地雷を踏んだらサヨウナラ (講談社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (324ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061834347

作品紹介・あらすじ

「アンコールワットを撮りたい、できればクメール・ルージュと一緒に。地雷の位置もわからず、行き当たりドッカンで、最短距離を狙っています……」フリーの報道写真家として2年間、バングラデシュ、ベトナム、カンボジアの激動地帯を駆け抜け、26歳で倒れた青年の、鮮やかな人生の軌跡と熱い魂の記録。映画化もされた感動作。


2000年正月映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」原作

「アンコールワットを撮りたい、できればクメール・ルージュと一緒に。地雷の位置もわからず、行き当たりドッカンで、最短距離を狙っています……」フリーの報道写真家として2年間、バングラデシュ、ベトナム、カンボジアの激動地帯を駆け抜け、26歳で倒れた青年の鮮やかな人生の軌跡と熱い魂の記録。

砲火に身を曝(さら)してシャッターを切るとき、無論、明日の未来はありませんが、こうして今、一分一秒を生きている実感は重く、充実しています。

感想・レビュー・書評

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  • 私がこの本で一番興味をひかれたのは、銃弾飛び交う中で撮影された緊張感あふれる写真ではない。カンボジアの風景のようにおおらかな泰造さんの独特の文章でもない。
    では何が一番良かったかと言えば、時折挟み込まれる泰造さんと母親との手紙のやり取りだ。
    母親の手紙を読むと、自由にふるまう泰造さんを好きなようにさせながらも、随所で息子の体を気遣い、グラフ雑誌で息子の写真(と思われる)を見つけては一喜一憂する姿に、なつかしい気持ちがこみあげてきた。

    ああ、これが日本の母なのだ。海援隊が母に捧げるバラードで歌ったように、「バカ息子」と母から散々言われ続けながらも息子が最後に「ぼくに人生を教えてくれた/やさしいおふくろ」とつぶやくような、日本がかつて誇り得た母の姿だ。
    これがなければ、私にとって泰造さんは、ちょっとやんちゃでスケベで、写真で名を成そうと気持ちがはやりがちな戦場カメラマンの1人にすぎなかっただろう。

    それにしても、泰造さんをアンコールワットへ駆り立てたものは何なのだろう?
    この本の一章を占める「カンボジア従軍記」が書かれた1972年は、日本では「あさま山荘事件」があるなど、国内でも動いている“現場”はあったはずだ。だが泰造さんにとっての真の意味の“現場”は、日本では見い出せなかったのだろう。泰造さんが求めたものは、雨宮処凛さんがイラクや北朝鮮に求めたのと同じ“当事者性”というものなのだろうか?

    私は泰造さんがカンボジアへ渡ったのは、この母親あっての必然だと考える。つまり、この素晴らしいお母さんのもとで育った泰造さんは、人生の根本を母親から確かに受け取り、そしてそれを実践するとともに母親を超えるべく、本能的に未知の世界へと飛び出したのだ。

    世界を舞台に危険を顧みず確固たる目的意識で(中村哲さんのように)事績を残すのはもちろん素晴らしい。しかし泰造さんのように、ひとまずカメラだけを持ってがむしゃらに“何か”を求めて飛び込む姿にも、私は大きなシンパシーを感じる。

    だがこの本はサクセスストーリーではない。しかしいくら批判好きの現代人も、ここまでされるともう批判する気も失せるわというくらい、私たちの想像の上をいく数々のエピソードが詰め込まれている。
    ここでRCサクセションの「ぼくの好きな先生」に触れたい。いつも1人でたばこを吸っている美術の先生。誰がなんと言おうとも清志郎はそんな先生が大好きだった。けれども今の校内全面禁煙の常識から見ると、評価はがらりと変わってしまう。同じように泰造や彼のお母さんについても、今の常識なんか蹴り飛ばして読まなければ真の良さは見えない。

    願わくば、今の窮屈な常識押しつけ社会に息苦しさを感じているすべての人が、泰造さんの破天荒さに大笑いし、そしてお母さんの素朴な優しさに触れて、自分自身の母子関係にはいろいろあったとしても、「母親っていいな」としみじみ思い直せるように。

