- Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062179973
作品紹介・あらすじ
徳島県南部の太平洋沿いにある小さな町、海部町(かいふちょう)(現海陽町)。
このありふれた田舎町が、全国でも極めて自殺率の低い「自殺“最”希少地域」であるとは、一見しただけではわかりようがない。この町の一体なにが、これほどまでに自殺の発生を抑えているというのだろう。
コミュニティと住民気質に鍵があると直感した著者は、四年間にわたる現地調査とデータ解析、精神医学から「日本むかしばなし」まで多様な領域を駆使しつつ、その謎解きに果敢に取り組む。
ゆるやかにつながる、「病」は市に出せ、“幸せ”でなくてもいい、損得勘定を馬鹿にしない、「野暮ラベル」の活用など、生きづらさを取り除いて共存しようとした先人たちの、時代を超えて守り伝えられてきた人生観と処世術が、次々とあぶり出されていく。
感想・レビュー・書評
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先に読んだ「森川すいめい」さんの著書で勧められていた、この著書は、同じ「海部町」を対象にしているが、こちらの著者である「岡壇」さんは、当時、学会で殆ど取り上げられなかった「自殺希少地域における自殺予防因子」について、何年間も研究を続け、論文として発表されている方なので、フィールドワークとデータ収集に基づいており、より深く掘り下げた内容となっております。
興味深かったのは、海部町が移民者たちの集まった地縁血縁の薄い共同体という歴史があることです。
身内や近所での古くからの緊密な人間関係は、時に排他的でもあるため、迷惑をかけることを極力避けようとし、私的な問題で助けを言い出せないことがある。
これが海部町では、薄い共同体でゼロからのスタートを切ったことから、出自や家柄で判断するのではなく、その人の問題解決能力や人柄などの本質を評価して付き合う態度を身に付けたと言われており、援助すべき時は責任を持つが、つながり方は緩い。
海部町の相互扶助組織の「朋輩組」にしても、他の同じような組織ではあった、年長者の意見に逆らえなかったり、加入や脱退に厳しい規定はない、自由度の高さが特徴で、やはり緩やかである。
この独自性は、他の面にも現れており、いろんな人がいたほうがよい考え方や、どうせ自分なんてと思わない人が多いこと、別の表現で書くと、政治などのお上の問題意識を持ち、自分の意見がある、自分に世間を変えられる力があることを自然と認識している人が多いことが上げられる。
書いてきた内容では、他の町で同じようにコミュニティを形成していくのは、なかなか難しいようにも感じられる。
しかし、過去、どうせ自分なんてと思ったことのある私からすれば、自殺希少地域の存在自体が目からウロコで、生きやすいとは何かを少し実感出来たし、読み終えた後で、弱音を吐くことや助けを求めることは恥ずかしくないんだという安心感を得て、心持ちが軽くなりました。
ただ、自殺により娘さんを失った母親が、他の親類から、「残された人の気持ちを考えなかったのか」とか、「死ぬ気になれば何でもできただろうに」とか言われた話には、怒りを通り越して、やるせなさを覚えた。このような考え方をする人のいない世の中に少しでも近づくことを切に願います。 -
家族や学校、会社、趣味のサークルなど、人は様々な集団に属して生きている。この本には、徳島県のある町(自殺最希少地域)に隠れている自殺率の低さの謎を探して取材、調査していく筆者の行程や思考の道筋がたんたんと描かれていた。読み進めているうちに、複雑な人間関係の中を、ストレスフリーで生きていくにはどうすればよいかの指南書にも思えてきた。人に執着せずに、ゆるやかにつながり、自尊心を大切に生きる。いろいろな人がいることを嫌悪せずに、むしろ楽しむことができたら、自分が属する様々な集団 でのトラブルやストレスも軽減できることだろう。にしても、データに基づいて分析する場面での、膨大なデータの前で奮闘する著書の様子が、あっさりと書かれてはいるものの、苦労が伝わり面白い。4年間の調査の重みは、しっかりと伝わってきた内容の本だと思う。
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高野秀行さん絶賛の本書。大学院での研究として取り組んだことの成果が、一般向けにわかりやすく読みやすくまとめられている。「フィールドワーク」というのを、これほど血の通ったものとして感じたことはないように思う。示唆に富んだ一冊だ。
高野さんがほめてなかったら、また例によって「絆」とか「つながり」を連呼したヤツじゃないかと思ったかもしれない。3.11以後のああいう物言いには非常に違和感があって、ちょっと待てよ!「地域共同体」ってそんないいことずくめのものか?という思いがフツフツと湧いてくるのを抑えられない。
本書がそこらへんにどういう結論を出しているか。短く言えば「ゆるやかにつながる」というスタンスなのだが、その絶妙な人間関係の塩梅が、具体的なエピソードや統計資料を使って説明されていく。ここは興味のある方は実際読んでみてほしい。
