独り舞

著者 :
  • 講談社
3.36
  • (4)
  • (14)
  • (15)
  • (4)
  • (2)
本棚登録 : 167
感想 : 17
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (194ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062209519

作品紹介・あらすじ

私は私。海を渡っても、異なる言語を操っても、何も変わらない。自分自身であること、それが生の苦難の根源なのだ――。心惹かれていた同級生との死別により、幼くして死への想いに取り憑かれ、一方で、性的マイノリティとして、内なる疎外感に苛まれていた迎梅。女子高での密やかな恋、そして運命を暗転させる「災難」の果てに、日本に半ば逃亡のような気持ちで渡った彼女の葛藤と孤独を描く、若き台湾人作家の鮮烈なデビュー作。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 私が私であることに対する苦難。
    どこまで行っても、私からは逃れることができない。
    人間は忘却できるから救われる部分もある。
    だけど忘れたいことはいつまでも頭にあるし、
    自分が望むようには死ねない。
    そんな不条理を抱えながら、やってきた土地でやっていくしかない。

  • 終始漂う死の気配にヒヤヒヤしながら読み進めた。希死観念をもつ人の気持ちを覗き見た気持ち。世の中には自分の意思だけではどうしようもできないことがあるし、どこへ行っても自分自身であることからは逃げられない。その事実をただ淡々と当たり前に受け入れられない人も多くいるんだろうと思う。

    性被害に遭った直後までも「自分は悪くない、加害してきた方が悪いのだ」と考えることができた聡明な彼女が、周囲の人に影響されてしだいに自分自身を責めるようになっていく描写はほんとうにつらかった。
    だけどラストの希望が見えてきたところで物語が思い浮かび、それを書きたい、書ける、書こうと決意する場面には心を打たれた。

    台湾のカルチャーの固有名詞とともに日本の小説家の名前も多く登場して、世界は広いんだか狭いんだか。

  • 生きることと死ぬことに向き合っている。ああ、ちがうな。生きることと死ぬことに向き合わざるを得なかった人の物語だ。なんという苦しさ。でもこれは彼女が一歩を踏み出す本だ。踏み出してみて気づくことがある。生きることはつらくもあるけれど、やっぱり生きることは尊いのだと私は信じる。

  • 【訣別したい自分との闘い】
    初めて読んだ李琴美さんの小説。

    主人公の趙迎梅は、台湾で生まれ育つ。女性しか愛せないと知り、そうやって高校、大学でも同性の恋人を持つ。

    社会の価値観と自分の現実にギャップを感じつつ、それでも自分なりの社会関係や進路を見つけていくのだけれど、特にトラウマになっていたのは、高校の卒業時に受けたレイプ。自分のアイデンティティを否定されたように感じ、そんな過去を自らも消し去りたいという思いもあってか、趙紀恵に改名、日本に移住。普通の会社員としての生活を手に入れる。会社の人には、過去のこと、自分のことは隠しつつ、プライベートではLGBTQコミュニティで交流する。

    それでもずっと、自分と対決し続ける。最終的に、死ぬことで自分を消すことを選ぶ。

    「和解」ではなく「忘却」「訣別」を試みる過程。

    たぶん、自分を愛している、だからこそ、消えてほしい自分の部分が強くあるのだと思う。そいういう意思を持っているからこそ、今の人生に満足できずに、死によって自分の意思を主張してしまうのかもしれない。

    『空白を満たしなさい』を読んだ後でもあり、そんなことを考えた。

  • 淡々と物語が進んでいっているように思えるのは主人公が「わたし」ではなく「彼女」だからか。いつものように主人公に入り込むのでなく、俯瞰して彼女の人生を眺めるように読み進めていった。

  • 台湾出身の著者が日本語で書いて、群像新人文学賞優秀作を受賞している作品。だからこれは海外文学なのか、日本文学なのかわからない。でもわからないままでいいと思う。わたしはそういう「あいだ」の文学がすき。