  • 一ノ瀬泰造(1947~1973年)氏は、佐賀県生まれ、日大芸術学部写真学科卒の、フリーの報道カメラマン。
    1972年3月にベトナム戦争が飛び火して戦いが激化するカンボジアに入国し、以後ベトナム戦争、カンボジア内戦を取材、『アサヒグラフ』や『ワシントン・ポスト』などに多数の写真を発表した。「安全へのダイブ」でUPIニュース写真月間最優秀賞を受賞。1973年11月、当時クメール・ルージュの支配下にあったアンコールワットに単身潜入し、消息を絶った。享年26歳。
    本書は、一ノ瀬が残した多数の書簡などをまとめて1978年に出版され、1985年に文庫化されたものである。また、1999年には映画化され(主演:浅野忠信)、若者の間でブームとなった。
    本書の題名は、アンコールワットに向かう直前に友人に宛てた手紙の、「旨く撮れたら、東京まで持って行きます。もし、うまく地雷を踏んだら“サヨウナラ”!」という絶筆から取られている。
    私は(一般の会社員であるが)、従前より、世界の各地を取材する(フォト)ジャーナリストの活動に関心を持っており、(2018年に3年に亘るシリア武装勢力による拘束から解放された)安田純平、(2012年にシリアでの取材中に銃撃・殺害された)山本美香ほか、戦地・紛争地を取材した多数のジャーナリスト(長倉洋海、佐藤和孝、高橋真樹、橋本昇、川畑嘉文、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会など)の作品を読んできたし、そうしたジャーナリストの活動に対する世間の見る目が、現在とは異なっていた(と思われる)ベトナム戦争時の沢田教一についての本も読んでいる。
    私はページをめくりながら、「なぜ、一ノ瀬泰造は殺される危険性が高いと言われていたアンコールワット潜入に最後まで拘ったのか?」をずっと考えていたのだが、一ノ瀬氏の残した手紙や日記は、温かいカンボジアの人びととの日常の交流の様子と、それとは正反対の、まるで映画のような(戦闘で死ななかったのが不思議なくらいの)戦場の様子がほとんどで、潜入の明確な理由についての記述は見当たらなかった。(写真が世界中のメディアに載ったり、賞を取って)有名になりたい、(クメール・ルージュに捕らえられても殺されることはないと)楽観視していた、(戦争の悲惨さを世界に知らしめたいという)使命感に燃えていた、等々は考えられるが、どれも正しいようで正しくないような気がする。。。二十代半ばの若者の「自らの行動により“何か”を成し遂げたい」という衝動とでも言うものだったのか。。。
    因みに、本書の最後に収録されている、カンボジアで一ノ瀬氏と一時行動を共にしていたフォト・ジャーナリスト馬淵直城氏の手記の中にも同じ問いがあり、馬淵氏は、ロバート・キャパ賞への野心などにも触れつつ、「たとえそれが何であれ求めるものへと一歩でも近づきたいという思いに駆られたのではないか」と書いている。
    (本書から何らかの示唆を得ることは簡単ではないが)カンボジア内戦を駆け抜けた、日本の戦場カメラマンの手記として一読の意味はあろう。
    (2020年11月了)

  • 単身カンボジアのアンコールワットに向かい行方不明になった報道写真家・一ノ瀬泰造さん。26歳で消息を絶って9年後、彼は両親の手によってその死が確認された。本書は生前一ノ瀬さんが家族や恩師に宛てた手紙のやりとりで進行する書簡体で綴られた戦場ルポ。

    一ノ瀬さんが亡くなって40年、本書が刊行されて30年。彼の遺した写真からは、負傷で動けなくなった兵士や道路に放置された死体など、戦時中の物々しさや被害の大きさなど現地ならではの悲惨な現状が見えてくる。しかし中には兵士の笑顔やその家族の安堵の表情など人間味のある写真も多くあり、決して遠いどこか別の世界の話ではなく、あくまでも人対人の争い。その背後には家族や友人などその一人一人の人生があるのだと考えざるを得ない。
    戦争を扱った本はその悲惨さにスポットが当たりやすいが、この本はあくまでも主役は一ノ瀬さんにある。ご自身の現地人との交流、その当時の若者らしく奔放に赤裸々に生きる姿は逞しくもあり、強い意志のもと自分の人生を太く短く謳歌した姿が浮かぶ。危険を覚悟し戦場へ赴くご本人とそれを忍びつつも日本の今を明るく伝える母親とのやり取りには色々な意味で心に来るものがあった。

    私の初海外旅行はカンボジアだった。凄惨な戦場と化していたのが嘘のように、アンコールワットは綺麗に整備された観光地だった。この本を読んだ今、きっと以前とは全く違った視点で観ることが出来そうだと思うともう一度行きたいと強く思う。