とはいえ、均質化の進む今の日本で、こんな町があるのだろうかという疑問がどうしてもぬぐえないところだが、著者は「交通や通信が現在のように整備され始めたのはたかだか五十年くらい前のことであって、人、物、そして情報は、山一つ川一本でも横たわっていればたちまち往来が阻まれる時代が長かった」のだから、昔からのコミュニティの特質が脈々と息づいているのは不思議ではないと述べていて、なるほど、そうかもしれないとも思う。明治、いや江戸だって、幕末に生きた人に実際接した人がまだ生きていることを思えば、実は手を伸ばした先にあるのだと、これは私も本当にそう思う。
であるならば、今の日本にこういう地域があることにある程度納得がいく。今後についてはあまり明るい展望を抱けないが。ただ、著者が繰り返し書いているように、そこから学ぶことができるのは確かだ。そこもきわめて具体的に説明されていて(「明日から『どうせ』って言わない」ことを岡さんはあちこちで説いているそうだ)、そこが学者臭のない著者ならではの美点だと思った。 -
めちゃめちゃ面白くて一日で読んでしまった。自殺予防因子に関する考察は、この本に言及した他の本で既にある程度知っていたので、この本の方に先に出会っていたらいろいろ衝撃が多すぎて知恵熱を出していたかもしれない。それくらい久々に興奮した体験だった。
ベースとなるのは著者の博士論文だが、論文に勝る付加価値としては、単に読みやすさだけでなく、著者が新たな道を切り開いていくさまを冒険譚のようにワクワクしながら読めることだ。前例のない分野でのデータ集めの苦労は計り知れないが、その苦労以上に著者の情熱が伝わってくるから、読んでいて爽快感とじんわりした温かみが同時にこみ上げてくる。それは行間ににじみ出る著者の人柄でもあるだろう。
こんな人がいるんだから、自分もがんばらないと、と勇気をもらえる一冊だった。 -
自殺のリスク因子ではなく、自殺が少ない徳島県旧海部町に入り込んで自殺を低くする要因を探った本。
お互いが人に興味を持ちつつ、深入りしない緩い繋がり。取り返しがつかなくなる前に気軽に打ち明けられる関係性。いろんな考えの人がいるから良いという考え方。 -
全国でも自殺の割合が少ないとされる徳島県海部町でのフィールド調査を通して、町にある自殺予防因子を探る内容。土地の傾斜や積雪量といった地理的指標と自殺率との相関が実際に現れるのが驚きだった。自殺の少ないコミュニティーの特徴として人に対する評価が年齢ではなく能力に根ざしていることというのがあるが、実力社会のギスギスした感じではなく、多様なものをそのまま受け入れることや、問題を小さいうちに他人と共有しやすい空気というのも、予防因子として挙げられている。コミュニティーの性質であるが故に個人の心がけで変えられることはなかなか少ないが、本文でもあるように「どうせ自分では」と思うのをこらえて、自分の中で他者に対する寛容さを身に付けられたらと思った。
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まず文章のセンスがすばらしい!めちゃくちゃ読みやすく、すいすい頭に入ってきます。
多くの人に知ってほしい、という意志の現れかも。
とにかく非凡な文才を感じたので、他の執筆も確認してみたい。
「病、市に出せ」たったこれだけの言葉に凝縮された海部町の文化とメンタリティ、心にひびいた。
強固なコミュニティには生きづらさを感じる人もいる。他者に対しては、無関心ではなく、関心はあれど期待はしない緩やかな連帯が望ましいようだ。
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「病、市に出せ」ということばは鷲田清一氏が『折々のことば』で紹介されたときにとても気に入り、今も新聞の切り抜きをメモ帳に挟んでいる。その際参照されたのが本書。自殺予防因子をつきとめると同時に多発地域での比較と原因解明も行いフィードバックしていく。調査を通じ著者はどうやったら自殺が減らせるかということでなく、どんな世界で生きたいか、より「生き心地」がよくなるかを考えていくことで答えが見いだせるのではないか(p.173-174)と説く。まさにその通りだと思う。本書は自殺予防を考えることから一歩進めて日々の暮らしやすさ、コミュニティの在り方なども考えさせられた(「絆」の連呼とかどうもね)。お堅い論文の内容のものと思っていたのだが、研究のとっかかりから手法、途中経過、自身の経験も含め、非常にかみ砕いて書かれていた。大学の教科書や同分野を研究したい人にも入門書として最適だと思う。
著者が見つけた5つの自殺予防因子「いろんな人がいてもよい、いろんなひとがいたほうがよい」、「人物本位主義をつらぬく」、「どうせ自分なんて、と考えない」、「「病」は市に出せ」、「ゆるやかにつながる」(第2章より)。旧海部町の方々はよそから来た人には「賢い」と映るようだが、生き様がさばさばしていて大人(mature)だと思う。