誓いの精神史 中世ヨーロッパの<ことば>と<こころ> (講談社選書メチエ)
- 講談社 (2007年7月11日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (228ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062583916
作品紹介・あらすじ
誓いの言葉はなぜ間違えてはいけないのか。なぜ文書よりも言葉が重視されたのか。決闘の勝ち負けによって真偽が定まり、目撃していなくても事件の証人になることができる、その根拠はどこにあるのか。西洋中世の特異な習俗から、中世人の「こころ」に迫る。
感想・レビュー・書評
-
雪冤宣誓、誠実宣誓など、中世ヨーロッパの社会関係の結節点である「誓い」の機能や意義を巧みに叙述する一冊。中世ヨーロッパの社会秩序の要石となっていた「誓い」が、なぜそれほど重視されたのか、言葉となって外に表現された「誓い」と内心との乖離の問題(典型的には偽誓)、対等な関係という前提のもとで結ばれていた誠実宣誓が次第に垂直的な臣従関係を構築していく装置となるプロセスなど、中世ヨーロッパ社会の大きな流れや背景が「誓い」という一つの社会的行為に焦点を当てることで明らかにされる。また史料や図版の豊富さは、中世ヨーロッパという縁遠い世界を具体的に知る手がかりになる。それと同時に、日欧の比較文明論的な問題意識も打ち出されており、そこには相応の歴史的背景があることも考えさせられる。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ヨーロッパ中世の物語や記録を読んでいると、人々が盛んに誓いを立てるのに違和感があったりする。もっと言うなら、小さい頃聖書で「偽証」という罪があることが不思議だったりした。声に出した言葉の重みが、私の知っている日本とこうした世界では違うような気がした。日本ではもっと言葉は軽くて、誓いの重みなんて感じたことないし、逆に重みがあるのは書かれた言葉だと感じているから。
その辺の心象的なものの掘り下げを期待して読んでみた。当然ながら法律や裁判、記録などが続くのでちょっと眠くなったけど、面白かった。裁判というものが、そもそも事の白黒に決着をつけるというよりも和解の場所を探るものだった、というのも面白い発見だった。 神明裁判というヨーロッパ古来の伝統とキリスト教がせめぎあう過程も、「誓い」そのものとキリスト教が(葛藤がありながら)せめぎあう過程も面白かった。