  • エッセイというのか分からないけれど。

    ひょうひょうとしているのに、楽しそうなのに、どこか読んでいて悲しい。
    親御さんの気持ちが分かるからだろうか。当人の押さえきれない夢を感じるからだろうか。

    その後のカンボジアを思うと、何を目指して戦っていたのか、とまた悲しくなる。
    ポル・ポトを考えると、先生は…やっぱり。
    皆どこへ行っちゃったんだろう。
    今の世界を見せたい気がした。そうしたら、きっと伸びやかに世界の中へ駆けだしていくのだろう。その無邪気さを見たい気がした。

  • 古本で購入。

    フリーカメラマン一ノ瀬泰造の日記と両親や友人に宛てた書簡などで構成された本。
    激動のインドシナの戦場と日常が、「全身がシャッター」の男の目を通して見えてくる。

    戦場の描写は時に滑稽で時に凄惨だけど、「戦争に対する怒り・憎しみ」のようなものはそれほど前面に出ていない。
    理不尽な暴力や差別に見舞われる人々への同情・優しさを感じる箇所が多いだけに、少し不思議な感じ。

    NHKの番組に出演した際、あまりに戦争を楽しそうに話すから放送されなかったこともあるとか。
    戦場を駆け回って命がけで写真を撮る戦場カメラマンっていうのは、やっぱり常人では測り難い精神構造をしているのかな。

    「アンコールワットを撮りたい。できればクメール・ルージュも一緒に」
    その願いを抱いてアンコールワット単独潜行を試み、消息を絶った一ノ瀬泰造。
    その9年後に遺体が発見され、クメール・ルージュによって処刑されたことが判明したという。
    カンボジアを愛した男は最期に何を見たのだろう?

    彼が若くして死んだことがわかっているだけに、途中に挿入される両親の手紙や日記が非常につらい。
    戦場カメラマンのルポルタージュであると同時に、ひとつの家族の物語にもなっている。

    ベトナム戦争ルポルタージュの傑作、開高健『ベトナム戦記』と併せて読んでほしい本。

  • 前に後輩の宮嶋茂樹さんがあるテレビ番組で彼と同じシチュエーションで同じ場所を撮影していたものを見て、読んでみようと思いました。26歳で戦場に散った男の魂の軌跡です。

    僕の記憶が定かではないので、なんともいえませんが、確かこれを大学時代に読んだような気がして、今回、これを紹介するというのと、後輩であり、同じく戦場カメラマンである宮嶋茂樹さんが彼のことを紹介していたのと、あるテレビ番組で一ノ瀬泰造と同じ場所、同じアングルで写真を撮影していたこともこの本をもう一度読もうと思ったきっかけなのかもしれません。

    あまりにも有名なのであらすじをここで書こうか迷うほどですが、この本はフリーの報道写真家として2年間、バングラデシュ、ベトナム、カンボジアの激動地帯を駆け抜け、26歳で斃れた青年の鮮やかな人生の軌跡と熱い魂の記録でございます。もっと具体的にいうと、この本は現地から家族や出版社に宛てた手紙や、取材ノート。そして圧倒的なメッセージ性を持つ写真で構成されていて、僕ものその一人なのかもしれませんが、『荒野を目指す』人間にとっての永遠のバイブルのひとつでございます。

    特に一ノ瀬泰造が持つ『視点』。現地の子供たちに『カラテ』や『ジュードー』を教えながら彼らの生きるありのままの姿を見つめ続けていたのだということを彼の言葉から感じることができます。そして、彼が生涯を通してみたかったといわれるアンコール・ワット。今ではそこは世界遺産として、重要な観光資源となっており、彼が常駐していた町も、今では観光地として栄えているのだそうです。時の流れは残酷なくらいの速さで進んでいるということを痛感したということと、彼の残した言葉と生々しいまでの『息遣い』は今も、時代を超えて強く語りかけるだけの力を持っているのだなと改めてそう感じました。

  • 親御さんの尽きぬ心配がよく表れていると思うし、戦争をしていながらも街中の市民はとても穏やかで暖かかったようだ。戦争の悲惨さや残酷さはあまり書かれていないが、どうにも無謀だったのではないかと思わずにはいられない。

