ミシェル・フ-コ- (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061489899

作品紹介・あらすじ

言葉を、狂気を、監獄を語る遠見の思想家フーコーの視線はどこに向けられたのか-資料集成の奥、思考不能の空間へ。多様な言説の分析を通し、遠望される非在の場。主体のない饒舌と沈黙が交差する深部をフォーカシングして見せる「陽気なポジティヴィズム」に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • 『言葉と物』『知の考古学』あたりのテーマを中心とした内容という印象。ただし、著者独特の切り口・解釈・文体等々が難解で、全体的な構成もわかりにくい。
    よって、ある程度フーコーを知っていて、上記のテーマに興味関心がある人には興味深い内容なのかもしれないが、初学者が手に取るには不向きに思われる。

  • 密度の濃い良書で、変貌するエビステーメーとか、言説分析とか、権力と主体とか、実用にかないそうな気がしてきた。

  • 主体が絶対的にあるってのじゃなくて、ものとものの差異によって主体と思われているものが認識されていく、みたいな感じかなあ。

  • [ 内容 ]
    言葉を、狂気を、監獄を語る遠見の思想家フーコーの視線はどこに向けられたのか?
    資料集成の奥、思考不能の空間へ。
    多様な言説の分析を通し、遠望される非在の場。
    主体のない饒舌と沈黙が交差する深部をフォーカシングして見せる「陽気なポジティヴィズム」に迫る。

    [ 目次 ]
    序章 知識人の肖像
    第1章 フーコーの望遠鏡
    第2章 変貌するエピステーメー(16世紀、ルネサンス;侍女たちのいる空間;「人間」の登場へ)
    第3章 外の思考(私は構造主義者ではない;外の思考;これはパイプではない)
    第4章 権力と主体の問題(言説の分析;主体化の装置;主体の問題)

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • フーコーの「知の考古学」は、ニーチェのパースペクティヴィズムの問題意識を実証的に展開したものだ。ただし、彼は単に歴史的な知の形態の解釈図式を提示したのではない。

    ボルヘスが引用する「中国のある百科事典」についてのフーコーの分析は、思考と物の秩序との対応が、単に恣意的であるだけでなく、分類そのものへの反省が内部から生じてくるような不安定さを抱え込んでおり、それによって秩序の歴史的な変遷が生じることを示している。主体に対して構造の先行性を主張する構造主義の立場との違いは、この点にある。

    構造主義は、言語のような差異の体系が私たちの思考を規制していることを論じた。だが、そこでは、言語は意味されるものを表示するだけの透明な「形式」とみなされている。これに対してフーコーは、言語を支えているのは厚みをもった実定的な「存在」だと考える。彼によれば、戦略的な力の関係に媒介されることで、一定の言表群は「言説」という「存在」の形に編成されることになる。

    また、フーコーは『性の歴史』の中で、ギリシア・ローマの人々が、みずからの性に関して独自のスタイルを作り上げ実践していたことを取り上げ、そこに自己を美学的=倫理的な様式を満たす存在へと鍛え上げてゆくような「自己に関する技術」を見いだそうとする。ここに、ニーチェの「超人」思想が受け継がれていることを見てよいだろう。ただし「超人」は、神秘的な実体ではなく、「人間」を克服して、生と存在そのものを肯定するようなあり方を表す言葉として理解されなければならない。

    本書は、こうした「ポスト構造主義」的な側面に絞って、フーコーの思想をコンパクトに解説している。わかりやすく説明しようとする著者の努力は認められるが、やや説明が駆け足になってしまっているように思う。とはいえ、新書とは思えないほど立ち入った考察が展開されていることに驚いた。

  • フーコーに関する本は本書が初めてだったのですが、文体がやけに甘いというか、比喩で水増ししているようで、却って理解しづらかったです。
    ただ、この文体がフーコーの世界観の象徴、という可能性もあるかもしれないので、他のフーコー本を読んでから、改めて読み直したいと思います。

    ルネサンス期(「類似」による言葉と世界の一致。藁人形や予言的な関係?) → 古典主義時代(ドン・キホーテ、侍女たち。表象の世界に主体の鏡像を取り込むことで「自律性」を確立。「表」。「構造」と「特徴」) → 近代(「人間」≒他者性?による「現象」の世界。)

    ”人間の実存と言語の存在との本質的な両立不能性”(p.196)

  • パノプティコンに興味を持ったので読んでみた。
    やや専門的?

  • フーコーは思考不能の空間に何を考えたか

    狂気はヨーロッパの歴史の産物であって医学的な観念ではないんですよね
    ヨーロッパにおいては理性の立場が確立されたときにそこからはみ出たもの つまり狂気と理性の分離から18~19世紀においては排除された「狂人」の社会的適合へと移行したんですねw

    フーコー神!!

  • 我が家の書斎に眠っていた著書

    これを機にフーコーに興味を持つ


    今後はフーコーコレクションシリーズを読了したい

  • 難しい。
    おそらく、多少ともフーコーを知っている人にとっては、内容的にはそれほど難しくないのかもしれません。ただ、著者の書き方がポエティックなせいもあるのか、異常に難しく理解しがたい内容になってしまっているような気がします。

    入門書には向きません。この本をわかるとしたら、上級者ではないでしょうか。
    フーコーと構造主義の関係とか、パノプティコンとか、大事なところはまだ分かりやすく書かれているような気がしますので、挑戦するつもりで、興味ある方は読んでみてはいかがでしょうか。

    どの本を読んでも共通する感想としては、フーコーを理解するには、やはりニーチェの理解が前提にないとだめなのかな、という気がします。

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著者プロフィール

1949年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授専攻は現代社会論・社会理論著書に『消費社会と権力』(岩波書店)、『ミシェル・フーコー』(講談社現代新書)、『柳田国男と事件の記録』(講談社)、『生きられる社会』(新書館)など

「2000年 『故郷の喪失と再生』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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