- Amazon.co.jp ・本 (204ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061492868
作品紹介・あらすじ
時は流れているだろうか。私が見ている木は本当にそこにあるか。他者、意味、行為、自由など根本問題を問いなおす対話篇。
感想・レビュー・書評
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そもそも〜?という当たり前と思うことを見つめ直す哲学的な内容だけど、対話形式で読みやすい
なにかの結論があってスッキリするような本じゃないけど、読んでいる間は日頃の悩みやもやもやから逃げられる、ような気がした詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
なんだかえらくざっくりしたタイトルだなあと思いつつも野矢さんだしと読んでみる。
本当にざっくりした、哲学の(というか、暇な時にこういうこと考える癖がある人間の)初歩的疑問を対話形式で掘り下げている。
最初はなんだか永井均のようなことを言っているなーと思ってて(あとがきにそう書いてた)、大体は永井さんの著作でカバーできてる感じはあるけれども、面白かったのは「経験と知」の章の斉一性は一般性を帯びているから斉一性により一般性を語ることはできない。一般性は後天的に獲得された思考習慣のようなものだという論。あと自由というのは虚構の語り口のひとつなのではないかという説。最近読んだ(まだ途中)神学の本にこれに通じるような文章があって、私はそれがすごく恐ろしく、だから「虚構の語り口」という説はそこに落ち込まないための良い説だと思う。 -
あれは国語の教科書の折り返しのところだつたか。本書の冒頭部分が掲載されてゐたやうな気がする。
あの時、ものすごく驚き、搖さ振られたことを覚えてゐる。ひとがゐなくなつた後でも、やつぱり夕陽は赤いのか。よく死んだらどうなるのだらうとか、自分と記憶も何もかも一緒のひとがいたとしたらとか、途方もなく考へてゐた気がする。さうした中にあつて、あらゆるひとが全滅した中でも夕陽は赤いのかどうかといふことが、さうした考へと響くところがあつたのだらう。
その時は、ただ漫然と、この自分と呼ばれる何かが存在しない世界といふものが考へられず、すごく変な気持ちになつた。「わからない」そのことがわからなかつた。知りたくても知りえない。けれど何かがそこにあるやうな、そんな変な気持ち。
その時から少しは成長した。とはいふもの、幼い時に考へてゐた問ひの魅力は変らない。少し変はつたことと言へば、多少あの時の感覚を見つめなおすことができるやうになつたといふことか。
もしもひとがすべてゐなくなつたら。この想定自体、ひとの存在を前提がなければ不可能なのだ。そして、見つめた夕陽を「赤」と「言へる」ことも、「赤」の存在がなければならなかつた。
しかし、このことは、世界が5分前につくられたとする、あるひは、空飛ぶスパゲッティモンスターがつくりあげたとするといふこともあり得る。想像できれば何でも存在する、さういふことになる。要はどうとでも言へることになつてしまふ。そのことを覆へすだけの論理はそれこそ存在しない。真に存在しないことは、沈黙となつてしまふはずだ。
けれど、世界が5分前につくられたにしろ、誰がつくらうと、それを見つめる、語る何かが存在しなければできないのだ。鈴木大拙先生の言ふ、「光在れ」と言つたのを見つめたのは誰か。このことに尽きる。
在ると言へばあるし、無いと言へば無い。どちらも同じことばだつた。けれどことばが、何かが存在するといふことは、「本当に存在しない」何かに裏付けられなければならない。有るものが無く、無いが有る。どうやらさうした逆説が成り立つやうなところでひとは生きてゐるやうである。
語ることばは確かに虚構かもしれない。しかし、虚構が虚構であるといふことは紛れもない「真実」であるし、その真実が成り立つためには、真実は虚構であるといふことが起きてしまふ。そんな風にできてしまつてゐる。なんにせよ、何かが在り、何もないそのことは存在するが知ることができないやうにできてゐるやうである。 -
哲学をするということは自問自答を繰り返すこと。それを著者が実際にやってみせてくれる本。
素朴な疑問から始まって、議論が右往左往したり、そのあげく振り出しに戻ったり。答えを導き出すのではなく、まさにこの考える過程こそが哲学をするということ!
