私という現象 (講談社学術文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (274ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061592506

作品紹介・あらすじ

文学も実人生も虚構であることに変わりはない。事実そのものがすでに操作されたものなのだ。私をひとつの現象と見なす考え方は、文学作品の質を、それが事実に基づくかいなかによって判断しようとする立場を無効にする…。「自我の崩壊」ということ自体が主題となった現代文学の困難を的確に解説、「現象としての自己」の様々なありようを、物語の終焉を体現する作家達を通して考察した第一評論集。

感想・レビュー・書評

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  • 雑誌『ユリイカ』と『現代思想』の編集者を務め、1970年代の文学シーンの仕掛け人の役割を果たした著者が、70年代の文学が何を主題としていたのかを論じた本。

    著者は本書を、批評する〈私〉とは何かを問うことから始めている。吉本隆明は『言語にとって美とは何か』の中で、言葉によって何ごとかを表出する〈私〉を前提するのではなく、世界と〈私〉との間の裂け目が言語によって何ごとかを表出する〈私〉を生み出すと考えた。この始原の裂け目を、吉本は「異和」と呼んでいるが、ここに示されている考えは、世界へと関係することで自己自身を作り上げてゆく動的なシステムとしての自己にほかならない。

    ところで、こうした動的なシステムとしての〈私〉は、純然たる内部からは自覚することはできないし、純然たる外部からも把握することができない。〈私〉は、みずからへと関わり続けることにおいて初めて自覚される。ここに著者は批評する〈私〉の成立を見ようとする。

    著者は、1970年代の文学は、文学の危機そのものをテーマにくり入れることで、批評する〈私〉を内包する文学となりえたと考えており、何人かの詩人や小説家を取り上げて、こうした1970年代の文学の姿を明らかにしようとしている。大岡信の詩の演劇性や、入沢康夫による作者の意志からテクストの意志への転回、谷川俊太郎による言葉と沈黙のはざまに対する意識が、著者の考える批評精神の実例として取り上げられる。さらに筒井康孝、金井美恵子、那珂太郎、吉岡実、小島信夫、田中小実昌らについても、同様の視点から、彼らの作品が時代の中で持つことになった意味が何であったのかが論じられる。

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    33
    125谷川俊太郎と沈黙の秘話

  • 130

  • 世界における他者との交わり

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著者プロフィール

文芸評論家

「2022年 『ベスト・エッセイ2022』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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