コーヒー・ハウス (講談社学術文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061594517

作品紹介・あらすじ

十七世紀半ばから一世紀余にわたり繁栄を見せた欧州カフェ文化の先駆、コーヒー・ハウス。そこは政治議論や経済活動の拠点であると同時に、文学者たちが集い、ジャーナリズムを育んだ場として英国に多大な影響を与えた、社会の情報基地でもあった。近代都市・ロンドンを舞台にした、胡乱で活力にみちた人間模様と、市民の日常生活を活写する。

感想・レビュー・書評

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  • 著者、小年林章夫さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。

    小林 章夫(こばやし あきお、1949年12月29日 - 2021年8月5日)は、英文学者、英国文化研究家、上智大学名誉教授。
    2021年8月5日、心不全のため死去。71歳没。

    著者のことは知らなかったのですが、訃報を見て、『コーヒー・ハウス』を手にしました。
    この本は、原本が1984年に刊行されたので、著者が35歳位の時に書かれたものになります。

    この本に内容は、次のとおり。(コピペです)

    十七世紀半ばから一世紀余にわたり繁栄を見せた欧州カフェ文化の先駆、コーヒー・ハウス。そこは政治議論や経済活動の拠点であると同時に、文学者たちが集い、ジャーナリズムを育んだ場として英国に多大な影響を与えた、社会の情報基地でもあった。近代都市・ロンドンを舞台にした、胡乱で活力にみちた人間模様と、市民の日常生活を活写する。

    この本は、拾い読みにて読了としました。

  • 拾い読み。保険ってコーヒーハウスから始まってるんだ。郵便との関係も深い。戸別配達はまだ確立しておらず宿屋やコーヒーハウスが留め置き場所になってる。
    コーヒーハウスが果たした役割も衰退していった理由もそれぞれ面白かった。

  • 第4回アワヒニビブリオバトル「珈琲」で紹介された本です。
    2015.09.09

  • コーヒーハウスには身分職業上下貴戝の区別なく誰でも見せに出入りすることができた。いわば人間のるつぼ

    政治、文学、経済の話、科学実験などが行われた

    17世紀のイギリスでは限られた場所でしか、情報、ニュースを得ることができなかった

    そんな中でそれをまとめるジャーナリズムが生まれた



    なぜコーヒーハウスではいろんなジャンルの議論が活発に行われていたのだろうか?
    とにかく様々なバックグラウンドを持った人が集まってる場所に、少しお金を払えばアクセルできて直接話ができるわけだから、単純に好奇心が掻き立てられて活発な議論が行われたのでは?
    著名人と話ができる可能性もあるし。
    現代でそう言った環境ってある?少なくとも今の喫茶店にはない。
    スナックは若干そういう性質があるかも?

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/740249

  • コーヒー・ハウス(Coffeehouse)とは、17世紀半ばから18世紀にかけて、イギリスで流行した喫茶店で、社交場の機能も兼ね、大きな社会的役割を果した。
    17世紀後半〜18世紀にかけての英国は「コーヒーハウス文化」の時代だった。

    コーヒーハウスは政治的議論を交わす場でもあり、金さえ払えば誰でも入れる「人種の坩堝」でもあった。ビジネスに関わる情報が集まる場所でもあったので必然的に商談の場にもなった。そこからロイズのような保険業を生み出し発達させていった。

    この時期、読書人口も増えたが本の値段はまだまだ高く大衆の手が届く存在ではなかった。コーヒーハウスは図書館的な役割も果たして、この場で本を読み議論を交わしていた。

    チャップブックという20Pほどの小冊子が出て、本を読む人の多くはこれを読んでいた。内容は滑稽な話や宗教的な話やベストセラーの改変など。「ロビンソンクルソー」はこの時代のベストセラーだが、多くの人はチャップブックの改変を読んでいた(今で言うとラノベ&新書みたいな感じ?)。因みにこれを売る人をチャップマンという。

    コーヒーハウスは「人種の坩堝」なので多くの情報が集まった。これを編集し発行する新聞も発達したが、多くの人はコーヒーハウスで新聞を読んでいた。持ちつ持たれつの関係が成り立っていたわけである。


    コーヒーハウスが変質し衰退して言った理由は5つあげられる。
    1)数が多くなりすぎた。全政治にはロンドンだけで3000店もあった!
    2)モラルの低下・・・当初は珈琲を出しアルコールはさないというパブとの差別化が図られていたが、店舗が増えるにつれ酒を出す店も増えてきた。「人種の坩堝」が仇となりギャンブルなどが増えモラルが低下していった。
    3)「人種の坩堝」的側面が失われていった。常連客がつくことによって「一見さんお断り」的雰囲気が醸し出されていった。
    4)社会的背景…チャールズ2世による閉鎖令(反対運動が起こり1週間で廃止)、女性からの反対運動などが起きたが、コーヒーハウスの経営者はこれは上手く切り抜けていった。政府の植民地政策が変り、珈琲の価格が高騰していったことが経営不振を招いた。
    5)家の変化・・・一般の人々が住む家が良質化し、客を自宅に招くのが一般化した。

  • 18世紀ロンドン、上流階級の興味、新聞・雑誌、文学

  • 資料番号:010237675
    請求記号:233.3/コ

  • イギリス社会の発展においてコーヒー・ハウスが果たした役割について概略的に紹介している本。もう少し掘り下げて紹介してほしいかな、と感じる部分も何か所かあったけど、総じて読みやすく、18世紀以降の流れを知るには有益だと思います。

    コーヒー・ハウスが保険業や郵便業の拠点となったというのは他の本でも読んだことがあったけど、ジャーナリズムの一つとして雑誌もコーヒー・ハウスを軸に発展したというのが個人的には新しいポイントでした。考えてみたら、報道機関としての新聞がここを拠点とした以上、同じ紙媒体である雑誌も影響を受けていない訳がないんだけど、それが自分の中では繋がっていなかったので、この本できちんと整理できた感じです。

    さらに、所期の作家たちの作品発表の場としても機能していたということを知り、イギリスの社交と文字文化が発展するにあたって不可欠な場所であったことが分かりました。後半、若干息切れしている感も否めませんが、読んで損はない。

  • イギリスと言えば紅茶のイメージしかなかったのだが、
    コーヒーが流行っていた時期もあったのだなぁ。
    その裏には文化、政治、はては植民地までもつながっているのが興味深い。

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著者プロフィール

小林章夫(こばやし・あきお)
1949年東京生まれ。
上智大学文学部英文学科教授・博士(文学)。
同志社女子大学教授などを経て現職。
18世紀のイギリス文学を足がかりに、
近代イギリス文化を多彩な視点からとらえる。
主な論文・著書
「憂鬱な詩人 アレグザンダー・ポープと
政治諷刺」
『チャップ・ブックの世界』(講談社学術文庫)
『イギリス紳士のユーモア』(講談社学術文庫)
『コーヒー・ハウス』(講談社学術文庫)
『田園とイギリス人—神が創りし天地で』
(NHKブックス)
『東は東、西は西—イギリスの田舎町からみたグローバリズム』(NHKブックス)
『おどる民 だます国—英国南海泡沫事件
顛末記』(千倉書房)
主な訳書
ヒュー・ジョンソン『ワイン物語』(平凡社
ライブラリー)
テリー・イーグルトン『アフター・セオリー
—ポスト・モダニズムを超えて』(筑摩書房)
ドミニク・チータム『「くまのプーさん」を
英語で読み直す』(NHKブックス)など。

「2009年 『アメリカ〈帝国〉の苦境』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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