塩の道 (講談社学術文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061586772

感想・レビュー・書評

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  • 日本の文化や歴史を、庶民の生活の視点から調べてまとめてある本は、とても貴重で、興味深かった。

    ・確かに塩はどこでも採れるわけではないけど、人体に必要不可欠であり、ないと生きていけない。当時の流通網を調べるには、とてもいい糸口だと思った。

    ・日本の人口は中国などと比べて、過去二千年の間に大きな増減をすることなく、緩やかに増え続けてきた。戦争をする者/食糧を生産する者が分けられていたからだ。

    ・日本の食糧自給が安定していた理由として、民衆が戦争から離れたところに存在していたことがあるが、民衆の生活の工夫が続けられてきたことも大きい。
    米だけではなく、その土地の特徴に合わせて新しい作物を民間レベルで積極的に受け入れてきたこと。
    トチやドングリなどの実のなる木を代々管理し続けて飢饉を乗り切ったこと。
    山間部で発達した発酵食品などの保存食の知恵などなど…長い間、民間で繰り返されてきた努力と工夫で、日本の文化はできている。

    現在は平和な世の中で飢えとは縁遠い生活をしており、生きるためというより、楽しむための食になっている。
    ただ、また戦争などでいつ自給自足の生活に戻らないといけない日がくるか分からない。そんなときのために、自分で生きていくための食糧を得るための伝統的な文化はある程度伝承していかなければいけないんだなと思った。

  • 人間にとって不可欠な「塩」を手に入れるため、昔の日本人がどのような手段を取っていたかが紹介されています。中でも、山の中に住む人々が塩を手に入れるため、木を伐って川に流し、河口まで行ってその材木を拾って焼いて塩を取っていたというのは衝撃でした。そこまでの苦労をしないと塩を手に入れられなかったというのがすごいなと。
    これ以外にも、日本での製塩方法がいくつか紹介されていて、その辺の雑学も楽しいです。

    著者によると、塩の道はかつては牛が踏み固めた道であり、道草が牛によって食われた道であるとされています。つまり、その先に必ず何かがあると確定している道であり、旅人はそれを頼りに道を進んでいったことになります。その意味でも、塩が通る道は非常に重要だったことが分かります。

    この本では、塩以外にもサツマイモの安定供給によって江戸時代の人口が急増し、様々な職業が増えていったことや、畳が発明されたことで座ったまま生活をするようになり、食事が膳になってそこから幕の内弁当が作られるようになったことなどが紹介されています。塩の道以外のテーマについてはあまり詳しくないですが、面白い情報がいくつも入っている本です。

  • 明治時代の日本人の暮らしとは隔世の感がある。

    本書は昭和50年代に書かれている。
    日本全国を訪ね歩き調査するときに話を聞いた地元の長老はまだ明治生まれが健在であった。

    現在では戦前の話を聞くことすら難しいだろう。
    そういった意味で、すでにかつての日本の姿を新たに見つけ出すのは不可能だ。
    昔の日本の暮らしが知りたければ書物に聞くしかない。


    本書では「塩の道」「日本人と食べもの」「蔵氏の形と美」の三点が収録されている。

    海からしか採ることが出来ない塩を山村の住民はどのようにして確保していたのか。

    木を切り川に流し、それを海辺で回収し自ら塩を浜辺で炊いていた。
    それが瀬戸内海産の塩が海運で全国に運ばれるようになってからは、中から外の流れが外から中への流れに変わる。
    陸船を呼ばれた牛の隊列が日本全国に塩を運んでいた。


    失われた日本の姿は書物の中にしか残っていないのだ。

  • ・牛の大きな産地は西日本にあった。牛が東で飼われるようになったのは戦後。
    ・鎌倉時代、国々に地頭が置かれ、鎌倉の御家人が警察権と租税の徴収を行ったが、そこで自分の勢力をもった武士が戦争を起こした。奈良などの寺社勢力が強い場所には武士がいなかったため、戦争も起きていない。
    ・トウモロコシは根が深く下りるために、やせた土地でも育つ。
    ・18世紀初頭、瀬戸内海にサツマイモがもたらされ、その後の享保大飢饉ではほとんど人が死ななかった。サツマイモがつくられた西日本では、江戸時代の人口は増えた。
    ・古代中国の越が最後に建てた都は山東半島のつけねの琅邪山。

