<弱さ>のちから

著者 :
  • 講談社
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感想 : 19
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062107174

作品紹介・あらすじ

「そこに居てくれること」で救われるのは誰か?ケアする関係の本質に迫る臨床哲学の試み。

感想・レビュー・書評

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  • 「語りを哲学する」というコンセプトで書かれている本です。
    患者さんの語りをはじめとして「弱い」と考えられている人の語りを通して存在の意味を深く追求されています。
    「浦河べてるの家」も出てきます。

  • かなり前の本だけど今にも充分通じるというか今この問題が深刻になっているので未来をみるチカラがすごい。

    弱さというのは特徴の1つであって悪い事ではない。
    書いてある事がとても興味深く面白い。自分の様に精神的にすぐ疲れてしまう人には癒しを与えてくれる本。

  • 袈裟から白衣へ―ピアスをした尼さん
    お経と詩―サスペンダーをしたお坊さん
    学校という場所―サーフィンやってるセンセー
    家族の定型はいま…―住宅にこだわる建築家
    キャンピィ感覚―2丁目のクロちゃん
    だれでもなくていられる場所―健康ランドに通う小説家
    受け身と多様―「先生」と呼ばれる性感マッサージ嬢
    「言葉のメス」に抗って―SP活動に取り組むひとりの女性
    からだを信じる―横着で優しいダンスセラピスト
    血に染まる―花と刺し違える82歳
    順調です。―べてるの家
    オンリーワン―生徒が生徒を引っぱるスクール

  • ・「それがいちばんいい姿勢ですね。意味なんかわかりっこないんだから。わかる必要もない。心で受けとめて、それをつまり代読するわけですよ。声を自分は持っているんだから、声をもつ器だから、坊主の仕事っていうのはそれを詠むことです。詠んだ声っていうのは、仏であり、必要とする者たちがそれを受ける。だから真剣に心を込めて詠めば、ぜったいわかる。坊主がわかる必要なんかないですよ。なんで自分でわかる必要があるんだ、とおもってます。仏の言葉をていねいに出すことが、僕の仕事だと思っています」

    ・見えてしまう場所に自分を置く、置かざるをえなかったというわけなのだろうか。思いを込めながら「口先だけよう」と突き放す。自分を置きつづけるそういう行為のなかで、ひとは「ひとり」で生き延びてゆくのだろうか。
    自分を反対感情(アンビバレンツ)のなかに置くことで、世界を複眼的に、襞を重ねるかたちで見る。これ、かなりおとなの眼である。きびしいまなざしである。ひとがおとなになるとき、更年期を迎えるとき、定年を迎えるとき、ひとが手に手に入れるかどうかがかかっているのもこの感覚だ。

    ・群衆の喧騒のなかで「孤独」になれる場所。ふと、ボードレールの詩をおもう。
    「己の孤独を賑わせる術を知らぬ者は、忙しい群衆の中にあって独りでいる術をも知らない。詩人は、思いのままに自分自身であり他者でもあることができるという、この比類のない特権を享けている。一個の身体を求めてさまようあれらの霊魂たちと同じように、詩人は、欲する時に、どんな人物の中へでも入ってゆく。彼にとってだけは、すべてが空席なのだ」(阿部良雄訳)

    ・話しかけられたくなくて独りで来るひとと、話しかけられたくて独りで来るひととが共存している不思議な空間。孤独になれて、ひとの垣根も低くって。そのチャンネルを自分で使い分けられたら、たしかに最高の空間だ。

    ・喉に詰まっている言葉が、ふと手に掬えるように零れてくる、そんな「支え」の情景を思い描きながら、面接における医師の言葉に艶やかな配慮を求める佐伯さんは、言葉を言葉として考えているのではない。言葉を言葉のレベルだけで考えると、通じる通じないの対話技法の問題になってしまう。言葉の感触というもの、いいかえると患者のからだの底から疼きとともに零れてくる言葉を掬い取ることのできる空気を、セッションのなかで医師に体験してもらおうと、そこに賭けているから、あのはらはらした表情になるのだろう。

    ・身体はじぶんが知らないところで自身を感じている。意識には入りきらないそういう体感に耳を澄ませ、そこに身体の対話というかたちで入り込んでゆくのだと、万利子さんは言う。

    ・マリ子さんは患者の鏡になるのだという。ある身体の構えが別の身体に反射して跳ね返ってくる。二つの身体運動が呼吸を合わせて対で動くようになることを、まずは狙っているみたい。よく考えれば、わたしたちの身体はいつも別の身体に呼応して動く。他人といっしょにいて、それに呼応しないというのは異様だ。それなのに、わたしたちは身体のことを考えるとき、つい単体のそれをイメージする。<インターボディ>や<間身体性>と哲学者は言う。だが、身体を外に開く、身体を他の身体とのあいだにたゆたわせるというのは、どういうことなのだろう。

