- Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061962439
作品紹介・あらすじ
「海辺の光景」「抱擁家族」「沈黙」「星と月は天の穴」「夕べの雲」など戦後日本の小説をとおし、母と子のかかわりを分析。母子密着の日本型文化の中では"母"の崩壊なしに「成熟」はありえないと論じ、真の近代思想と日本社会の近代化の実相のずれを指摘した先駆的評論。
感想・レビュー・書評
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第三の新人達を論評したものでは最も優れている。安岡章太郎の「海辺の光景」の分析は秀逸。
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再読。人生で読んだことのある本の中で10本の指に入る私にとってとても切実な本だった。指摘のあまりの鋭さに涙が止まらなかった。
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「成熟」するとは、喪失感の空洞の中に湧いてくる「悪」をひきうけることである(本文より) "母の崩壊"と"父の不在"というイメージはかつては文学上の虚構に過ぎなかったが、現代ではもはや完全に現実のものとなった。観念的に”母”を捨て、他人になること。その悪の意識を抱えたまま前進することこそが、成熟した人間として生きるという事である。
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1967年に発表された、戦後評論における屈指の名著と言っても差し支えのない一冊。エリクソン『幼年期と社会』で語られている米国の母子関係というものを日本のそれと対峙させ、日本の戦後文学で家族というものがどの様に描かれているかを分析することで、その社会構造が持つ問題点を炙り出す。
本書では、日本の家族というものが農耕的・定住的な土壌による母子関係にあるものだと捉え、キリスト教のような絶対神というものが不在な故に父というものの象徴は欠けてきたのだと説く。そして、敗戦という経験が完全なる西欧化=母性の世界の崩壊をもたらしたにも関わらず、父というものは「恥ずかしいもの」として象徴されたままであり、人工的な環境だけが日に日に拡大していった結果、家族というものから様々な問題が生じてきていると喝破する。
僕らは戦後日本の歴史というものについてほとんど知らない。それは幾つもの断絶を抱えたまま、放棄されている。そんな中で、戦後という枠組で一つ言える事があるとすれば、それは絶えず「家族」というものが問題を抱え続けたままでいるという事だろう。そう、一人の人が同時に父であること、夫であること、男である事というのは等号が成り立つけれども、母である事、妻であること、女であることというものには決して等号は成り立たない。そして、この不均衡な構造こそが、今も多くの問題を生み出している。そう、決して等号が成り立たないものを相手に求めようとするのは、やっぱり無理なんだよ。
著者は本書で述べる。成熟するというのはなにかを獲得するのではなく、喪失を確認することであり、その空洞のなかに沸いてくる「悪」を引き受ける事であると。僕らはこのような問題を乗り越えて、成熟に辿り着くべきだろうか。それとも、その成熟が西欧的価値観である事を考え、成熟するのではなく別の道を考えるべきだろうか。いずれにせよ、戦後論から現代の家族論、果てはオタク論にまで射程を捉えた、読まれるべき一冊。 -
江藤淳(本名:江頭淳夫)さんは、戦後の日本を代表する文学評論家であるが、自分にとっては(26年前頃)在学した大学で比較文化論の授業を受けた先生でもある。
文学家でありながら、なぜか東工大で教鞭を取り、ご本人からも理工系の学生たちの発想の豊かさが新鮮だと話されていたのを覚えている。
授業の題材は、源氏物語の英訳2冊(サイデンステッカー版とウェイリー版)を比較しつつ、源氏物語の捉え方を比較するというもので、正解を探すものではなくそれぞれの意見を発表し合うもので、本当に楽しい授業だった。
スタンフォード大学で、テーマだけを与えてディスカッションする風景を先日テレビで見たが、まさにあのような景色だったかと思う。
個人の意見を尊重し、自由で、束縛しない、理解し合う、そんな授業は昔からあったのだと思う。 授業で一番目を輝かせていた江頭先生ノ姿が印象に残っている。