  • 1970年代初め、カンボジア内戦下、アンコールワットの撮影を夢見るも果たせず倒れた
    若き報道写真家、一ノ瀬泰造の手記および書簡と写真集。

    飄々とした文体を通して浮かび上がる「生」と「情熱」。
    お母さまとの往復書簡も印象的。

    カンボジア、アンコールワットへの旅行にあたり、彼の地にちなんだ書籍として購入するも、
    長らく積んだままだった本をようやく読んだ。

    著者が戦渦のうちに亡くなったという事実を知っていたため
    死というバッドエンドであることは明白なので読むのに覚悟を要した。

    タイトルが「地雷を踏んだらサヨウナラ」である。
    「地雷を踏む」という死を意味する語に、カタカナの「サヨウナラ」、
    が555のリズムで実に軽やかに続く。
    この軽妙さが彼の文章に常に流れる。
    前線で自らの命が脅かされ(時には被弾さえする)非常に危険な状況や、
    悲惨、悲痛な事象であっても淡々飄々と描写される。
    「ボクは詩情も涙も無いウォー・フォトグラファー」
    そう自身でも書いている。
    親しくしていたジャーナリストの知人の死、自身の被弾および負傷、
    ついさきほどまで一緒に戦争ごっこで遊んでいた現地のこどもが目の前で爆死した情景、
    それらが、さもなんということもないように書かれる。
    「戦争ごっこをしている子供たちに、仲間に入れて貰い」本気で彼らと遊んだ直後、
    「一発のロケット弾が、一瞬のうちに幼い三人の命を本当に奪ってしまった。
    人びとが集まってきた。私は夕焼けの中を帰ってくる兵隊たちとすれちがいながら、
    旧高校の方へ歩いて行った。愛用のハーモニカを吹きながら。」

    ジャーナリストとしての姿勢なのか、感情を交えないドライな文章から、
    かえって彼の抑えた気持ちやあたたかい人柄が浮かび上がってくる。

    収録されている写真を見る。
    多くは彼が生業とする戦場写真であるが、子供を含む村人や、
    休憩中の戦士たちの写真がわたしの目を引いた。
    「人物写真」にはシャッターを押された瞬間の2つの気持ちが閉じ込められている。
    ひとつは写っている人が撮る人を見つめるまなざし、
    もうひとつは撮る人が写っている人を見つめるまなざし。
    戦場以外の写真において、一ノ瀬泰造の写真はどちらのまなざしも実に実にあたたかくやさしい。
    彼のハードボイルド調の文章や行動は、彼が自身の人間性やソフトさナイーブさを
    包み閉じ込め、俺は大丈夫、死なない、生きる、成功する、と
    自らに言い聞かせ武装する甲冑だったのではないか、と感じた。

    なぜ戦いの前線に行くという危険を取るのか。ジャーナリストとしての野望なのか
    使命なのか、またはアドレナリンがなせる行動なのか、わたしの理解は及ばない。
    が、ひとつ、読後に感じたことは、非業の死を遂げてしまったけれども、
    明確な夢と目的に向かってただただ突き進み続けた彼の人生は、
    ある意味幸せだったのではないか、ということだ。

    母との書簡について。
    母として、首に縄をつけてでも、息子の戦場行きを止めたい気持ちであろうということは想像に難くないが、彼女は心配こそすれ「やめて」「帰ってきなさい」とは決して書かない。
    ただひたすらに息子の無事と成功を祈り続けるのみだ。
    彼女の気持ちを思うと胸が張り裂けんばかりだが、
    息子を個として認め、その意志をあくまで尊重する姿勢(なかなかできることではない)に心を打たれた。

    かなえる術はないが、できることなら
    「あなたの文章をしっかと読み、写真を見ました」
    「今、カンボジアとアンコールワットは平和です」
    と彼に伝えたい。

  • 戦争の最前線に飛び込んだ、戦場カメラマンの生々しい手記と写真の数々。
    常に銃弾や砲弾が飛び交う戦場と、ふとした瞬間に年相応の若者らしい顔を見せる兵士達と、戦争が日常の一部と化した国で生きる人々を撮った写真の迫力は凄まじい。

  • 今現在、アンコールワットの写真を撮るために必要なのはカンボジアのビザ約4000円、アンコール遺跡の入場券約3700円〜。あとはシェムリアップまでの航空券とホテル代。カメラにパスポート。それだけあれば誰でも雄大なアンコールワットの姿をカメラに収めることができる。
    泰造さんがカンボジアで活動した1970年台前半、アンコールワットの写真を撮るというのは危険極まりない行為だった。後にカンボジアが経験する凄惨な歴史の元凶であるクメール・ルージュが支配していたからだ。そして彼自身、その犠牲者となってしまう。
    何がそこまで彼を駆り立てたのだろう。金と名誉が欲しかったのかもしれないし、ただただ被写体としてのアンコールワットに惚れ込んでいただけなのかもしれない。本を通して受ける泰造さんのイメージは人一倍エネルギーに満ち溢れた人だ。まだ若く行き着くところも見えないパワーを、カンボジアという場所で試したかったのではないかとも思った。もちろん生々しい描写や写真も多々登場するけれど、一ノ瀬泰造という人にはとても親しみが感じられる。

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