- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061595491
作品紹介・あらすじ
あの世とこの世、生と死、村の内外などを分かつ境界は、今や曖昧となり、かつて自明であった死後の世界も消え、魔性のモノが跳梁跋扈する空間も喪失してしまった。葬送儀礼の場で鎮魂の挽歌を吟じた柿本氏、平家の怨霊を慰藉鎮撫する役を担った琵琶法師…。本書は、私たちの文化や歴史の昏がりに埋もれた境界の風景や人々を発生的に掘り起こした意欲的論考である。
感想・レビュー・書評
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「境界」に関する一冊。いや、そのまんまやんけ。
あまりに長い期間に渡ってぽつぽつ読み進めていったためはじめの方の内容が遠い記憶の彼方になっているのですが、市・異人・杖・人身御供譚・穢など様々な「境界」について民俗学的な視点から検討。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
文章は少し硬い感じだけれど、好きな日本の文化民俗のことなので、ぐいぐい読めた
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卒論の方がマシなレベル
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「境界」というものと、「杖」「人身御供」「異人」、古代における「穢れ」についての論考。著者の情熱が伝わってきてとても面白かった。
実は境界についてはあまりピンとこなかったのだけど、杖はユダヤ・キリスト教にもアーロンの杖や聖パトリックの杖、アリマタヤのヨセフの杖から生えたというGlastonburyのイチイなど、色々あるので調べたら面白そう。聖人や旅人、琵琶法師なんかは杖を持っていて当然のように思ってしまっていたけど、そこを掘り下げて考える視点がいい。 -
貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784061595491 -
境界に立つ、沈黙の文学、琵琶法師の口承文学
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ワークショップ「境界に」:ゲストのおすすめ本
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折口の影響大、な気がしてつっかえつっかえようよう読了。注釈が丁寧ではあるが。
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境界についての色々な論考を一冊にまとめたもの。
昔の境界の考え方にはじまり、その空虚性や両義性について、境界に開かれた市について、境界に群れる者について、各伝承(行き逢い裁面、賽の河原、杖立て伝説、人身御供)にひそむ境界論などが説かれる。
内容はこういった民俗学関連の読み物に慣れた人向けといった感じで、読みこなせない部分もあったが、とりあえずは興味のわいたところを拾うようページを進めていった。
といっても読むところはたくさんあって、特に賽の河原の折口信夫さんと柳田國男さんの視点の違いにはなるほどと唸らされたし、杖立て伝説の読み解きはバリエーションの違う色々な伝承と合わせて楽しく読めた。
人身御供譚の構造については、区切りと暴力性、または第三項排除について、関連する本があればもっと読んでみたいと思う。
人身御供譚は「顕されつつ隠される」構造だと明かされるが、隠される理由は何なのだろう。
私が異国の動物供犠の写真を見たとき、真っ赤に裂けた腹を見たときに感じた、「うわっ」と顔をしかめる一瞬、あの心理に理由があるのだろうか。
それとも、人間を生贄にすることの心理的な負い目からくるのか?
だけど桟敷について語る部分で、生贄になるさよ姫の見物人がわらわらいたように、「鮮血」は人の好むところでもある(外から来た生贄ではあったけれども)。
嫌悪と興奮が同居するのが不思議だし、現代だとそういった見世物は野蛮だと「隠される」方向に向かう。
それは一体なぜなんだろうな、と新たに興味がわいた。
海石榴市や鎌倉のやぐら、切り通し、ヤカテクトリやヘルメスなどの写真を検索しながらノートをとったのだが、今は画像検索で風景を想像しやすいから便利だなあ。
まだまだ未読の箇所も多いが、とりあえずは一巡目ということで。 -
2009年 26冊目
著者プロフィール
赤坂憲雄の作品





