難しすぎてもうお腹いっぱいですけどね。 -
マンガはつまらなくなったのか。マンガを構成する諸要素を分解し、マンガ史を紐解いく。
果たしてテヅカは新しかったのか、そうしてテヅカが死んだあと、果たしてマンガはつまらなくなったのか。
単行本収録時と比して変わった部分はそこまでないとのこと。判型とページの関係か、字組が詰詰であるのがやや気になる。 -
「このマンガは面白い」、「最近のマンガはつまらなくなった」などの評論への疑問がこの本の念頭にあると感じました。確かに、「面白い」や「つまらない」といった言葉を頻繁に使うのですが、何が面白いかを表明することや、何がつまらなかったのかを言及されることがあったりなかったりで、曖昧なまま作品への感想を述べることがあります。その感想に至った過程にあるのはストーリーなのか、キャラクターなのか、リアリティなのか、そして、人はそれらのどんな部分に面白さやつまらなさを感じるのか。ふとした疑問をひたすら深堀りしています。
-
マンガを語ることの困難についての評論。マンガを語りえない原因をキャラの隠蔽とリアリティの問題に探り当て、さらにはマンガ史に向かっていく過程はスリリング。
-
買ったからといって、すぐに読了できる内容&分量の本ではないので、感想はまた後日ー。一先ず買えてよかった。