この本を読んでも、謎は解けるどころか深まるばかり。常に頭を使いながら読みすすめ、読み終わった後も考えずにはいられないという、まさに哲学に入門するための一冊でした。 -
小さい頃考えたことのある謎や、言われてみれば確かに変かもという謎など、誰でも身近に感じられるようなトピックが多く、楽しく読めた。結局謎は解決せず、答えは見つからないのだけど、議論が議論を呼ぶ過程が非常に面白かった。ところどころ難しい論理展開があったので、自分でじっくり考えながらまた読みたい。
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これが、野矢氏の真骨頂だと思っています。
「日常を哲学する」というスタンス。
そしてそれこそが、哲学ってもんだと思うからです。
本作は、野矢氏の書いた哲学の入門書です。
と言っても、ガチガチの哲学書ではありません。
対話形式で、一つずつじわじわ考えていく、という形式。
ここで描かれるテーマが、本当に面白いのです。
対話形式で掘り下げされていく、ちょっとした「謎」。
たぶん、誰もが一度が考えたことがある「謎」。
子どもの頃に思い悩み、年齢を重ねるにつれ、忘れ去られる「謎」。
・世界の大部分の人が色盲であるとき、「赤」は何色になるか?
・ロビンソン・クルーソーは、「狂気」にかかるか?
・世界は五分前に始まった
・「いままでそうだった」ことは「これからもそうである」ことなのか?
・「自由」という行為とは?
そういった「謎」を、改めて考えてみる。
そうすると、自分がいかに矮小かが見えてくる。
自分がいかに無知なのかが分かってくる。
それが、つまりはスタートライン。
哲学というものは、小難しいことと捉えがちです。
屁理屈、無意味な言葉遊び、そう捉えられることすらあります。
しかし、そうではない、と野矢氏は教えてくれます。
哲学とは、「考える」ということ、そのものなのです。
何を考えても良い、何を導き出しても良い。それが、哲学です。
一番難しいことは何か、ご存じですか?
それは、「問い」を見つけることです。
問いさえ見つけることが出来たのなら、あとはそれを解くだけです。
問いは、始めはあちこちに散在しています。
問いに答えて終わり、ではなく、その答えから問いを見つける。
その繰り返しなのです。
時には、問いに答えることで、前の答えが無効になることもある。
すべてを一本の筋道として綺麗に並べることが出来るか否か、なのですね。
人間、と言う物理的な存在である以上、本当の「自由」は存在しません。
しかし、思考という場所では、すべてが自由なのです。
そして本物の「思考」は、間違いなく愉悦。
その入り口に、すっと導いてくれる名著だと思います。 -
読みづらい。
対話式を取っているが、どっちの話者も口調が同じで、しかも明瞭な役割分担がなく、語り手にも聞き手にもなる。
おまけに話者ABと文中で明記せず、上部線の有無だけで判断せねばならないから、読み手はしばしば混乱して話の流れを見失う。
試みは面白いし、発言も深いが、もうちょっとだけ上手く編集してくれれば良かったのに。 -
この本は哲学の本ですが、「生物が絶滅しても夕焼けは赤いか」「死と他者」など、様々なテーマについて考察するといった内容です。哲学史の本ではありません。
一言で答えも出ないし、客観的に確かめようもない問題はたくさんあります。例えば、本文中に出てきた話で「木から舞い落ちる(ように見える)枯れ葉に意志はあるか」という問題もそうです。ないだろうと思っても確かめる方法はありません。そういう問題を考えるとき、哲学が考えるヒントを出してくれるように思います。
枯れ葉に意志があるかどうかは生活上考えなくてもよい問題です。しかしこれが、異文化コミュニケーションだったり、新しい医療技術に対するモラルだったりすると、考えなければいけない場面にも出くわすかと思います。
答えのない問題を考える訓練も必要かと思います。たくさん本を読んだり様々な経験をしている方は十分素地がおありと思いますが、私は人生経験も豊富ではないので考える訓練が必要と感じています。私にとってはこういう本は、考えるきっかけを作ってくれて大変ありがたいです。 -
書いてある内容はよくある「哲学の考え方入門」って感じなんだけど、フォーマットが対談形式になっていて、ウィットのある会話が面白い。長く読み継がれる新書だと思う。
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こいつはいいですぜ、旦那。
哲学超入門編!
わかろうが、わかるまいが、哲学というものが何を問題にしているか、そのばからしさがわかるというものですよ…
旦那。