- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061591042
感想・レビュー・書評
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宮本常一の自伝的エッセイ。祖父母の代までさかのぼって幼少期を振り返り、晩年猿まわしにかかわるところまでを年代順にたどりながら、主に自身の内面について書かれています。
体が決して丈夫なわけではなく、金銭的にもゆとりがあったわけでもなく、それでも、日本国中を歩き回って人々と出会い、人々の暮らしを掘り起し、厳しい暮らしがあれば豊かになることを願った。民俗学を通して、人が生きることに真摯に向き合い続けた宮本常一の生き方がわかる一冊。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自らを「大島の百姓」と称した民俗学者、宮本常一氏のエッセイ。
恩師渋沢敬三氏との関わりについての記載が多く、いかに渋沢氏を慕い、また同時に渋沢氏がいかに宮本氏を気にかけていたかが伝わってきます。
宮本氏が父から贈られた言葉のうち、「人の見残したものを見よ」は、私自身の訓辞にしたい言葉です。 -
『忘れられた日本人』などで知られる著者が、自身のフィールド・ワーク体験、柳田国男や渋沢敬三などの恩師への回想をつづった自伝的エッセーです。民俗学というと、柳田国男や折口信夫などのイメージが強いですが、ひたすら地道なフィールド・ワークと実際の体験から生み出される仮説に氏ならではの姿勢が感じ取られます。民俗学の魅力(あるいは苦労の必要さ)を感じさせる一冊です。
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ご存じ(というか,このレビューを読んでいる人はご存じのハズ)民俗学者として地道な活動をしてきた宮本の自伝的エッセイです。「なんで,こんなことまで覚えているの?」と思うくらい,小さいときの思いでも昨日体験したような表現で書かれています。
宮本が,渋沢敬三(渋沢栄一の孫)ととても深い関係を持っていたということは本書で初めて知りました。敬三が宮本に対して,再三,「しっかり研究するために体も時間も大切にしろ!」と言っているのがよくわかります。敬三を見ていると「そんなに人の人生に介入するなよ」と思ってしまうくらい,宮本の就職等に対してもあーだこーだと助言?をしています。
本書には,能登半島にある時国家に赴いたという話も出て来ます。能登も民俗学にとっては「宝の地方」だったんですね。 -
資料ID:C0016743
配架場所:本館2F文庫・新書書架1(千葉) -
未来社から出ている宮本常一の著作集は、今も刊行が続いている(未来社のサイトを見たら、最新刊は第50巻「渋沢敬三」、別集の私の日本地図は「瀬戸内海II 芸予の海」が今年になって出ている)。著作集をむかし図書館で借りてみたこともあるが、あまりに膨大なのでとても読めず、私がもってるのはほとんどが文庫本や新書、ライブラリー版など小さいサイズで出たもの。
こないだ久しぶりに本棚から出してきて、『日本の村・海をひらいた人々』、『ふるさとの生活』、そして『民俗学の旅』を読んだ。なんど読んでも、読みふける。前に読んだときには知らなかった土地の名を、再び読んで(ああ、こんなところにあそこの地名が)と思ったり、(あの人が住んでるところやなあ)と郵便の宛先で知っている地名を思ったりする。
道のないようなところまで、日本の各地をくまなく歩いたといわれる宮本常一。旅にでた先を歩き、風景と人の暮らしをよく見つめ、人の話を聞いてきたものを記録にとどめ、あるいは心にとめて、また別の地で出会ったものと照らしあわせたり、書きのこされたものと比べたりしながら、それぞれの土地で、そこを住みよいものにしようとしてきた先祖の人たちの暮らしや働きを考えている。
▼ひとり歩いていて、まったく人手のくわわっていない風景に出あうことがあります。海岸に波のうちあっている所とか、山の中の木のしげっている所とか、または川のほとりなどですが、そういう風景は何となく心をさびしくさせます。しかし、人手のくわわっている風景は、どんなにわずかにくわわっていても、心をあたたかくするものです。海岸の松原、街道のなみ木みちをはじめ、植林された山もまた、なつかしい美しさをもっています。そうした所に見出す一本のみちも、こころをあたためてくれるものです。(『日本の村・海をひらいた人々』、pp.11-12)
宮本が小学校教員をしていたときに、子どもたちによく話したというこの言葉も、なんど読んでも心にのこる。
▼「小さいときに美しい思い出をたくさんつくっておくことだ。それが生きる力になる。学校を出てどこかへ務めるようになると、もうこんなに歩いたりあそんだりできなくなる。いそがしく働いて一いき入れるとき、ふっと、青い空や夕日のあたった山が心にうかんでくると、それが元気を出させるもとになる」(『民俗学の旅』、pp.75-76)
戦後、大蔵大臣をしていた渋沢敬三から、幣原首相が大変なことを考えておられる、これから戦争を一切しないために軍備を放棄することを提唱しようとしておられると聞いた宮本は、渋沢とこんな問答をしている。
▼「軍備を持たないで国家は成り立つものでしょうか」とおたずねすると「成り立つか成り立たないかではなく、全く新しい試みであり行き方であり、軍備を持たないでどのように国家を成立させていくかをみんなで考え、工夫し、努力することで新しい道が拓けてくるのではないだろうか。一見児戯に等しい考え方のようだが、それを国民一人一人が課題として取り組んでみることだ。その中から新しい世界が生まれてくるのではなかろうか」と言われた。(『民俗学の旅』、pp.146-147)
「原子力による発電をなくしていくこと」は、電気がタリナイ、原発はアンゼンという人たちからは、「児戯に等しい」と思われているのだろう、と思う。「成り立つものでしょうか」と思う人もたくさんいると思う。「原発をもたない」ことは、全く新しい試みではなく、原発をもたないでいた経験がある。経験があるから、そういう行き方は容易かというとそんなことはないと思うが、パチンコ屋の表の看板が暗いぐらいでちょうどいいのではないかと、やや薄暗くなっている駅前を見て思う。 -
心に響く言葉に満ち溢れている作品です。これもそのひとつ。「進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけでなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向かわしめつつあるのではないかと思うことがある。」 日々の生活に少し疲れたなと想ったときに宮本氏の人を自然を愛する言葉に触れてみればそれで良い。
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虫の目を持つひとたちの生活を見つめた記録です。
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民俗学シリーズ第3弾。著者の履歴を辿りながら、様々に思考は巡る。いつかもう一度読んでみたい一冊。次は「忘れられた日本人」(岩波文庫)がいいかな。