- Amazon.co.jp ・本 (524ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062151320
作品紹介・あらすじ
あなたとは、この世の果てまでいっしょよ。呪いのように。親子、だもの。ママの名前は、マコ。マコの娘は、コマコ。『赤朽葉家の伝説』『私の男』-集大成となる家族の肖像。
感想・レビュー・書評
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前半の母娘の逃避行は、あんまり好きな感じではなかったけど、なかなかおもしろかった。
後半のセルフポートレイトは、なかなかおもしろい話だったけど、読んでいてとても疲れた。
母親が絶対的存在で世界の全てだった幼い頃のコマコ。
何かに取りつかれたような歪んだ母親といい、滞在する地の雰囲気といい、そこで出会う人々も起こる出来事も恐ろしい。
これはホラーか。ぞっとする。
母がいなくなった世界で現実を知っても、母に束縛されたまま生きるコマコ。
廃人のように日々を過ごしてるなか、物語ることで呼吸をはじめるのだけど、コマコも彼女の語る話も痛々しく凄まじい。
ラストまで読んでもやっぱり重くて苦しいのだけど、荒野に咲いた一輪の花のごとくコマコはやっと自分の人生を歩き出した感じ。
コマコ、幸せになって。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
家族、それは呪いだ。呪いからは離れられない。
「読書は喜びではなく、一人遊びではなく、魂を震わせるような轟音でもなく、恐ろしい現実からの全力の逃避となった。」これは普遍的な現象なのだろうか、半分そうで半分そうでない。内向的な子供は読書をし、内面に幻想の世界を作る。おそらくそれは世界への一種の拒絶であり、一種の逃避だ。ただ程度に差はあり、読書がすきで幻想が好きな子供でも、そこに物語的な楽しさを純粋に見出している子と、そこ以外まったく逃げ場がない子がいる。
アマゾンのレビューなどを見ると本書はなかなか評価が低く、そしてその評価を低くたらしめているコメントの大半が後半がつまらない、後半で成長した主人公が依然ぼんやりとすごしているを理由にあげている。
ふざけるんじゃない。
14歳まで自分を世界と遮断していた子供にいかに立ち直れというのか。なにが成長というのか。生き抜くだけでなぜ褒めてあげられない。生き抜くことこそ、もっともつらく困難なことなのに。主人公が愛を見つけてまとめに成長すればよかったのか。
まったくもってふざけるんじゃない。
傷口はそんなに簡単に埋まらないし、人の心を侵食してしまった自尊心のなさや悲しみと破滅衝動も、そんなにたやすく消えるものでない。
ねぇ、どうすればよかったの?
子供としてはただ単に不条理の前で、問い続けるしかない。自分を殺したいほどの痛みの前で、全てを壊したいのに全てを飲み込み、じっとそれを閉じ込める。それ以外どうすればいいのかわからない。あがいたら、止まるの?止まらないことだってあるよね?
「ぼくはぼくのあらゆる不幸を大切に磨いては、心の中で飽きるまで転がしているんだ。君みたいな若い子に簡単にかわいそうって言われることじゃない。」
自虐的だけれどもそうなんだ。消化するために何度も何度も磨いて、言葉の渦に何回も何回も引きずり出し、他人に簡単な一言で片付けてなんてほしくもないし、勝手な解釈をつけられるなんてごめんだの。
「きみをはやくみつけてあげるべきだったな」
この一言に、私は号泣する。悲しみに気づいてほしかったから。でも、手遅れなこともこの世の中にはあると思う。もうこうなっちゃったんだもん、仕方ないじゃない。もうなっちゃったんだよ、だから後は生き抜く方法やモチベーションを一つずつ見つけていくしかないの。責めないでよ、悲しげに見つめないでよ。
濃密すぎる時間をすごした後は、自分をもてあます。
自分の人生の最後の最後まで、一寸も残さずに燃焼して、リベンジを図るべきなのだろうか。神、それが存在するのならば、それに反抗し続け産まれてきたことに抗い続けるべきだろう。それとも年月がゆるやかに自分をぼんやりとした存在にするにまかせ、ゆるやかな幸せに身を任せるべきなのか。日常、を教えてもらうべきなのか。
その中間はないのか。 -
初読。
一部はマコとコマコの逃避行。
二部は駒子の余生。
私は断然一部が好き。
過疎地の病院、海辺の置屋、豚の国、動物園と洋館の町、隠遁者
それぞれが一つの物語のようで、で確実に時間は流れていく。
旅と本は似てるよね。
重くて苦くてわりと苦手な感じなんだけど
ギリギリで嫌にはならない。
駒子の父の言う
「本当に取り返しのつかない事なんてあるんだろうか?」
人生を、生まれを、子供という存在について考える時に
これに似たような事を私もいつも思う。
コマコが、豚の国で誇りを奪われた時に苦しかった。
でもコマコは本、物語に出会っていたから。
それに触れて心を動かされるというのは何者にも侵す事の出来ないその人だけの領土だから。 -
「人はなぜ、物語を必要とするのか?」
これへの桜庭一樹の回答の一冊。
<生きる痛みが、物語を必要とする人間、、つまりは作家と読者を生むのだ。>
これは、物語をうむことで、他人とつながっていく少女の物語だ。 -
最後感動した。 本当に、映画見てるみたいだった。 テレビに映るお母さんのおなかに自分がいたんだという所でやっと光が開けた感じがしました。 お母さんがいなくなるところで、読んでて支えがなくなった感じがした気がして、なかなか光が見えなくて、途中で苦しくなったりもしました。
だから余計に あの最後でよかったなぁとほっとした。
桜庭さんの作品は、親子にスポットをあてるものが多いように感じます・・* あーもう一回読みたい! -
桜庭一樹の最高傑作。
「私の男」と対をなす作品だ。こっちの方が数段上の作品だが。
あっちは父娘。今度は母娘。
殺人を犯した母とともに彷徨う悪夢のような年月。
母に愛され憎まれ、自分を殺してまで母に従うことを覚えた幼女が大人になり、自分の道を歩き出すまでを描く本作。
「私の男」が許せない人にこそお勧めだ。
著者自身を投影してたのだろうか、主人公が表現者として自活するくだりの壮絶な苦しみが、ひたすら重い。
求めて与えられ、それでもなお求めてしまう物語。
心を物語で埋めようとしても、底の無い心には虚無感が広がるばかり。その辺りの感覚、なんだかよくわかる。
とにかく辛くて苦しい物語だった。
最後まで読み終えて、やはり苦しい。
今日一日、仕事中に読んで(汗)、昼食をとるためビルの外に出た途端、うだるような直射日光を浴びたとき、どかんと憂鬱に襲われた。少女時代の駒子の気持ちとシンクロしてしまったのか。
(梅雨明けの照りつける太陽の下、愛に飢えた苦しい日常を描くシーンがある)
主人公の駒子に幸せが訪れることを切実に願うかぎり。 -
主人公コマコは母親への歪な愛に苦しみながら生きてきた。それはとても凄絶で正に呪いのようだけれど、それでも母親を愛することが出来たコマコはその一点では幸福なのかもしれない。
母親を愛せない子供よりは。