    台湾ではクィア文学が割と広く読まれていて、作品も多く出版されている。本書もクィア文学のひとつ。レズビアンの女性が主人公。
    先に結論を言ってしまうと、この物語は主人公の女性が自身の性的指向とそれがもたらす社会とのズレや葛藤、そしてある事件によりもたらされてしまった傷を抱え、そのせいで大切な人を失い、苦しみながらも最期には「それでも人生は続く」と歩き続ける喪失と再生の物語だ。よくあるプロットだと思う。

    それにもかかわらず、この作品が私の胸を抉ったのは、ここに描かれている彼女(たち)の生活が私にとってはめちゃくちゃリアリティのあるものだったからかもしれない。レインボーパレードだったり、二丁目のバーだったり、そういう「わかりやすい」ゲイカルチャーのど真ん中で明るく生きているというよりかは、それを日常の支え、息抜きの場とはしながらもどこか日陰者の意識が拭えずにぼんやりと「死にたいなあ」と思い続けているような女の子。それでも実際自殺行為を繰り返したりは、しない。良くも悪くも中途半端。その中途半端さがすごくリアルだった。

    そのぼんやりした希死念慮から逃れるように文学に耽溺していくのも、まあ日陰者の通るありがちパターンで、もれなく私もそうだったわけだけれど。(希死念慮の理由付けとしてセクシャリティだったり性的暴行だったりっていうのはあんまり関係ない気がする、いやこの作品上は関係あるんだろうけど死にたさなんてそのへんの雑草くらい身近なものだから、なんかそこに絡めていくのは無粋な気もした)なんだか彼女の通る道がとても既視感があって、切ないとか哀しいとかよりも過去の自分と対峙するような面映さがあって、苦しかった。

    めちゃくちゃに傑作!!と大手を振って言い切れる作品では、私の中ではないけれど、著者のまっすぐな文学への愛が感じられた良作だと思う。
    ラストはご都合主義すぎという意見があったみたいで、それに対して著者自身が弁明?している文章も(noteにある)あるけれど、まあ、確かに都合いいよねとは思うがそうしないといけなかったってのもよくわかる。あそこで対峙させなかったら、このお話は先へ進めなかったんだろう。

    あと、人が恋に落ちる瞬間を描く作品て、もうこの世に何億とあるわけだけど、その描写が美しい作品は良い作品、というジンクスみたいなものが私にはある。この作品もまさしくそうだった。主人公と、その恋人・小雪との出会いの場面はもう本当に眩しくて目が潰れるかと思った。そこだけでも読めて良かったと思える作品。

  • 本を読むのって楽しいんだったと久々に思い出させてくれた。
    彼女と小雪の蜜月な時間に交わされる会話が文学少女らしくて痺れた。文学好きな人たちの会話ってこんなかんじなの???
    後半、たたみかけるように彼女が再生に向かうが、こんなに簡単に深淵から再生へに迎えるものなのかと少し疑問。でも案外そんなものなのかな?と思ったり。駆け足で読み終えてしまったので、もう一回読んでみる!また感想が変わるかもしれない。最後の一文、空がとても綺麗なんだよなぁ。

  • 【紙の本】金城学院大学図書館の検索はこちら↓
    https://opc.kinjo-u.ac.jp/

  • 暗い。メンタルな秀才の哲学みたいな物語。

  • そうか、生きていくためにはこの色を見つめていなければならないのだ、と彼女は思った。
     死について書くことで、彼女は生き延びた。
    (P.24)

全17件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1989年生まれ。中国語を第一言語としながら、15歳より日本語を学習。また、その頃から中国語で小説創作を試みる。2013年、台湾大学卒業後に来日。15年に早稲田大学大学院日本語教育研究科修士課程を修了。17年、「独舞」にて第60回群像新人文学賞優秀作を受賞しデビュー(『独り舞』と改題し18年に刊行)。20年に刊行した『ポラリスが降り注ぐ夜』で第71回芸術選奨新人賞(文学部門)を受賞。21年、「彼岸花が咲く島」で第165回芥川賞を受賞。その他の作品に『五つ数えれば三日月が』『星月夜』『生を祝う』などがある。

李琴峰の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×