- Amazon.co.jp ・本 (194ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062209519
作品紹介・あらすじ
私は私。海を渡っても、異なる言語を操っても、何も変わらない。自分自身であること、それが生の苦難の根源なのだ――。心惹かれていた同級生との死別により、幼くして死への想いに取り憑かれ、一方で、性的マイノリティとして、内なる疎外感に苛まれていた迎梅。女子高での密やかな恋、そして運命を暗転させる「災難」の果てに、日本に半ば逃亡のような気持ちで渡った彼女の葛藤と孤独を描く、若き台湾人作家の鮮烈なデビュー作。
感想・レビュー・書評
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生きることと死ぬことに向き合っている。ああ、ちがうな。生きることと死ぬことに向き合わざるを得なかった人の物語だ。なんという苦しさ。でもこれは彼女が一歩を踏み出す本だ。踏み出してみて気づくことがある。生きることはつらくもあるけれど、やっぱり生きることは尊いのだと私は信じる。
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淡々と物語が進んでいっているように思えるのは主人公が「わたし」ではなく「彼女」だからか。いつものように主人公に入り込むのでなく、俯瞰して彼女の人生を眺めるように読み進めていった。
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台湾出身の著者が日本語で書いて、群像新人文学賞優秀作を受賞している作品。だからこれは海外文学なのか、日本文学なのかわからない。でもわからないままでいいと思う。わたしはそういう「あいだ」の文学がすき。
台湾ではクィア文学が割と広く読まれていて、作品も多く出版されている。本書もクィア文学のひとつ。レズビアンの女性が主人公。
先に結論を言ってしまうと、この物語は主人公の女性が自身の性的指向とそれがもたらす社会とのズレや葛藤、そしてある事件によりもたらされてしまった傷を抱え、そのせいで大切な人を失い、苦しみながらも最期には「それでも人生は続く」と歩き続ける喪失と再生の物語だ。よくあるプロットだと思う。
それにもかかわらず、この作品が私の胸を抉ったのは、ここに描かれている彼女(たち)の生活が私にとってはめちゃくちゃリアリティのあるものだったからかもしれない。レインボーパレードだったり、二丁目のバーだったり、そういう「わかりやすい」ゲイカルチャーのど真ん中で明るく生きているというよりかは、それを日常の支え、息抜きの場とはしながらもどこか日陰者の意識が拭えずにぼんやりと「死にたいなあ」と思い続けているような女の子。それでも実際自殺行為を繰り返したりは、しない。良くも悪くも中途半端。その中途半端さがすごくリアルだった。
そのぼんやりした希死念慮から逃れるように文学に耽溺していくのも、まあ日陰者の通るありがちパターンで、もれなく私もそうだったわけだけれど。(希死念慮の理由付けとしてセクシャリティだったり性的暴行だったりっていうのはあんまり関係ない気がする、いやこの作品上は関係あるんだろうけど死にたさなんてそのへんの雑草くらい身近なものだから、なんかそこに絡めていくのは無粋な気もした)なんだか彼女の通る道がとても既視感があって、切ないとか哀しいとかよりも過去の自分と対峙するような面映さがあって、苦しかった。
めちゃくちゃに傑作!!と大手を振って言い切れる作品では、私の中ではないけれど、著者のまっすぐな文学への愛が感じられた良作だと思う。
ラストはご都合主義すぎという意見があったみたいで、それに対して著者自身が弁明?している文章も(noteにある)あるけれど、まあ、確かに都合いいよねとは思うがそうしないといけなかったってのもよくわかる。あそこで対峙させなかったら、このお話は先へ進めなかったんだろう。
あと、人が恋に落ちる瞬間を描く作品て、もうこの世に何億とあるわけだけど、その描写が美しい作品は良い作品、というジンクスみたいなものが私にはある。この作品もまさしくそうだった。主人公と、その恋人・小雪との出会いの場面はもう本当に眩しくて目が潰れるかと思った。そこだけでも読めて良かったと思える作品。 -
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暗い。メンタルな秀才の哲学みたいな物語。
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そうか、生きていくためにはこの色を見つめていなければならないのだ、と彼女は思った。
死について書くことで、彼女は生き延びた。
(P.24)