  • 専売制であった塩について、知りたいなと思い購入。専売制時代のお話はほとんどありませんでしたが、興味深い内容がたくさんあった。

    3部構成で、「塩の道」「日本人と食べ物」「暮らしの形と美」からなる。

    日本は、内陸に塩井なるものや岩塩などを存在しなかったため、海岸で塩を造作りそれを内陸まで輸送していた。その輸送する方法や輸送に生業とする者の話、そして輸送には馬よりも牛が使われ、牛の伝播についても書かれていた。

    第2部の「日本人と食べ物」辺ではトリビア的な知識が多く得られた。

    世界でも類がないこととして、日本は過去二千年はどの間に人口がずっと漸増してきている。異民族が大挙して侵攻してきたことがないのが大きな原因。

    また、大規模餓死がないことも原因の一つ。戦国時代に100年も戦争が続いて、みんなが餓死しなかったのは、戦争している人と、食べ物を作っている人たちが別であったことが餓死を防いだ。

    これも世界敵に珍しいことだが、ゲリラ戦が行われたことがない。戦争する者と食べ物を作る者が分かれているためゲリラ戦も行われない。ゲリラ戦とは民衆も参加して行われることがおこってくるものらしい。

    保存食なるものも紹介されていたが、記述量が少なく消化不良な感じ。発酵に関して興味がわいてきたので、別で読む必要あり。

    民俗学者が書いた本。科学者が書く本とやっぱり違いますね。これはこれでおもしろかった。

  • うらカバー
     宮本常一、最晩年の講演
      「塩の道」 「日本人と食べ物」 「暮らしの形と美」。
     日本人の生きる姿を庶民の中に求めて村から村へと歩きつづけた著者の膨大な見聞と体験が中心になっている。
     日本文化の基層にあるものは一色でなく、 いくつかの系譜を異にするものの複合と重なりであるという独自の史観が随所に読みとれ、 宮本民俗学の体系を知る格好の手引き書といえよう。

  • 塩はメインの街道ではなく運搬されたという話が面白かった。

  • 『塩の道』は、
    Ⅰ 塩の道
    Ⅱ 日本人と食べもの
    Ⅲ 暮らしの形と美、
    初出は昭和54〜56年で、最晩年に行った講演だそう。
    とても読みやすい。

    そんなに昔でないはずなのに、
    知らないことがたくさん書いてあった。

  • 宮本常一の晩年の書である。「塩の道」、「日本人と食べ物」、「暮らしの形と美」からなる。「塩の道」は製塩・釜を作った製鉄・燃料を提供した木材・牛馬での移送などの産業ネットワークを論じている。「食べ物」では、ソバ・トウモロコシ・米・サツマイモ・魚食などを論じている。「形と美」では、家のデザインが舟から来ているらしいこと、ワラを使った軟質文化などを論じている。馬での塩の移送は宿が必要だが、牛は道草を食って、野宿で旅ができること、山の民が木を切って川に流し、それを追いかけて海までいき、そこで木を燃やして塩を作ったこと、近江の鉄のネットワークなどを論じている。「食べ物」では、「オカズ」が祭りの日に出される数ある料理のこと、「献立」は酒宴の一献ごとにだされる料理のことだと言っている。「形と美」は日本の貴族は騎馬民族で船にのる民族と協力して渡ってきたらしいことが語られている。十二単衣などは寒いかららしい。日本人が器用だとされるのはワラを使った細工をせねばならなかったからだという。ワラジは三日に一足履きつぶされ、年間で100足必要だった。冬には作られねばならない。

著者プロフィール

1907年(明治40)~1981年(昭和56)。山口県周防大島に生まれる。柳田國男の「旅と伝説」を手にしたことがきっかけとなり、柳田國男、澁澤敬三という生涯の師に出会い、民俗学者への道を歩み始める。1939年(昭和14)、澁澤の主宰するアチック・ミューゼアムの所員となり、五七歳で武蔵野美術大学に奉職するまで、在野の民俗学者として日本の津々浦々を歩き、離島や地方の農山漁村の生活を記録に残すと共に村々の生活向上に尽力した。1953年(昭和28)、全国離島振興協議会結成とともに無給事務局長に就任して以降、1981年1月に73歳で没するまで、全国の離島振興運動の指導者として運動の先頭に立ちつづけた。また、1966年(昭和41)に日本観光文化研究所を設立、後進の育成にも努めた。「忘れられた日本人」(岩波文庫)、「宮本常一著作集」(未來社)、「宮本常一離島論集」(みずのわ出版)他、多数の著作を遺した。宮本の遺品、著作・蔵書、写真類は遺族から山口県東和町(現周防大島町)に寄贈され、宮本常一記念館(周防大島文化交流センター)が所蔵している。

「2022年 『ふるさとを憶う 宮本常一ふるさと選書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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