    ・「彼女たちってね、家族と離れなければ自分を治せないところにいます。自分を知るのに、家族というグループから離れないといけないんですね。自分ひとりになって、どこまでどういう関係性を保っていけるのかということを感じとることが必要なんです。グループのなかでもまれて、そんななかでも自分の場所を失わないでいられるということができないから、崩れる。群感能力が弱いんです。・・・(略)」

    ・「いかに苦労をしないで済むかを追求するのではなく、当たり前の苦労との出会いを大切にする援助もそれ以上に大切である」とも、向谷地さんは言う。

    ・いずれかならず死ぬことがわかっているのに、それでもわたしたちは死なないでいる。あるいは、死なないでいられている。その理由は何か。

    ・したことに責任を持たせること、じぶんとちゃんと向き合っているかぎりは「だめ」と言わずにそのまま肯定すること、他人を思いやる気持ちをいちばんだいじにすること、じぶんたちがいいと思う方向を示すこと、存在そのものがそれぞれに多様であることを徹底して認めること。これだけあればなんとかなる。そのことを教えてもらった。

    ・「自分がだれかってことは、自分に訊いてもわからない。他人に訊いてもわからない。自分がだれかっていうことは、行為のうちにしか、あらわれてこないような気がする。自分が傷つけた他人の顔を見るとき、いくら疑っても、逃れようもなく、自分が、ここにいるのを感ずる」と。

  • 弱いものに従うことで、自由になる

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    インタビュー記事
    外来講師オススメの本

  • <弱さ>がもっている力。
    めいわくかけてありがとうという、たこ八郎の言葉。
    さまざま切り口から、ホスピタブルな光景に触れる。

    風俗業を行う女性、袈裟を着た詩人、華道家、ダンスセラピスト。

    人の力を引き出す関わりとは何なのか?
    ケアする人、ケアされる人との関係が、支配にならないように。

    高橋源一郎氏が、お子さんに脳炎になったと知り、絶望しかけたが、
    そこから自分のこれまで感じたことのなかった充実感、生きるパワーを感じたと。

    自分はいったい誰なのか?自分固有のものはあるのか?その答えを自分の内部に求めようとしてもおそらく見つからない。誰かにとっての一人の他者になりえているということが、自分の存在の意味を見いだすことができるだけだ。

    鷲田さんの巧妙な語り口に引き込まれる。

  • 最後にある、鷲田さん自身のエッセイ部分までは、よくわからない。
    鷲田さんの伝えようとしていることが高尚すぎて、いい意味でわからない。
    でも、まともに読んで頷けたのは最後のエッセイ部分ぐらいですが、それだけでもめちゃくちゃよかった。
    弱くあることは、必ず、ひとをひきつける。ひとを癒す。世の中に、希望が持てる。
    鷲田さんの著書のなかでも言葉が透き通っていて、沁みてくる。気持ちのよい読後感でした。また、読みたい。

  •  大阪大学の先生。もしかしたら、内田樹さんの推薦かもしれないが、ちょとと購入動機は不明。

     建築の山本理顕先生のほかに、性感マッサージ士、ダンスの臨床心理士みたいなひと、学校の先生、精神科医、なんか共通項は弱い人たちの周辺にいる人たちというぐらい、いろいろな職業の人の話が書いてある。

     今の自分は、24時間介護を受けている遠藤さんの言葉に強く感動した。

    「君がやりたいことを、まっすぐ人につたえながら、できないことはみんなに鉄だってっもラッテ江、堂々といきていきなさい。先回りして、人がどう思うだろうかとか、これはいけないことではないかとか、勝手に一人で考えてやめてしまう必要なんかないんだよ。自分から逃げていては何にも始まらない。だって、君は一人で勝手に何かをやっていくなんてできないだろう。」(p179)

     職場のおおいちゃんという、かわいい女性の後輩に、佐々木さん、時々やわらかい本もよんでますね、といわれてちょっとびっくり。確かに土日は宗教ものとか、この手を読んでいるが、一定の歳をとった自分としては、悩みをちょっとはかかえていて、それを癒しているんだよね。若い優秀な女性にはやわらかい本と感じるんだね。

     

  • 鷲田さんはものすごく強いひとだとおもう。

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著者プロフィール

鷲田清一(わしだ・きよかず) 1949年生まれ。哲学者。

「2020年 『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

鷲田清一の作品

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