- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062585712
作品紹介・あらすじ
本書は、複製技術時代ならではの禁断の遊びに足を踏み入れます。禁断の遊びとは、ある曲のさまざまな演奏者・指揮者によるCD(レコード)を徹底的に聴き比べて、それに対して批評を加えるということです。
取り上げられる四曲はいずれも有名なものばかり。ヴィヴァルディ『四季』《春》、スメタナ『我が祖国』《モルダウ》、ベルリオーズ『幻想交響曲』、ムソルグスキー『展覧会の絵』がその対象となります。しかし、聴き比べとは言っても、名盤を選び出すわけではありません。演奏者・指揮者の優劣をつけることも目指しません。
あえて、印象批評を前面に押し出し、同じ曲を徹底的に聴き続けることで、その曲のもっている「本質」をあぶり出すことを目標にしています。
異色のクラシック音楽論です。
感想・レビュー・書評
-
たくさんの盤を聴き比べて楽しんでいる様なクラシック音楽マニア向けの本である。
取り上げられているのは、ヴィヴァルディの「四季」より「春」、スメタナの「モルダウ」、ベルリオーズの「幻想交響曲」、ムソルグスキーの「展覧会の絵」の4曲だけである。割合は、「春」と「モルダウ」はそれぞれ約70ページ、「幻想交響曲」は約100ページ、「展覧会の絵」はおまけ程度で約30ページである。
許氏の本は何冊か読んでいるが、いつもと比べ、気取った文章で、言い回しや、表現がわかりづらいところも多く、読みづらかった。
あとがき相当するエピローグに、“私は本の形によって内容を決める。メチエと言う新しい枠組みを取るのなら、何か普段とは違った書き方をしたいと思った”と書いてあり、合点がいったが、それは著者の自己満足にとってはプラスにはなったであろうが、読者にとっては、マイナスに働いている。
文章表現について一例を挙げれば、比喩表現というのは、普通、一般的に広く知られているものに例えることで、相手が理解しやすくなるように行うものである。しかし、本書では一般に広く知られているとは言い難い、絵画や文学に例えているので、かえってわかりづらいという結果に陥っている。例えば、ジャリの独奏、パイヤール指揮による「春」について、以下の様に書いているが、わかりやすいとは言えないだろう。
“この演奏は私に、快楽の技術とは、結局自己統御の能力や方法でもあることを記したミシェル・フーコーの「性の歴史」を思い出させる”
この様な書き方は一番読みたかった第1章のヴィヴァルディの「春」において特に多いのが残念である(後半の第3、4章では、気にならない程度)。
ついでに、「ことさら」という言葉を多用していることに違和感を感じたことも付け加えておきたい。
印象批評について。ヴィヴァルディの「四季」は、人気が高いため、多くの盤が出回っており、私も60種類以上の演奏を持っている。したがって、本書で取り上げられている盤のほとんどを聴いているが、著者の指摘は、なるほどと思えるものもあり、的外れだと思えるものもあり、という感じである。人の感性はそれぞれ違うので、印象批評を数多く目にすれば、その様に感じるのは当然とも言えなくもないが、本書によって目が開かれたということはないし、また、文章が面白いということもなかった。
褒めている盤はとても少なく、大体の盤に対して批判的である。ただ、多くの演奏について言及しているため、他人の意見を読む楽しさはあると言える。
まとめると、文章の読みづらさのせいで、理解しにくい所も少なくないが、一つの曲を何十種類も聴き比べた印象批評を集めた本はほとんどないので、それなりには楽しめるといったところである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この本のタイトル「標題音楽の現象学」というのは、標題音楽を聴き比べながら、作品と演奏家の関係が生み出す”音楽という現象”について書くという程度の意味だと思います。
つまり、この本の主題は演奏―演奏の「聴き比べ」ではなく作品―個々の演奏を「聴き続け」することにあります。したがって、個々の演奏を比較したり、演奏の優劣を決めるといった内容とは一線を画していることが期待できます。
ただ、その試みがどれほど成功しているかというのは読む人によって意見が分かれると思います。ぼく自身は、この試みの難しさを痛感しました。聴き続けは差異や序列に注目しない聴き方なのですが、いざ批評となるとどうやってもその要素が入ってしまい、ふつうの印象批評になってしまうということです。まえがきのなかで、差異や序列についても書いているけれども「少なくともそれを目的とはしていない」と書かれているのが、その困難を感じさせます。
「彼らはいろいろな演奏を食い散らかし、価値の上下を言い立てることで音楽への敬意を表現するのだ。いったい何という屈折した愛の形だろうか (pp. 4-5)」と書かれていますが、この本もその屈折した愛が表現されたものということなのでしょう。 -
相変わらず鼻持ちならない批評だが、つい読んでしまう。